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グブリア皇帝の戦闘終結宣言と騙された大公信望者
遠目にながめていても埒があかないと思い、あたしは数秒移動で下降してバルヒェット兵に紛れた。彼らが手にしているのは単発銃らしく、前列で発砲した兵士は後方へ回って弾を装填している。「マナ弾ではなく魔力弾に変えろ」とどこかから声が聞こえた。
あたしは兵士の合間を縫って前列へ向かった。バルヒェット軍の中には魔術師の気配も獣人の気配もなく、誰もあたしが見えていないようだ。
「おい、なんか急に寒くなったぞ」
「なんだ、怖くて寒気がしたのか?」
「洒落になんねぇよ。あの魔獣相手に魔術師なしで対応できるか? バンラードのやつら、おれらを騙しやがって。どうせあの魔獣も魔術師団が操ってんだろ?」
「撤退するなんてやっぱり嘘だったんだ。おれらを油断させて、結局これだ。バルヒェットは併合される」
「帝国軍に白旗をあげて助けてもらうか。魔塔の魔術師がいるらしいぞ」
バルヒェット軍は自分たちがやられると思っているようだった。が、裏にアルストロメリアがいるなら狙いはグブリア軍で間違いない。
「おまえら、無駄口叩いてないで構えろ!」
指揮官らしい男の声に兵士らは銃を持ち上げ照準を合わせる。私語がなくなると魔獣の足音が一層大きく聞こえた。
「撃て!」
前列の銃兵が一斉に発砲した。火属性の魔力弾らしくボボボッとあちこちで音をたてて炎が上がったけれど、魔獣たちは無傷。防いだのは馬魔獣に騎乗した上級魔術師のようだ。
先頭を行くその魔術師は、掲げていた剣をひと振りして風を起こした。マントの襟元に赤銅色の星がひとつ。ということは、第一魔術師団所属。
「聞け、バルヒェット兵ども! バンラード魔術師団はこれより東門扉を破ってアルヘンソに攻め入る。城塞の向こうにはすでにバンラードの魔術師と魔獣が上陸して帝国軍と交戦中だ! 我らに続き、帝国軍を殲滅せよ!」
バルヒェット兵は突然のことにポカンとし、魔獣たちは彼らのそばをただ通り過ぎていく。土埃の舞い上がった先でドンッ、ドンッと魔術による衝撃音が聞こえてきた。
「バルヒェットの兵士たち、彼らに続きなさい! 伝説の九尾はみなさんの味方です!」
頭上から聞こえたのはアルストロメリアの声だった。
あたしは慌ててその場にしゃがみ込み、兵士たちの隙間からコソッと上を見る。曇り空のわずかな陽光を遮る巨躯、ゆらりゆらりと揺れているのは九本の尻尾。
――九本テールのキツネ魔獣だ。
――さっき帝国軍の船を攻撃してた魔獣だろう?
――伝説の九尾? 災厄を鎮めたっていう聖女伝説のことか?
――それよりあの女、バンラード大公に似ていないか?
――本当だ。まさか大公の妹か?
魔術師団がアルストロメリアの指示に従った理由がわかった気がした。彼女の見た目、それに加えてルケーツクで飼育していた九尾を連れているのだ。上級魔術師なら魔獣運搬船がアルヘンソ側に接岸したことも、その船に乗っていた魔獣たちが商用門に向かっていることも感知しているだろうし、上手く言いくるめられたに違いない。
ブワッと突風が吹き、突然バルヒェット兵たちが叫び声をあげて逃げ始めた。つられて一緒に逃げたけど、彼らが何に驚いているのかわからない。
「魔獣がデカくなったぞ!」
「踏み潰される前に逃げろ!」
どうやらキツネ魔獣の魔力波で魔獣の群れが巨大化して見えているようだった。マナ経路がないせいかあたしに幻覚は見えないみたいだ。
「バルヒェット兵のみなさん! 魔獣はあなたがたを害しません。銃を持って待機してください。自分たちの手で未来を切り開くのです!」
アルストロメリアはその言葉を残して急上昇し、赤く光る巨大な魔法陣から無数の火球を商用門目がけて発射した。爆発音とともに大地が揺れ、煙で城壁が霞む。が、その煙はすぐさま風魔法で払われた。この魔力はたぶんノードだ。
――バンラード大公はバルヒェットからの撤退を表明した! バルヒェットとグブリアの戦いが終結したことをグブリア皇帝がここに宣言する!
拡声魔法を使ったカインの声は沖合の船まで届いただろう。
「どういうことだ?」
「撤退? アルヘンソに侵攻するんじゃないのか?」
兵士の動揺を見越していたのか、商用門の上に銀色の光が現れた。
「おい、剣が銀色に光ってる。銀色のオーラだ。本当にグブリア皇帝だ」
望遠鏡をのぞいた兵士が口にする。
上空ではアルストロメリアがキツネ魔獣の背で新たな魔法陣を展開し、それを牽制するように城塞近くに青白い魔法陣が構築される。
――わたしはグブリア帝国の魔塔主です。昨夜グブリア皇家の命でバンラード大公と話し合いの場を持ち、その結果バンラード大公は全魔術師団に即時撤退命令を出されました。大公本人も撤退命令を出された直後に王国に向けて出立しています。また、バルヒェット辺境伯の死亡が確認されましたが、その死にはバンラード軍も帝国軍も関与していません。不幸な事故によるものです。
どよめきが起こったのはノードが辺境伯の死を口にした時だった。
「大公が殺したんじゃ」
「でも撤退したんだろう」
「バルヒェットはどうなるんだ」
兵士たちは不安をあらわに銀色の光を見上げている。次に聞こえてきたのはカインの声だ。
――今の魔塔主の言葉が真実である。撤退命令の後に別の命令が下り混乱状態にあるとすれば、それは魔術師シドの策略である。バンラード魔術師団においては大公の命令に背くことなく即時撤退されよ。バンラード王国が魔獣の危機に晒されていることは上級魔術師であれば感知しているはず――
カインの言葉を遮って上空で赤い光と青い光が衝突した。
爆風で川向こうのテントが飛ばされ、興奮した魔獣がそこかしこで奇声をあげる。上級魔術師の気配がパッとみっつとも消えたのは魔法具で魔力を隠したのだろう。撤退することにしたのか、使役魔術が解除された魔獣が次々と密林方向へ逆走し始める。
それを阻むようにアルストロメリアが密林に火球を放った。炎上規模はそう大きくないけれど、幻覚魔術の影響で魔獣も兵士もパニック状態。どれほどの業火がその目に映っているのか、「川に飛び込め」という声とともにドボンドボンと水音が聞こえた。
――落ち着いてください。その炎は幻覚です。
拡声魔法を通してノードが呼びかける。誰かが水属性魔術で炎を消したけど、幻覚にかかった者には大洪水に見えたようだった。さらなる混乱に拡声魔法越しにノードのため息。
――キツネ魔獣は幻覚作用のある魔力波を放ちあらゆるものを巨大化、誇大化してみせます。火災は小火、消火はバケツ一杯程度の水でした。みなさんに幻覚を見せたあのキツネ魔獣を操っているのはグブリア帝国を裏切った魔術師です。シドと手を組み世界の秩序を破壊しようとしています。
「女ッ! 大公とは無関係だったのか!」
地上から九尾に向かって無数の氷槍が飛んでいった。アルストロメリアは炎の盾で防ぎ、兵士たちが一斉に身をかがめる。彼らの景色では炎が地上まで達したようだ。転げ回ってるということは熱さも再現されるらしい。
一方、上空では風翼をつけた馬魔獣が九尾と向かいあっていた。その背には剣を抜いた上級魔術師。大公が推奨した帯剣をちゃんと実行している。
「貴様のような小娘が大公の身内を騙って魔術師団を騙すとは!」
「わたしは大公の身内などとは一言も言っていません。イェルンさんが勝手に勘違いしただけです。それに、壁の向こうで魔術師団が奮闘しているのは感知できるでしょう? 帝国軍に打撃を与えるまたとないチャンスですよ? それを棒に振るのですか?」
「おまえの口車に乗るつもりはない。大公の命令は絶対だ」
うん、間違いなく上級魔術師イェルンは大公信望者。
「なら、なぜ壁の向こうにいる魔術師団員は魔獣の使役を止めないのですか? それが王国のためだからではないですか? 大公もこの状況を目の当たりにすれば撤退命令を撤回するとは思いませんか? 何より、大公から最も信頼を得ているシド様の命令ですよ? 彼が身を隠していたのはこの好機を大公に捧げるためだということが理解できませんか?」
修辞疑問のオンパレード。相変わらずアルストロメリア節は健在だ。
問題は、彼女の言葉で撤退を迷っている魔術師がいるということだった。密林へ戻った魔獣はおそらく半数ほど、アルストロメリア以外にも使役を続けている上級魔術師がまだいる。気配を消したのはどっちに転んでもいいようにだろう。
さらに問題なのはリンデン側の河原から上陸した魔獣の動向に一切変化がないことだった。
向こうにいるのはおそらく魔獣運搬船に乗船していた魔術師。その数は減っていないようだし、魔獣は急き立てられるように商用門へとひた走っている。しかも、騎士団船への中途半端な攻撃と違い、陸上のグブリア軍には容赦なく魔術攻撃を仕掛けているようだった。魔術衝突の気配が間断なく伝わり、爆発音も途切れることがない。
やはり魔獣の群れにシドが混じっているとしか思えなかった。向こうにいる魔術師たちはシドを恐れて離脱できないのかもしれない。シドと同程度の魔力をもつ魔術師もいるようだけど、魔力量なんて闇属性魔力の前では無意味だ。
「もうじきです」
アルストロメリアが口にした。
「シド様が大公のために数年を費やした成果を、ここにいる全員が目にすることになるでしょう。九尾のキツネなど足下にも及ばない、あの――」
イェルンが火球でアルストロメリアを遮った。
「やはりシドはあのバケモノを狙っていたのか。何が大公のためだ。魔力が大公に及ばないからバケモノを自分のものにしたかっただけだろう?」
「魔力量が魔術師のすべてではありません。イェルンさんは黒龍を作ることができるのですか?」
「チッ、……なぜおまえのようなやつが大公と同じ言葉を!」
「誰でも考えることです。どれだけ魔力量が多くても魔術の使えない魔剣士は低級魔術師にすら劣りますから。反対に、魔力がなくても優れた魔術師というのも存在するようです」
アルストロメリアの視線はイェルンではなく東門扉上のノードに向けられていた。
「始まります」
アルストロメリアの言葉にイェルンが背後を振り返り、あたしの周りにいた兵士たちも城壁を見上げる。その視線の先、城壁の向こうから稲妻が天に昇っていった。直後、東門扉全体にバチバチと青白い火花が散って結界が破壊される。城壁の反対側――西門扉でも同じように結界が壊れたようだ。
どうやって? と考える時間すらなかった。
ノードが慌てた様子で「対闇属性結界を!」と叫んだ。けれど、アルストロメリアが放った火球で東門扉は粉砕される。爆煙の中、魔獣の群れが門に突っ込んで行った。その光景に目を奪われた一瞬の出来事――近くで闇属性魔力の気配が弾けた。
「うわぁぁっ!」
絶叫はイェルンのものだ。バチバチと火花を散らしながら馬魔獣とともに落下し、押さえた腕に闇属性魔力の黒い靄が纏わりついている。アルストロメリアとキツネ魔獣はすでに城塞上空に飛び去り、魔力波を放って混乱を拡大させていた。
あたしは数秒移動でイェルンに追いつき、腕にまとわりついた闇属性魔力を浄化した。溺れた人みたいにイェルンはやみくもに魔術を発動し、風魔法で落下地点にいた魔獣が吹き飛ばされ、何匹かは背に風翼をつけて飛び去っていった。本人の背にも風翼が生え、地上五メートルくらいの高さで呆然としている。死んだと思ってるんだろうか?
「もしも〜し、生きてますか〜?」
あたしが目の前でヒラヒラ手を振ったら、ようやく焦点が合った。
「誰だ……?」
「えーっと、聖女? サーカス船襲撃の時の聖女です。バルヒェット兵は魔力がないからあたしが見えないみたいだけど、聖女の力がアップしたのでイェルンさんにはあたしが見えるみたい」
「聖女……?」
「はい。アルストロメリアの闇属性魔術で魔力が使えなくなったみたいだから、あたしが浄化したんです。治癒はできないからその傷は治せないけど」
「浄化……?」
不意に、離れた場所に膨大な魔力が出現した。イェルンが強張った顔で城壁を振り仰ぎ、魔獣たちは危険を察知したのか一目散に密林に駆ける。
「クソ、バケモンがッ……」
「サラちゃん! 危ない、上!」
ゼンの声がした。真上を見るとすぐそばに火球が迫り、イェルンが即座に結界を構築して炎は四方に散って消えた。が、イェルンは力尽きたのかストンと落下し、地面に叩きつけられる直前にコトラが口でキャッチする。白虎は「こっち」と言うようにあたしに視線を寄越し、投石器の陰に駆けていった。待っていたのは魔力ゼロ男ゼンだ。
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