10人が本棚に入れています
本棚に追加
聖女の霊力はマタタビです
コトラが冷気を吐きながら飛んだら飛行機雲ができるかもしれない――そんなことを考えながら、あたしは周辺の状況を把握するため空に向かって飛んだ。
眼下に広がるのは林と道と家屋でできたアンモナイト状の街。魔塔を起点に、道に沿って魔獣が巻き上げる砂埃も上空から見れば螺旋。緩くカーブした川も螺旋の一部。こんなふうに渦を巻く帝都を見下ろし、魔法陣みたいだと思ったのは巻き添えで召喚されて死んだ次の日だった。
あの時と違うのは大通りを埋め尽くすのが人ではなく魔獣だということ、青々していた魔塔の林が焼け焦げて黒くなっていること。何より、大気中の混沌としたマナがあたしを不安にさせる。例えるなら、ゆっくり深呼吸するように循環していたマナが、今は過呼吸になったみたいだ。行き場を失って、衝突して、あちこちで小さな渦を巻いている。
魔獣の暴走は火災がきっかけに違いなかった。でも、マナの乱れが更に彼らの不安をかき立てているように見える。
魔獣たちは川と並行して走り、その群れの先にある濃厚なマナは間違いなくジゼル。練武場まであと一キロくらいだろうか。
魔獣たちは道幅が狭くなった場所で集落や畑にまで入り込み、収穫を終えた畑を踏み荒らして森の中へと姿を消した。森の先には銀月騎士団第二練武場がある。高度を上げ過ぎたせいで魔術師の姿は豆粒にしか見えないけど、たぶん三十人以上。練武場を囲うようにマナ石が設置されたのも感知できた。結界石だ。
あたしはまっすぐ練武場に向かうつもりだったけど、コトラの気配が森の手前に留まってるのが気になってそっちに向かった。見えてきたのは納屋の屋根に立つ黄色い熊。ゼンはコトラの背に跨り、ワルサーP38を熊に向けて構えている。
――パァンッ!
銃声とともに熊は納屋から転がり落ち、近くを駆けていた魔獣たちが足を止める。その効果は一瞬で、熊も他の魔獣も何事もなかったように森の中に駆け込んでいった。
「ゼンさん!」
「あっ、サラちゃん。えっ、なんで魔獣がいるの?」
あたしの抱いた四本テールのイタチ魔獣を見てゼンとコトラは警戒している。イタチ魔獣は鳴き声もあげずに大人しく抱かれてるのに。
「あたしの霊力で手懐けました」
えっへん。
「霊力でそんなことできるの?」
「だって、できたんだもん。世界樹の精霊力も獣や人間の気性を穏やかにするでしょ。魔塔付近にいた魔獣も、結界が壊れて精霊力が流れ出したおかげで鎮静化してるって、ノードが言ってました」
「へー、なるほど」
納得したらしくゼンはウンウンとうなずいている。
「サラちゃんは練武場に行くところ?」
「はい。霊力で役に立てると思って」
「そっか。練武場に誘導するって、魔塔主様が拡声魔法で言ってたけど、興奮状態の魔獣を一か所に集めて大丈夫か心配だったんだ。マナ振動波を使うつもりかもしれないけど、麻痺状態と暴走状態の魔獣がごちゃまぜになると怪我する魔獣も出てきそうだし。でも、サラちゃんの力があれば大丈夫だね」
「ゼンさんも練武場に行くんでしょ?」
「おれはタラ地区の様子を見てきてほしいって頼まれたんだ」
ゼンはニ十件ほどの小さな集落を見回した。どうやらここがタラ地区らしい。同じ平民の集落でも市場付近のようなレンガ造りではなく木造家屋で、どの家も軒先に朱色や橙色の布が干してある。地面に落ちた布地は泥まみれになっていた。
「ここの集落の男性はだいたい住み込みで働きに出てて、女性が家で草木染をしてる」
「詳しいですね」
構想ノートに書いたんだろうと思いつつ聞くと、
「ここ、ナリッサ様が育った場所なんだよ」
ゼンの言葉であたしは無意識にバラのある家を探した。でも、どこにも見当たらない。
ナリッサ母娘の隣人だったタラ地区の女性たちは、いきなりやって来て家財だけでなく庭先のバラまでごっそり持っていったガルシア公爵をどう思ったんだろう。ローズがタラ地区を住処に選んだ理由はわかる。ローズ自身は平民街で有名になって皇帝の治癒まですることになったけど、娘を巻き添えにするのは避けたかったはずだ。
「ゼンさん、あたしが家の中を確認してきましょうか?」
「もう確認した。でも誰もいないんだよね」
と、ゼンは頭をかく。
「避難したんだろうけど、避難先で魔獣に襲われたら元も子もないし、おれはコトラと一緒に周辺を探してみる。サラちゃんも練武場に向かうついでに森の中に人がいないか見てくれない? もしいたらおれらか練武場の魔術師に伝えて」
「了解しました」
あたしが敬礼すると、ゼンも敬礼を返す。彼は「行こう」とコトラに言い、暴走する魔獣を飛び越えて河川敷の方に向かった。あたしは森を数秒移動でジグザグ走行しながら練武場を目指す。
森の中で見かけるのは魔獣ばかりだった。あたしはシューティングゲームのように霊力玉で魔獣狩り。
ほとんどの魔獣にはあたしが見えているようだけど、彼らが魔力波で攻撃してくることはなかった。ただ、むやみやたらとあたしに飛びついてくる。ほとんどすり抜けるから痛くも痒くもなく、たまに押し倒されても甘えるようにスリスリしてくるだけ。あたしに触れた魔獣は霊力玉をぶつけるのと同じように大人しくなった。。
つまり、下手な鉄砲数撃たなくても体当たりすれば鎮静化できる。
蠢桜にいたヒョウ魔獣ギーのことが頭を過ぎった。あたしがギーに触れても興奮してたのは魔術師の使役魔術のせいだろうか。それともあたしの霊力が足りなかったからだろうか。帝国民の出入りがなくなったバルヒェット領。あの歓楽街は今どうなってるんだろう――。
グアァァ!
「うわぁぁっ」
突然黄色い熊が現れて変な声が出た。あたしに抱きつこうとしてすり抜けてしまった熊さんは、地面に両前足をついてキョトンとした顔でこっちを見る。気づくとあたしに懐いてついて来る魔獣は二十匹近くになっている。
「君たちも魔塔の林に帰らないとね」
抱いていたイタチ魔獣を群れの中に放し、あたしはマナを強く感じる方へ向かって飛んだ。じきに何種類もの獣の鳴き声が聞こえ、魔力がぶつかる気配。木々の合間に見えたのは無数の魔獣だった。
拡声魔法による魔術師の会話が耳に届く。
――道から外れた魔獣がかなりいるようです!
――結界がもちません!
――マズいぞ。森からさらに魔獣の群れが……
森を抜け、魔獣を避けて上昇すると結界内の魔術師と目があった。先に森を抜けた魔獣たちが結界を魔力波で壊そうとしていたらしく、魔術師が三人がかりで結界を強化している。試しに結界に触れてみたけど、やっぱりあたしも入れなかった。
「あの、あなたは?」
真下から魔術師が話しかけてきた。
「聖女です」
「えっ? あっ……」
魔術師が振り返った先には空飛ぶ白猫。「ぼくは聖獣だ!」とドヤ顔で言ったに違いない。
「聖女様はどうしてこちらに?」
「群れからはぐれた魔獣を連れて来たんです。無理して結界を維持しなくても中に入れてもらえませんか? どっちみちこの子たちも魔塔の林に帰すんですよね?」
「それはそうなんですが、まだ結界が完全ではなくて。魔獣を一気に結界に入れてしまったら内側から破壊されかねません。麻痺術で鎮静化させて数十匹ごとに小さな結界で保護してるんですが、その作業がなかなか進んでいないんです」
魔術師の言う通り、練武場全体を囲う結界の内側にいくつか結界が作られていた。
ジゼルは暴走する魔獣を結界内に誘導し、マナ振動波を放つ。魔術師もがんばってるみたいだけど、魔獣を一箇所に集めるのに苦戦しているようだった。結局はマナ石をぶら下げてるジゼル頼みで、延々と魔獣に追いかけられるジゼルはかなり大変そう。
「魔術師さん。とりあえず、この子たちはあたしが大人しくさせるので結界を解いて中に入れてください」
「……大人しくさせると言われましても」
渋る魔術師にイラッとして、あたしは魔獣の群れにダイブした。魔獣たちは我先にと寄って来て、あたしは魔獣の中を泳ぐ。そのうち鳴き声がやんで騒ぎがおさまると、三人の魔術師は目配せし合って結界の一部を解除した。あたしが魔獣を引き連れて練武場に入るとすぐさま結界を張り直す。
「聖女様。保護のためこの魔獣たちも結界に入れさせていただきます。少し離れていただけますか?」
三人の魔術師は五十匹ほどの群れを結界で囲い、あたしはそれを見届けてからジゼルのところに向かった。
「主ぃ!」
ジゼルは魔獣に追われ、半べそで抱きついてくる。
「がんばったんだぞ! がんばってるのに魔塔の魔術師は猫遣いが荒すぎるんだ! ずっと全力で飛んでたんだからな! マナ振動波もぼくがやってやったんだからな!」
「がんばったね、ジゼル。えらいえらい」
ジゼルは満足げになでられながら、足下に群がる魔獣を忌々しげに睨みつけた。興奮した魔獣たちは互いに押し合いへし合い乗っかり合い、ジャンプしてあたしを捕まえようとする。
「さっきから不思議だったんだが、どうして主のとこに集まるんだ?」
「あたしの霊力にマタタビ効果があるみたい。ちょっと見てて」
あたしはジゼルを残して地上に下降し、集まってきた魔獣たちに手あたり次第触れていった。数秒移動で触りまくり、魔獣たちの動きが落ち着いてきたところで浮上する。突然大人しくなった魔獣に魔術師たちは困惑しながら、次々と結界で保護していった。
――聖女様らしいぞ。やはり人ではないようだ。
――聖女様は魔獣使いなのか?
――あの白猫は春頃から魔塔をうろついてたが、まさか聖女様の従魔とは。
「おまえら、雑談するなら詠唱しろ。か弱い仔猫に頼ってばかりで恥ずかしくないのか?」
「あっ、申し訳ありません。聖獣様」
練武場に流れ込んでくる魔獣は途切れそうになかった。
あたしとジゼルとで手分けして魔獣を引きつけ、魔術師が結界で保護。そんな役割分担が自然に生まれ、魔獣まみれになって作業を続けた。収容数が増えてくると一旦落ち着いていた魔獣がまた騒ぎ始め、そのたびにあたしが飛んでいってご機嫌をとる。
「魔塔主はまだなのか? クラウスに行って帰ってくるだけなのになんでこんなに時間がかかるんだ。捕獲した魔獣を林に戻さないと、いずれ練武場はいっぱいになるぞ」
ジゼルの文句は尽きない。練武場は半分くらい保護結界で埋め尽くされ、新たにやってくる魔獣は少しずつ数が減っているけどまだ終わりは見えなかった。魔術師は練武場外周の結界を解いて保護用の小さな結界だけを残し、何人かは森の中の魔獣を追い出しに向かう。
「サーカス船襲撃の時もそうだったが、魔塔主は肝心な時に主のそばにいない。やはりぼくが上級になって魔塔主よりいい男に」
「変身する必要はありませんよ」
ノードの声にジゼルが「ゲッ」と顔を引き攣らせた。魔術師たちは練武場上空に現れた青と黒の光の渦を見上げ、安堵のため息を漏らしている。
――みなさんよく耐えてくれました。魔塔の林の火災はおさまりましたので、今から魔獣の送還作業を始めます。
「オーラ騎士は来たんですか?」
ノードが拡声魔法を解除したあとに聞くと、「来てくれました」と必要最小限の答えが返ってきた。ねぎらうようにあたしの頭をなで(なでられ感は曖昧だけど)、すぐ地上へと降りていく。
魔獣送還は主にノードとジゼルの役割だった。火災の被害が少ない場所を選んでゲートを開き、ジゼルがマナ石で魔獣を誘導して魔塔の林に連れて行く。あたしは魔術師たちと一緒に魔獣の捕獲係。捕獲と送還すべてを終えて練武場に魔獣の姿がなくなったのは夕方だった。
中級魔術師で残っているのは森の捜索係と結界石の回収係が数人。ノードが練武場に残っているのは、あたしがタラ地区のことを話したからだ。
「ここは魔術師に任せてタラ地区に行ってみましょう。ジゼル殿は……」
練武場を見回すと、白猫が森のそばでこっちにお尻を向けてうずくまっていた。
「ジゼル〜、行くよ」
振り返った仔猫は魔獣を咥えたままこっちに駆けてくる。口元に血をつけ、自分よりふた回りも大きいウサギを軽々運ぶ仔猫に魔術師がぎょっとしていた。
カワイイ仔猫ちゃんはあたしの足元に獲物を置いてドヤ顔で見上げる。
「五本テールだぞ!」
「さすがジゼル〜。お腹へってたんだね」
頭をなでてあげながら、運の悪いウサギちゃんに心の中で「成仏してね」と手を合わせる。ジゼルがウサギの首にガブッと噛みつくと、あっという間に魔力も毛艶もなくなった。とっくの昔に息はない。
「ここの森にもまだ魔獣が残っているようですね。あとで緑陰に来てもらってもよいですが」
ノードは森を眺めて魔獣の気配を感知しているようだった。大気中のマナの流れが乱れてるせいであたしはうまく感知できない。
「緑陰は今どこにいるんですか?」
「獣人には平民街を、オーラ騎士には川沿いを巡回してもらっています。対岸には貴族街と隣接して花街もあるので、万が一にも魔獣が川を渡らないように」
「花街って、ユーリックが入り浸ってた?」
ええ、とノードは苦笑を浮かべる。
「花街は大通り西側の川沿いにあって、魔塔の林のそばから細い橋が二本かかっているんです。通常なら魔獣が林の結界を抜けて橋を渡ることはないのですが、今は結界が十分機能しているわけではありません」
「皇太子はその橋を通って来そうだな。馬は通れるのか?」
食事を終えたジゼルはペロペロと肉球を舐めている。
「一本は吊り橋ですが、西側の橋は幅二メートルほどの石橋です。わたしもユーリックはそこを通ってくると考えています。むしろ、もうこっち側に渡って来ているかも」
ノードは遠くに見える皇宮の丘に目をやった。いつもと違う角度からの眺め。丘には紫蘭宮の城壁だけが見えている。
一方ジゼルは対岸の街並みに目をやっていた。夕暮れのこの時刻、いつもなら川沿いの街灯には明かりが灯っているのに、マナの乱れが影響しているのか点灯しているマナ石ランプは半分程度。そのうち半数はチカチカと点滅している。
「なあ、魔塔主。コトラの気配を貴族街に感じるぞ」
「おや、本当ですね。こっちに近づいているようです。川から遠くなさそうですが」
練武場対岸は貴族街でも外れのあたり。練武場の様子を確認しているのか、野次馬に混じって銀月騎士団の姿もあった。あたしたちの見ている前で対岸の屋根から白虎が現れ、騎士団員が腰を抜かす。
――魔獣だ! 逃げろ!
――屋内に避難してください!
ノードはその光景に苦笑し、ジゼルはウケケッと楽しそう。
コトラの背中でゼンが魔法陣を構築し、彼の口元が光った。たぶん拡声魔法だ。
――えー、帝都民のみなさん。わたしはリンカ・サーカス団の道化師です。被災されたみなさまにお知らせします。帝都オペラ劇場が避難所として開放されました。現在タラ地区からの避難者二十一名を収容しています。治癒師もいますので怪我をされた方、避難を希望される方は橋の袂にいる治安隊に――
「さすが創造主ですね。タラ地区の方も無事のようでなによりです」
「そいつらはコトラが運んだのか?」
「違うと思います。ゼンとコトラ殿がタラ地区に着いた時にはすでに誰もいなかったようですし、森の手前に吊り橋がありますから魔獣が来る前に避難したのでしょう。まあ、劇場側と話をつけたのはゼンでしょうけど」
「さすが口だけ男ですね」
朗報にホッと緊張を解いたとき、
――ドンッ! ドンッ!
鈍い音とともに大地が二度揺れ、森から一斉に鳥が飛び立った。対岸ではゼンとコトラが呆然と上流の方を見ている。
「おい、今のは魔力だぞ。弾け方が跡地の自爆に似ている」
ジゼルが羽を広げて上昇し、ノードとあたしも白猫のお尻を追いかけた。まっ先に目に入ったのは夕日を映す茜色の川面、そこを下っていく波、同じ方向を指差す対岸の野次馬たち。
――橋が落ちた!
――爆発したぞ!
――魔獣だ、魔獣! 魔獣が爆発した!
貴族街では今さらのように人々が逃げ惑っていた。
最初のコメントを投稿しよう!