魔塔火災

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魔塔火災

 平凡な大学生として生きてた頃、遅刻しそうになって全力疾走した後はこんなふうに心臓が早鐘を打っていた。濃紺のローブに包まれたあたしが感じているのはノードの鼓動。彼が見つめているのはナリッサの髪のような真っ赤な炎。  鐘楼左手の林で白っぽい煙が大量に上がっていた。魔術師が水魔法で消火しているらしく、立ち昇る煙が青空をくすませる。その煙の中から時おり顔をのぞかせる鐘楼の鐘は、煤けているわけでもなく奇妙なくらい以前見たままの姿だった。 「早く消さないと! コトラ、行くよ」  ゼンとコトラは迷うことなく燃え盛る炎へと向かっていった。鐘楼周辺の高木林はすでに燃え尽き、彼らが目指しているのは鐘楼からかなり離れた湖畔近くの林。 「ノード、あたしたちも行こう」  ローブから抜け出そうとすると、ノードは手に力を込めてあたしを引き止める。 「先にケイルが無事か確認しましょう」 「でも、世界樹が」 「時すでに遅しってことだ」  ジゼルはパタパタと羽根を羽ばたかせ、遠ざかっていくコトラの後ろ姿を見送っていた。 「精霊師には世界樹の状況がわかるんだろう? 魔塔で育てていた苗木は全部燃えた。違うか?」  ノードはジゼルの問いには答えず、「行きますよ」とあたしを連れて滑空する。魔術師はほとんどが消火活動にあたっているらしく本館付近に人けがなかった。その代わり興奮した魔獣がそこかしこを走っている。 「火事で焼け出されたようですね。ジゼル殿、対魔術防御を」  ノードは周囲を確認してマナ振動波を放ち、視野に入っていた魔獣はすべてその場に倒れ込んだ。 「興奮状態がおさまれば勝手に林に戻るでしょう」 「世界樹跡地の襲撃がかわいく思えてくるな。帝都で四本テールは洒落にならんだろ」  ジゼルが見下ろしてるのはモフモフの尻尾を四本はやしたキツネ魔獣。他の魔獣もほとんどが三本テールか四本テールだ。 「魔塔の林で最大は七本テールです」 「討伐対象だな」  ――正門側の林、鎮火完了。五本テールのイノシシ魔獣を確保しました。低級04隊、鐘楼に向かいます。  ――低級04隊へ、鐘楼東側にお願いします。現在低級02隊と中級04隊が消火活動中。  ――平民街のみなさんは屋内に避難してください。なお、大通りの橋は現在封鎖しています。  魔術師たちは拡声魔法で連絡しあっているようだった。その声は緊迫し、怒号と詠唱の声が背後に紛れ込む。  あたしたちは魔塔本館を飛び越え、その奥にある円筒形の建物の前に着地した。ケイルが寝起きしている000所属使用人の宿舎だ。ノードは魔法陣を扉に押し当てて解錠する。  通路を抜けると円形のホールに出た。ドーナツ状の建物で、吹き抜けになった中央ホールがドーナツの穴部分。そこに螺旋階段がつけられている。  ノードは階段を無視して風魔法で上昇した。手すりを乗り越えて三階通路に着地すると、三つある扉のうち〈000-33〉と書かれた扉をノックする。返答はなく、建物入り口と同じように鍵を解除して勝手に中に入る。  プンと薬草の匂いがした。カーテンが開け放たれ、窓からは立ち上る煙が見えている。部屋はゼンが使っていた団員用宿舎の三倍くらいあり、本と資料が溢れているけどちゃんと整理されている。ノードは奥の扉を開けて寝室にもケイルの姿がないのを確認すると、手がかりを探すように部屋を見回した。 「薬草の類がなくなっているので救護に向かったのでしょう」  そのとき開けっぱなしの扉から複数の足音と話し声が聞こえてきた。  部屋から出て手すりから身を乗り出すと、一階ホールで三人の魔術師がこっちを見上げている。おじいさんとおじさんと少年。そのうちおじいさん魔術師があたしに向かって手招きした。 「まだ残ってたんですか? 使用人はみな本館広間に行きました。案内しますからあなたも避難してください」 「彼女は使用人ではありませんよ」  ノードが顔を出すと「魔塔主様!」と三人揃って歓喜の声をあげる。  ノードはあたしをお姫様だっこして三階通路からフワリと飛び降りた。魔術師たちの視線はあたしと羽を広げた子猫に向けられている。 「聖女と聖獣です」  ノードはそれだけ口にしてパーフェクトスマイルで質問を封殺する。あたしもニコッと愛想笑い。ジゼルはいつも通りドヤ顔で紫蘭の真鍮タグを見せつけた。 「使用人に怪我人などは?」  ノードはおじいさん魔術師に問いかける。 「ありません。ですが、出入り業者に怪我人がいて本館広間に収容しました」 「その方の治癒は?」 「対象が一般人ではありますが、魔獣による怪我なので魔術師の治癒対象にあたると判断しました」  ノードは満足そうにうなずいている。 「良い判断です。緊急時ですので柔軟に対応してください。現在指揮をとっているのは?」 「中級01隊隊長です。魔術師は林と平民街の二手にわかれています。火事で燻り出された魔獣たちが平民街の大通りを暴走していますので」 「また魔獣の暴走か。うんざりだな」  白猫のボヤきに魔術師たちがギョッとした。 「言葉遣いは悪いですが、聖獣は人語を喋るんですよ。ところで平民街の被害は?」 「屋内退避を呼びかけたのですが怪我人が出ているようです。市場の屋台は壊滅的だと聞いてます」 「怪我人はどうしていますか?」 「今は治癒師に任せています。火事と魔獣への対応で手一杯で」  あっ、と後ろにいた少年魔術師が声をあげた。 「000所属の使用人を一人、フィリス治癒院に連れて行きました。赤い髪をしたケイルという男性です。自分は治癒師だから手伝えるというので」  「そうですか。あなたたちは中級02隊でしたね。三人ともフィリス治癒師と協力して負傷者の治癒にあたってください。平民街で怪我人を収容できる場所があれば拡声魔法で全体に伝えるように」 「承知しました」  三人は建物から駆け出していき、直後、少年魔術師の声が響き渡った。  ――中級02隊三名、平民街の負傷者対応のためフィリス治癒院に向かいます。魔塔主様、支部から戻られました!  どこからともなくワァッと歓声が聞こえ、ノードは口元に笑みを浮かべた。詠唱して小さな魔法陣を作ると、その魔法陣に向かって話しはじめる。  ――魔塔主より、平民街のみなさまへ。ご迷惑をおかけしています。魔術師が対応にあたっていますが、屋外は危険ですので建物の中に避難してください。続いて魔術師に通達。一般人への治癒に係る手続きは省略します。負傷者がいれば躊躇わず治癒してください。また、暴走中の魔獣には下手に手出ししないように。ただし住民を襲うようなら迷わず処分を。今後の方策は追って指示しますので、今は各自持ち場で力を尽くしてください。 「ノードの声、シドに聞こえたかも」 「構いません。それより、さっさと火を消して平民街に人を回さないと。一度鐘楼に向かいましょう」  ノードはゲートを開き、たどり着いたのは凍った焼け野原だった。ずうっと向こうに湖面が見え、背後には無傷の鐘楼が聳えている。焼け焦げた黒い木がところどころ杭のようにそそり立つ様は、昨日見た世界樹跡地の風景に似ていた。 「地面が凍っているのはコトラの仕業だな。燻っていた火を消したんだろう」  ジゼルは羽を閉じて地面に降りたけど「冷たっ」と飛び上がってあたしに抱きつく。あたしの冷気のほうがマシらしい。 「コトラ殿はあそこですね」  ノードが指さしているのは湖畔近くの林上空。白虎の背に乗った人影が魔法陣を描き、ジョウロのように林に水を撒いた。コトラが冷気で援護する。 「あの魔力はゼンじゃないな。いくらコトラの魔力があってもゼンが一度に使える魔力量はたかが知れてる」 「うちの中級魔術師ですね。苗木の育成場は鐘楼周辺なのでゼンは近くにいると思います」 「あたし、探してくる」 「お願いします」  ノードからは意外にあっさりした答えが返ってきて、あたしとジゼルがそばを離れると背後から詠唱が聞こえてきた。  振り返ると湖を覆うほどの巨大な魔法陣が構築されている。水面中央にできた竜巻は水柱となって遥か彼方まで昇っていき、その数秒後にバケツをひっくり返したような雨がザーッと林に降り注いだ。コトラと魔術師が突然のゲリラ豪雨に慌てて退避している。さっきまで見えていた炎はひとまず落ち着いたようだった。 「魔塔主はやることがいちいち派手過ぎる」 「だって魔塔主だもん」  あたしとジゼルが湖畔にかかった虹を眺めていると、「サラちゃん」とゼンの声がした。鐘楼の壁に手をついて絶望の表情を浮かべる姿はあたし以上に幽霊みたいだ。 「ゼンさん。大丈夫ですか?」 「大丈夫じゃないかも」 「世界樹の苗木は全滅したんだろう? 魔塔主にはわかっていたようだぞ」  ジゼルが容赦なく言う。 「わかっててもこの目で確かめないと諦めきれないよ。精霊力が漏れ出さないよう結界を張ってあったのに、その林まで全部燃えちゃうなんて」 「あーぁ」というゼンのため息と、「ああ!」というジゼルの脳天気な声が重なった。 「だからこの付近では魔獣を見かけなかったのか。マナが薄い感じはしていたが、結界のせいだったようだな。魔塔の林の結界は境界が曖昧でわかりにくい」  言われてみれば、以前鐘楼に来たとき空気が澄んでいるように感じた。今はマナが入り乱れ、あの静謐な雰囲気漂う高木林は焼土と化している。  足元には炭化した木の枝が転がっていた。世界樹の枝と違うのは、精霊力じゃなくて魔力を感じること。たぶん結界の痕跡だ。 「コトラぁ」  覇気のないゼンの声に、上空から降りて来た白虎は呆れ顔で首を振った。背に乗っていた魔術師はノードのそばに降ろしたらしく、二人で話している姿が見える。ノードは魔術師をゲートでどこかに送ると、すぐこっちにやって来た。 「シドの標的は苗木だったようですね。精霊力が彼の体に宿っている限り精霊師であるわたしの方が優位ですから、世界樹を完全にこの世から消したいのでしょう」 「でも、世界樹の育成地は魔塔主様しか知らなかったはずですよね」 「ゼン以外は」   もちろんノードはゼンを疑ってるわけじゃないけど、ゼンは「アッ」と気まずそうに視線を泳がせる。「魔塔主殿」とコトラが口を開いた。 「あの裏切り者の支部長がシドに教えたのではないですか? 跡地に植えた世界樹の苗木が支部で育てられたものでないなら、魔塔に育成地があると考えるのが普通です。具体的な場所が絞り込めなかったから火の手があちこちに上がっているのでは?」 「苗木の存在を教えたのはアルストロメリアでしょう。が、何箇所も火を放ったのは魔術師を分散させるためだと思います。シドもある程度は精霊力を感知できますから、林の中を調べれば育成地を特定できたはず」  ジゼルは「呆れるな」と、わざわざあたしの肩から飛び立ってノードを見下ろした。 「魔塔を誰でも彼でも出入りし放題にしていたのは理由があるのか? これじゃあイブナリアの二の舞だぞ」 「魔塔建設時に皇家が出した条件です。魔塔敷地内は皇族がいつでも出入りできる状態にしておくこと。敷地を塀などで遮蔽しないこと」  口調は平静を装っていたけれど、ノードの表情には後悔が滲んでいた。それを振り払うように彼は平民街の方へと視線を向ける。湖の向こうに緑の林が見え、その奥に魔塔の三角屋根。 「魔獣が平民街を暴走しています。被害が拡大しないうちにわたしたちも向かいましょう」 「えっ」  ゼンは驚いたようだけど、コトラは察知していたようだった。「ゼン、風翼を」と促して彼を背に乗せる。 「魔塔主様、ケイルは?」 「平民街の治癒院に行ったそうです。市場上空にゲートを開きます」  近距離移動にこれだけゲートを使うのは、それだけ状況がひっ迫しているということだ。ノードはコトラがゲートに入るとすぐさまあたしの手を引き、次の瞬間、地鳴りのような轟音に包まれた。  足元を見下ろすと、普段人で溢れている大通りに獣がひしめいている。土埃を二階まで巻き上げながら、魔獣の群れは雪崩のような勢いで突き進んでいた。人々はなすすべもなく窓や屋根の上からその様子を見守っている。 「魔塔主、さっきみたいにマナ振動波で止めたらどうだ?」 「無理です。中途半端に足止めすると被害が拡大する恐れがあります」 「たしかに玉突き事故になるな」  ――パンッ  銃声に振り向くと、ゼンがコトラの背でワルサーP38を構えていた。あたしがバルヒェット領で使ったワルサーは壊れてバラバラになったから、たぶん新しく(こっそり)作ったやつだ。ゼンの視線の先、屋上に三本テールのイタチ魔獣が倒れている。 「魔塔主様、おれ、路地に迷い込んだ魔獣を片付けてきます」 「麻痺弾では不十分です」 「大丈夫ですよ。コトラもいるし、それにほら」  屋上にいた男が恐るおそるイタチ魔獣に近づき、その首に勢いよくナイフを突き立てた。別の男が麻袋に入れてポイッと二階の窓に投げ入れる。よく見ると、屋根の上にいる人々は何かしら武器を持っているようだった。明らかに中身の入った麻袋があちこちにあり、モゾモゾと動いている袋もある。  ――尻尾を切るなよ。  ――四本だぞ。高く売れるから慎重にやれ。  さすが商売人の町。ピンチはチャンスとはこのことだ。でも、さすがに彼らも大通りの獣は相手にしない。 「あんた魔術師か? その虎は安全なのか?」  イタチ魔獣を仕留めた男がゼンに聞いた。 「みなさーん、おれはリンカ・サーカス団の道化師でーす。この白虎はリンカ・サーカス団の魔獣でーす。ちゃんと言うことを聞くので安心してくださーい。世にも珍しい空飛ぶ白虎でーす。そしてこれはサーカス用の魔法具。ここから玉が飛び出して、当たった魔獣は体が痺れて倒れまーす。起き出す前に仕留めてくださーい」  ゼンは営業用スマイルで手を振って平民街の巡回を始めた。  あたしとノードとジゼルは大通りに沿って魔獣の行方を追っていく。三叉路にたどり着くと貴族街へと続く大通りが封鎖されていた。魔獣たちはバリケードにぶつかりながら川沿いの道を下流方向へと走っていく。
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