魔獣、平民街暴走中、魔塔主は溺愛中

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魔獣、平民街暴走中、魔塔主は溺愛中

 バリケードは貴族街と平民街を結ぶ橋の五十メートルほど手前に作られていた。車輪の外れた馬車、壊れた屋台、木箱や樽などが積み上げられ、魔術で強化されている。  沿道の住宅を守るために平民たちは今もあらゆるものを積み上げ、魔術師がそれに魔術付与をしていた。バリケードは少しずつ拡大している。 「物に付与しないと結界維持できないようだが、あれは低級魔術師か」 「低級ですが、中級魔術師でも結界石なしでの結界維持は難しいです。しかも高レベルの魔獣が体当たりしてくるのですから」  ジゼルは「たしかにな」とノードの言い分に納得しつつ、川向うの貴族街に目をやった。 「こっちは必死なのに、あっちは優雅なもんだ」  対岸の川縁では紳士淑女が花火見物か花見でもするように談笑している。治安隊は身を乗り出す野次馬を抑え込むのに四苦八苦していた。  ――橋を渡るなって、どういうことだ。せめて怪我人くらい向こうに避難させてくれ!  ――橋の封鎖を勝手に決めたのは魔塔だ。文句があるなら魔塔に言え。  ――あそこにいる魔術師が治安隊に聞いて来いって言ったんだよ。受け入れ先も、治癒師の手配も、治安隊を通さないと魔塔じゃ無理だって。  橋の袂で言い合いをしてるのは治安隊員と平民の男。男の腕には血の滲んだ包帯が巻かれている。  ――ダ、ダンッ  激しい音に振り向くと、バリケードを駆け上がった白ヤギが身軽な跳躍で結界を乗り越えた。短い尻尾は何本か分かりづらいけど少なくとも五本。 「逃げろ!」  近くにいた五十代くらいの男性魔術師が叫んだ。治安隊員と平民男性は慌てて駆け出したけど、その時にはヤギは魔力縄で捕獲されていた。ノードが放ったものだ。 「魔塔主様」  あたしとノードが地上に降りると男性魔術師が駆け寄って来る。ノードはあたしを紹介する気がないらしく、すぐ本題に入った。 「よくここで食い止めてくれました。貴族街に魔獣は?」 「この橋を渡った魔獣はいません。他の橋は封鎖していませんが、中級01隊がそれぞれ見張っています。大通りの魔獣はこのまま行けば銀月騎士団第二練武場にたどり着くはずですから、そこで食い止めたいのですが。練武場はかなりの広さなので結界が間に合うかどうかわかりません」  なるほど、と腕組みしたノードに、魔術師は「あの」と躊躇いがちに続けた。 「支部に応援を頼むのは無理でしょうか。向こうは上級魔術師が何人かいますよね。ゲートならすぐ」 「無理です」  ノードは遮るように言い、魔術師は口元に不満を滲ませる。 「ですが、魔塔主様。これだけ広範囲に被害が出ているのです。魔塔主様がいらしてもそれ以外は中級と低級。万が一貴族街に魔獣が行ったりしたら」 「ダチュラ」  ノードが口にしたのは魔術師の名前らしい。彼は唇を噛み、ノードはフゥと息を吐くと無詠唱で防音結界を張った。魔獣の足音が聞こえなくなり、あたしの肩の上ではジゼルがウケケッと笑う。一体何が楽しいんだか。 「ダチュラ。あなたの意見を採用したいところですが、そうもいかないのです。世界樹跡地が襲撃を受け、支部はその対応に追われています。内部の犯行と思われるので、支部の魔術師を迂闊にこっちに連れてくることはできません」 「……内部の犯行? まさか魔塔の魔術師が跡地を襲ったんですか?」  ダチュラは信じがたいというように目を見開いた。 「あ、あの、魔塔主様。支部の魔術師に負傷者などは……」 「怪我人が出ましたがみんな治癒しました。あなたの娘も無事です」  ノードはダチュラの肩にポンと手をおいた。ダチュラは金髪、そして日焼けしたような小麦色の肌。彼女(・・)のことが頭に浮かんだ。 「ダチュラ、今はこの事態を収束することに専念してください。支部でのことは内密に。魔塔の火災はほぼ鎮火したようですから第二練武場に中級魔術師を送ります。あなたはここを守ってください」 「承知しました」  ノードが防音結界を解くとダチュラは作業を続ける平民たちに駆け寄っていった。 「あの男、支部に娘がいるのか」とジゼル。 「どうせわかっているのでしょう?」 「金髪に浅黒い肌。名前も毒草ときたらあの裏切り者しか思い浮かばんからな」  あっ、だからさっきダチュラの名前を聞いたとき笑ったんだ。 「でも、ノード。あの人に内部犯ってことを話してもよかったんですか?」 「魔塔も襲撃を受けたのですから内部犯が支部だけとは限らないでしょう? 彼が関与しているかどうか確認したかったんです。どうやら何も知らないようですが」  さっきまで言い争っていた治安隊員と平民が橋を渡っているのが見え、耳のいいジゼルが「貴族に避難場所の提供を求めるようだ」と盗み聞きの成果を報告した。ノードは風をまとって浮上し、拡声の魔法陣を構築する。  ――魔塔主より魔塔魔術師に通達。現在大通りを暴走している魔獣は銀月騎士団第二練武場へ誘導してください。中級魔術師02から06隊で可能な者は魔塔正門に集合。ゲートで第二練武場に向かい結界を張ります。なお、魔獣が貴族街に侵入する可能性がありますので見物客の方々は念のため屋内に退避してください。治安隊や騎士団に道を開け、彼らの邪魔をしないようお願いします。  皮肉交じりの魔塔主の言葉は貴族街にも響いたはずだけど、野次馬の群れはそう簡単に動かない。 「道を開けても治安隊は来ないだろう。来るのはせいぜい皇太子のところの獣人騎士だけだ。ウケケッ」  ジゼルの毒舌まで拡声魔法に乗り、ノードは苦笑して魔法を解除した。 「魔獣はマナに惹かれます。なので、ジゼル殿はこのマナ石を首にぶら下げて第二練武場まで魔獣を誘導してください」  ノードが亜空間から取り出したのはピンポン玉サイズのマナ石。濃密なマナに刺激されたのか大通りを走る魔獣がバリケードに体当たりをくらわせた。 「おい、魔塔主。いたいけな子猫を暴走した魔獣の鼻先にぶら下げる気か?」 「ジゼル殿なら朝飯前でしょう? 万が一危なくなったら亜空間にしまってください」 「そのマナ石をもらえるならやってもいい」 「構いませんよ」  ジゼルは「いいか?」とあたしの顔をうかがった。普段は好き勝手に動いてるくせに、こうして許可を求めてくるところはなかなかカワイイ。 「無茶しないでね」 「主はどうするんだ?」 「フィリス治癒院に行ってくる。ケイルが無事か確認したいから」  ジゼルは「ああそうか」とケイルのことなど忘れていたように軽く言う。ノードが小さな巾着袋にマナ石を入れてジゼルの首にかけると、さっきまで渋っていた白猫は「久しぶりの魔獣だ!」と喜び勇んで飛んでいった。どうやら狩るつもりらしい。 「ノード。ジゼルはそろそろ上級召喚獣になるかもしれませんよ」 「そうしたら人間に変身してサラさんを誘惑するんでしょう? 困りましたね」 「困ってるように見えません」  ジゼルの姿が見えなくなり治癒院に向かおうとすると、「一緒に行きます」とノードがついて来た。 「魔塔に行かなくていいんですか?」 「中級魔術師が集まるまで時間がかかるでしょうし、ケイルに会っていきます」 「そう言えば、緑陰に協力してもらったらどうですか? 魔獣相手ならオーラ騎士も本領発揮できるんですよね」  あたしの提案でノードはクラウスに残してきた人々のことを思い出したようだった。 「そうですね。オーラ騎士の存在を明かすには良い機会かもしれません。紫蘭騎士団は動いても銀月騎士団は貴族街をうろつく程度しかできないでしょうし、魔塔が処理に苦戦していたところをオーラ騎士が援護するという形はお披露目の場として悪くない気がします」 「悠長に駆け引きしてる場合ですか?」 「余裕がないから駆け引きしてるんです。こうなってしまったからには、できる限り道筋をつけておかないと」 「……それって、どういう意味ですか?」  ノードは「いずれ話します」と笑顔ではぐらかす。 「第二練武場に魔術師を送ったら、一度クラウス領に戻ってきます。サラさんも一緒に来ますか?」 「行きたいけど、ジゼルががんばってるからこっちで待ってます」   返事がないのを不思議に思って隣を振り向くと、ノードが手を伸ばしてあたしの腕を掴んだ。痺れたような感触に違和感をおぼえ、改めて自分の腕を見るとノードの手があたしの腕に埋もれて不自然に重なっている。 「……これ、もしかして世界樹が燃えたせいですか?」 「おそらく。せっかくサラさんの霊力が回復したのに、今度はわたしの精霊力が尽きそうです」  平民街の住宅地上空で、ノードはあたしの頬をなで、キスをする。その手も重ねた唇もフワフワと曖昧で、紺碧の瞳がすぐ目の前で悲し気に揺れた。 「行きましょう。フィリス治癒院はすぐそこです」  ノードの言葉通り見知った広場が目に入った。平民向けの青空教室が開かれ、ナリッサがイタチ魔獣に襲われた場所だ。  路地の奥で建物に囲われた広場は、入口近くに魔術師が立って結界で封鎖していた。避難してきた人と負傷者とでごった返す中に、エドジョーとラビの姿もある。どうやら負傷者の介助をしているらしい。 「エドがいるということはここでサーカス公演がある日だったみたいですね」  降りましょう、とノードがあたしを抱き寄せたとき、すぐ近くで「魔塔主様!」と声がした。 「サラちゃん! こっち」  広場に面した二階の窓からケイルが手を振っている。その声で上を見上げた人々も魔塔主に気づき、魔術師たちは正体不明の女を抱いた主の姿に驚いている。エドジョーもあたしが見えているらしく口が半開きだ。  ノードとあたしは庇の上に降り、ケイルがいる二階の部屋をのぞきこんだ。包帯を巻いた人たちが気怠げに座り込み、奥の方では魔術師が治癒術を施している。 「サラちゃんがここにいるってことは無事に元に戻れたみたいですね」 「ええ、なんとか。ところでケイル、フィリス治癒師との再会は?」  ノードの聞き方にケイルは苦笑を浮かべた。 「再会を喜ぶ余裕なんかありません。おれが行ったときには治癒院はいっぱいで、すぐこっちに来たんです。広場は軽傷、こっちが重傷者。魔術師は重傷者優先で治癒してます」 「ケイルは?」  魔塔主のあいまいな問いに、ケイルは部屋を振り返って顔を曇らせる。 「魔塔主様、せっかく魔塔で新しい治癒術を覚えたんです。使えないのはもどかしい」 「力を使うかどうかはケイルが決めてください。今後のことも考えた上での決断なら尊重します」 「おれはいい。ですが、魔塔主様に迷惑がかかるかもしれません」 「ケイルさん。与えられた力には使命が宿るんですよ」  あたしが口を挟むとケイルの表情が緩んだ。ノードも隣でクスッと笑う。 「そう言えば、サラちゃんは前に会った時と雰囲気が違うな。着てるもんは一緒だけど大人っぽくなった」  ユニク〇ワンピは覚えてるのに髪の色が変わったのに気づかないのはどうかと思う。いい年のおじさんだからそんなものかもしれないけど。 「あっ、しまった。普通はサラちゃんが見えないんだった」  ケイルは今さらのように両手で口を塞いだ。 「ケイル。実は聖女様の御力が増し、姿を見れる者が増えたんです。今では獣人の中にも彼女の姿が見える者がいます。それより、シドが近くにいる可能性があるので力を使うなら十分注意してください。魔力抑制結界を張った個室を使うのがいいでしょう」  ノードは近くで聞いていた魔術師に目配せし、その魔術師は何も聞かず「承知しました」と部屋から出て行く。 「シドはあなたを探している可能性があります。さらわれて利用されるのは嫌でしょう?」 「そりゃあ」  キャアッと悲鳴が聞こえ、広場でどよめきが起こった。振り返ると四本テールのイタチ魔獣が広場中央を駆け回っている。どこから迷い込んできたのかわからないけど、すばしっこい動きと人の多さに魔術師は魔術を発動しかねているようだった。  そうしてるうちに足に包帯を巻いた女の子が逃げ遅れて転び、あたしは数秒移動でその子を抱きしめ――ようとしたけどすり抜けた。  それなら魔力が凝集した尻尾を掴めば――と思ったけど熱波を放つ気配がないから掴めない。二階に見えたノードの魔法陣はまだ構築中だ。イタチ魔獣は女の子の目の前まで迫り、あたしが無我夢中で放ったのは――、 「霊力玉!」  数秒移動のスロー再生の世界で、あたしは八発の霊力玉を放ち、そのうち一発が命中した。下手な鉄砲数撃ちゃ当たる。  ふと気づくと周りの声がノーマル再生になっていた。イタチ魔獣はキョトンとした顔であたしの足に頬をスリスリしてくる。カワ♡ 「もしかして魔塔の恋人か?」  後ろから声をかけてきたのはエドジョーだった。 「おや、さすがネコ科ですね。エドにも見えてしまいましたか」  ノードが茶化すように言ってあたしの隣に着地する。 「エドジョー、色々と動いてくれてるようで感謝します。このタイミングであなたが平民街にいたのは運命ですね」 「のんきなこと言ってる場合じゃないだろ? 大通りの魔獣はどうするつもりなんだ?」 「ジゼル殿が練武場に誘導しています。わたしもそろそろ魔塔に行って作戦を進めないといけません。サラさん、今回上手くいったからといって調子に乗って無茶しないように」 「でも、あたしも役に立てるかも。精霊力の影響でイブナリア王国の人が穏やかだったみたいに、あたしの霊力も、ほら」  大人しくなったイタチ魔獣を抱き上げると、「魔獣が浮いてるぞ」と周りが騒ぎ始めて慌てて地面に下ろした。あれ、なんでイタチに触れるんだろ? 霊力玉のせい?  首をひねるあたしに「くれぐれも調子に乗らないように」とノードが念押しする。 「あたしがやらなくてもノードの精霊力で暴走してる魔獣を鎮静化できないんですか?」 「できると思いますか?」  ノードはあたしの頬に触れる。さっきよりもさらに感触があいまいになった気がした。 「大地に残った精霊力を使い切ることはできません。マナ循環は本当に停止し、世界樹の再生も絶望的になります」 「なんだかずいぶんマズいことになってるようだな」  エドジョーが眉間にシワを寄せた。彼にはマナ循環停止の意味がちゃんと分かっているようだ。 「幸いなことに、と言っていいかわかりませんが、苗木を隠すための結界が火災で消え、大地に蓄積した精霊力の影響が周囲に広がっているようです」 「ああ。言われてみれば、魔獣の足音が少しおさまった気がする」  エドジョーはそう言うけど、世界が崩壊しそうな地響きは今も続いている。  ――魔塔正門前。中級魔術師02から06隊、集合いたしました。  拡声魔法で報告があり、ノードは「じゃあ、行きます」と名残惜しそうにあたしの額にキスしてゲートに消えた。エドジョーは珍獣でも見るようにあたしの顔を眺める。 「あのノードがベタ惚れとは」  そう言うと口の端を歪めてククッと笑った。幽霊相手に独り言を喋るエドジョーを女の子が不思議そうに見ている。 「聖女はずいぶん薄着なんだな。見てるこっちが寒くなる」 「寒いのはあたしの冷気のせいだと思いますよ」 「そうかもしれんが、その下着みたいな格好はどうかと思うぞ。おれなら惚れた女にそんな格好はさせないが」 「ノードも嫌がるんですけど、今は事情があって」  ラブルーンスタイルならロリコンと言われても下着と言われることはない。それをあえてユニク○ワンピにしてるのはシド対策だ。黒髪ならあたしだと気づかないかもしれない。 「魔獣だ!」  広場に緊張が走り、何人か頭上を指さした。青空を一直線に突っ切って行くのは白虎。その進行方向にあるのは銀月騎士団第二練武場。 「コトラか。ゼンも一緒のようだな」 「あたしも行きます。エドジョーさん、また後で」  足に絡みつくイタチ魔獣を抱き上げ、あたしは一人コトラを追いかけたのだった。
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