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黒龍の攻略法〜小説で黒龍を仕留めたのは?〜
「あんた、おれと一緒にバンラードに来ないか? 帝国で魔剣士は認められていないんだろう? あんたくらいのレベルなら大公の目に留まるはずだ」
イェルンはあたしが浄化した後クラリッサの腕の傷を治癒していた。その傍ら必至で彼女を口説き落とそうとしている。年代もあたしやクラリッサと同じくらいで、チラチラとその視線が悩殺不②子ちゃんボディーに向けられる。一方、治癒してもらってる方のクラリッサは、
「治癒術公式が雑」
「順序が非効率」
「ベタベタ触らないで」
不本意げに文句を言うばかりで誘いに乗る素振りは微塵もない。商用門を通って続々と押し寄せる帝国軍の中にふと何かを見つけると、「あっ♡」と表情を一変させた。
「ランド!」
イェルンはクラリッサの視線を追い、そこに大柄な狼を見つけて身構えた。人の合間を縫って駆けつけた狼(っぽい犬)は、クラリッサの隣にいる男を警戒の眼差しで見上げてパッと人の姿に戻る。
「クラリッサ、ケガは? 闇属性にやられたようだと魔塔主様が言っていたが」
「あー、やっぱり感知されちゃった? そうなの。でも、サラちゃんが浄化してくれたからもう平気よ」
「おい、治癒してやったのはおれだろ」
イェルンが割り込むと、ランドが「そうでしたか」と丁寧にお辞儀する。ひと回り年上のランドの大人対応に怯んだのか、イェルンは狼狽しながら「あ、まあ、こっちも助かったが」としどろもどろ。
「第一魔術師団の方のようですね。彼女を治癒していただき感謝します。わたしはグブリア帝国皇太子補佐官のランド・アルヘンソです」
「アルヘンソ? アルヘンソ家は獣人家系だったのか?」
「そんなことどうでもいいでしょ」とクラリッサが会話をぶった切った。
「ねえランド、わたしの安否を確認するためだけにここに来たわけじゃないんでしょ? 城壁の向こうは相当なことになってるみたいだけど」
「ああ」
ランドは真顔でうなずくと、遠巻きに様子をうかがっているバルヒェット兵をぐるりと見回した。
「ここの指揮官は?」
壮年の男性が「おれだ」と前に進み出る。
「帝国軍に逆らう気がなければバルヒェット兵はここで負傷者の救護にあたるように。逆らうつもりなら強制的に前線に出てもらうことになる」
指揮官を名乗った男性は誰に確認することもなく「了承した」と答えた。他の兵士たちがホッと安堵の表情を浮かべる。
「じきに治癒師と魔術師もここに到着する予定だ。黒龍とシドは城塞西側に足止めし、こっちに来ないよう努める。クラリッサ、おまえがここを仕切れ」
「えっ」
クラリッサは不満気に口を尖らせたが、彼女とアルストロメリアの戦闘を目にしたバルヒェット兵に異論はないようだ。
「ちょっと待って、魔剣士に後方支援に当たれっていうの?」
「おまえはアルヘンソ家の治癒師だ。それに、これは皇太子殿下の命令だ」
皇太子の命と言われるとぐうの音も出ないようだった。クラリッサはハァとため息をついて髪をかきあげ、「あっちにはノードもオーラ騎士もいるしね」と頭を切り替える。
「わかった。命令に従うから、ご褒美はランド・アルヘンソをちょうだいってユーリック殿下に伝えておいて」
「無事に生き残れたら伝えるだけ伝えてやるよ」
映画だったらここでいい感じのラブソングが挿入されるはずだけど、いま耳に届くのはバキバキ、メキメキ、ドカーンという破壊音ばかり。
「ランドさん、シドは?」
あたしが聞くとランドは首を振った。
「シドはまだ姿を見せていません。ですが黒龍は使役状態にあるので、黒龍の姿を確認できる場所にシドは潜んでいると魔塔主様がおっしゃっていました。スクルースが獣人騎士数名を率いて空と陸上から探してるところです」
「ノードはシドが魔獣運搬船にいないと思ってる?」
「はい。魔獣の群れに紛れて上陸した可能性が高いと。ですが、先ほどリンデン港に中部騎士団船が到着したのでウィロー殿に魔獣運搬船の確認に向かってもらいました」
「そっか、ウィローさんたち無事なんだ」
ホッとため息を漏らすと、「ええ」とランドが力強くうなずく。中部騎士団船が無事のようで安心したけど、ゼンはその朗報を聞いても難しい顔で腕組みしていた。
「ゼン、黒龍の攻略方法でも考えてる?」
クラリッサが顔をのぞき込んだ。
「あっ、うん。黒龍が使役状態にあるっていうから」
「何か問題がある? それとも名案が浮かんだ?」
「どっちかって言うと前者かな。使役された魔獣を止めるには、魔獣が倒せるレベルなら直接攻撃、倒せないレベルなら術師を攻撃するのが定石だよね? 黒龍が簡単に倒せるわけないからシドを殺すか使役魔術を妨害するしかない」
ランドもクラリッサもうなずいて聞いている。
「だけど、シドを殺しても黒龍を止められない可能性もあるんじゃないかと思ったんだ。ギュギュがそうだったみたいに、黒龍にも何か魔術が付与されてるんじゃないかって――」
「正解だ」
イェルンがパンパンと手を叩いた。
「黒龍にも奴隷紋があるの?」とあたし。
「奴隷紋?」
イェルンは不思議そうに首をかしげているから、どうやら魔獣に奴隷紋を使うのは一般的ではなさそうだ。
「奴隷紋のある魔獣をシドが連れてたの」
「……ああ、そう言えばシドがそんな実験をしてると師団長が言ってたことがあった。やつにとって魔獣は実験体だからな。あのバケモノもそうだ。黒龍の額にあるマナ石には特殊な魔術が付与されてる。ひとつはシドを使役優先者に指定するもの。それから、使役開始構文と使役終了構文が決められていて、それは限られた者しか知らない」
「イェルン殿は知ってるのか?」とランドが聞くと、赤銅色の星一つの彼は「残念ながら」と肩をすくめた。
「魔獣運搬船に乗ってたやつらは知ってるはずだが」
「今はシド以外が使役することはできないってことだよね。シドが使役終了構文を唱えない限り誰も割り込めない」
ゼンが確認するように問うと、イェルンは「残念ながら」と繰り返す。
「使役者が死んだ場合は?」
「最後の使役命令から二時間経てば別の魔術師が使役できる。だが、それまでは最後の命令をひたすら続けることになる。シドが〝動くものを殺せ〟と黒龍に命令したまま死んだら、二時間は殺戮が続くってわけだ」
全員がその光景を想像したのか沈黙が落ちた。でも、あたしの頭を過ったのはヒョウ魔獣のギーのことだ。
「黒龍は自分が傷ついても命令を守ろうとするよね、たぶん」
ポツリとこぼすと、ゼンが慰めるように肩を叩こうとしてすり抜ける。恥ずかしそうに行き場を失った手をプラプラと振った。
「サラちゃんの見た未来では金色のオーラで黒龍の動きを封じたんだっけ?」
「未来?」
イェルンだけでなく、聞き耳を立てていたバルヒェット兵たちも怪訝な顔をしている。魔力のない一般兵にあたしは見えていないけど、『サラちゃん』という『聖女』らしきものがこの辺にいることは察しているらしい。
ゼンが未来視と災厄の予言を簡単に説明している間、あたしは城壁の上にのぞく黒龍の横顔に目をやり、小説を頭の中で思い返した。
――左右に黒光りする大きな二本の角、それとは別に、額に三本目の角のような出っ張りがあった――
ふと過った一文に違和感を覚える。城壁の向こうに見えているのはギョロッと見開かれた目、額から突き出した大きな一本の角。左右の角なんてどこにも見当たらない。
「……ゼン。あの黒龍は未来視の黒龍とは違う個体かもしれない」
「えっ?」
「角の数が違うし、それに隻眼でもない。そもそも魔獣討伐エピソードは何年も先のはずだったから、この時期ならまだ子どもか産まれてない可能性だってある」
「それは折り込み済みだよ」
ゼンはあたしを安心させるためなのかニコッと笑った。
「シドは最強の黒龍を作ろうとしただろうから、未来視の黒龍よりこっちの黒龍が弱いに決まってる。でも、最強の黒龍を倒した方法は参考になるよね? ナリッサ様はどうやったの?」
「……金色のオーラで黒龍を仮死状態にしたの。ゼンの麻痺弾みたいな感じだと思う。でも、黒龍が予想より早く動き出して」
油断したユーリックが怪我をした――と口にするのは不吉だからやめた。
今改めてあのシーンを思い返すと、ノードは黒龍を使役する魔術師に直接攻撃を加えていなかった気がする。魔術に詳しい魔塔主が使役された魔獣の攻略法を知らなかったとは思えない。
相手がシドだからだろうか? 二百年ぶりに再会したイブナリア時代の仲間を攻撃できなかった?
「じゃあどうやって黒龍をやっつけたの?」
ゼンの声で刹那の思索から引き戻された。
「あ、えっと、ナリッサは黒龍じゃなくて魔術師にターゲットを変更したの。金色のオーラで術者の動きを止めて、ユーリックがとどめを刺した」
そう解釈した読者が多かったようだけど、魔術師が絶命するシーンは描写がかなり曖昧だったのだ。
――破れた濃紺のローブ、血の滲んだズボン。そんな格好でもノードは相変わらずノードだ。わたしの要求に渋い顔をしながらも優しく手をとり、ゲートを一気にくぐり抜けると目と鼻の先にあの魔術師の姿があった。
「ククッ、自ら足を運ぶとはずいぶん愚かな聖女だ」
魔術師は予想通りわたしの腕を掴む。グイッと引っ張られた勢いのまま両手を男の体に押し付け、力の限り金色のオーラを放った。目を瞑っているのに視界が真っ白になり、男の叫び声は遥か遠く別世界から聞こえてくるようだ。
緻密に操れば人々を治癒できる亡国の力は、制御することなく強引に注ぎ込めばマナ経路を簡単に破壊してしまう。この男はきっともう魔術が使えない。
それだけで済むだろうか?
金色のオーラを与え過ぎてしおしおと萎びてしまったあのバラのように、この男も……。
この光と思考だけの時間がいつまで続くのか見当がつかなかった。もしかしたら魔術師と一緒にわたしも死んでしまったのかもしれない。いや、死がこんな穏やかな感覚であるはずがなかった。炎に包まれ、悶絶しそうな熱と痛みの先にあったのは――
「ナリッサ!」
肩を揺すられ目を開けるとお兄様の顔があった。一瞬どこにいるのか見失い、二度目の人生を生きているのだと思い出した。
「ナリッサ、もう手を離していい。終わったんだ。すべて終わった」
「……終わった?」
「ああ」
ガチガチに強張ったわたしの指をお兄様は両手で包みこんだ。兵士たちがわたしとお兄様を称える勝利の歓声をあげている。
「すまん。おまえの頬にまで返り血が飛んでしまった」
手のひらでわたしの頬を拭うお兄様の肩越しに見えたのは、剣に貫かれた魔術師が血を流して黒龍の背に突っ伏している姿。その傍らでノードが手にしている大きなマナ石はきっと黒龍の額にあった角。
「ナリッサ様のお手柄ですよ」
冗談めかした口調とは裏腹に彼の碧眼はいつになく悲しげだった。魔術師と黒龍の死を悼んでいるわけではなく、おそらく金色のオーラを破壊に使ったからだろう。
ノードがわたしを『聖女様』と呼んだのはいつが最後だったか――
「ゼン、ナリッサに危ないことはさせないで。ナリッサは治癒師だから」
あたしが言うと、「そんな事考えてないよ」とゼンは苦笑する。
「サラちゃんの未来視とは状況が違うからナリッサ様じゃなくてもシドの動きを止めることはできる。黒龍のマナ石に付与された魔術もどうにかなるかもしれない」
「さっきおれがやられたアレか」
「わたしがやられたやつね」
イェルンとクラリッサが口にした。
「うん。闇属性魔術はシドにも黒龍にも有効だからね。厄介なのは黒龍の硬い鱗だけど、マナ石に付与された魔術を破壊するだけなら鱗の上からでもできると思う」
「ゼンがやるの?」
クラリッサが聞くとコトラが「無理です」と即答。
「闇属性魔力の錬成は他の属性よりも多くのマナが必要です。ゼンではまったく量が足りません。黒龍の動きを止める前に穴という穴から血を流して死にます。サラ殿、魔塔主殿はまだ闇属性が使える状態ですか?」
「無理かもしれない。昨日エリスティカに行ったとき、浄化力が回復してきて闇属性魔力が維持できなくなったって言ってた」
ゲートでイヌエンジュかネヴィルさんを連れて来るという手もあるけど、
「たぶんリンデン城塞に闇属性を使える魔術師がいると思います。ランドさんは聞いてませんか?」
イーサが派遣したと言っていた闇の森の住人。やはりランドは知っていたようだけど、「いるにはいるが」と、あまり乗り気ではなさそうだ。
「闇属性が使えることは明かさないという条件で協力してもらっているのです。危険なことはさせられないし、それに彼らは運動神経がちょっと……」
魔獣のいない闇の森にこもっていたら運動する機会はないのかもしれない。食料を狩るにしても魔術があるわけだし、番人のネヴィルが特別なのだろう。
「ねえ、アルストロメリアを味方につけれないかな」
ゼンの言葉に闇属性被害者の二人が「はあっ?」と揃って不満げな顔をした。
「ゼン。この血! この血を見てもそんなこと言うの?」
クラリッサが血だらけのローブをゼンの目の前に突きつける。
「クラリッサの気持ちもわかるけど、でも致命傷じゃないよね。闇属性の傷は無属性化すれば治癒できることも、サラちゃんが闇属性魔力を浄化できることもアルストロメリアは知ってた。それなのにとどめを刺さなかった」
「だからって、あの子は世界樹跡地を襲撃した上に陛下の乗ってる中部騎士団船を沈めようとしたのよ」
「クラリッサ、ちょっと冷静に考えてみてよ。陛下も中部騎士団船も無事だし、むしろバルヒェット沖に足止めして魔獣運搬船から遠ざけようとしたようにも思えない?」
「思えない」
「世界樹跡地の襲撃だって人的被害はほとんど出てないんだ。使役されてたのは一本テールのリスやウサギばかりだし、モンリックヴィルの毒針は保護具で覆われてた。アルストロメリアが殺したのはジギタリスくらいだよ。シドの手先だったジギタリスを殺して闇属性魔力の情報がシドに伝わらないようにした。シドが闇属性を使えるのはおれの闇属性魔術が解析されたからだ」
「自分のミスを堂々と」
クラリッサが呆れる横で、「ジギタリスだと?」とイェルンは色々聞きたげ。が、「お金で雇われてたみたい」とひと言で済まされる。
「ゼン殿」
ランドは厄介な客を相手にするクレーム担当者みたいな顔をしていた。
「ゼン殿の言いたいこともわからないではないが、彼女は裏切り者だ」
「ランドさん、東門扉と西門扉を破壊したのはアルストロメリアです。商用門が筒抜けになっていたおかげで帝国軍はスムーズに逃げて来れたと思いませんか?」
「結果的にはそうだが、アルストロメリアが意図してやったとは言い切れない。憶測で裏切り者を信用するわけにはいかないし、味方に引き入れようにもあれだけ目立っていては接触したのがすぐシドにバレる」
「そう、問題はそこなんですよね」
ゼンとランドの視線の先では馬魔獣に乗ったアルストロメリアが空を飛んでいる。そのとき城壁の向こうに幾筋もの稲妻が走り、ドンッ、ドンッ、と落雷の音とともに地面が揺れた。
「黒龍は天候を操れるの……?」
クラリッサが呆然と空を見上げている。わずかに見えていた青空は完全に消え失せ、鈍色の雲がぐるぐると渦を巻くように刻一刻と発達していた。
風が強まり、川向こうではバルヒェット兵たちがテントを押さえ、密林の木々はバサバサと千切れんばかりに枝を揺らしている。叫び声や破壊音が風音でかき消され、そばにいるゼンが何を言っているのかも聞き取れない。
「……げて! サラちゃ……」
ゼンは懐からワルサーP38を出しあたしに向けて撃った。狙ったのがあたしじゃないなら――。
振り返った瞬間ゾッと悪寒が走った。
目の前にシドの顔があり、反射的に逃げようとしたけど縄で体が拘束されている。あたしの周りだけ風がおさまったのはシドの結界内に入ったようだった。ゼンが撃った弾は外れ、縄抜けしようともがけばシドはククッと愉しげに笑う。
「サーカス船では火球が効かなかったが、魔力付与した物質なら有効なようだ。それにしても聖女殿がこんな場所にいたとは。ノードと猫の近くを探しても見つからないわけだ」
「……あたしに何の用?」
「そりゃあ、ノードの弱点を手に入れておいたほうが有利だろう? 行くぞ」
縄で括られた非力な幽霊は、紐のついた風船みたいなものだった。どうしようかと考えていたら、突然ゴウッと突風が吹きつける。
「結界は解いたぞ!」
イェルンの声。直後、あたしとシドを繋ぐ縄にクラリッサが炎の剣を振り下ろした。が、その刃が縄に届く前にドンッと風の塊に跳ね飛ばされる。ランドが人並外れたジャンプで彼女を受け止めた。
「バルヒェットの兵士ども、死にたくなければ大人しくテントにこもっていろ」
シドの指輪がバチバチと稲妻を散らしている。
――主!
どこかからジゼルの声が聞こえた気がした。姿は見えないけど、建物を縫うようにジゼルの気配がこっちに向かっていた。
「猫が動いたか。ノードはいつまで我慢できるかな」
シドがボソッと何かつぶやき、黒龍がこっちを向いた。メキメキッと音がして東門扉の脇の壁が一気に崩れ落ち、黒龍の足が見える。そこはちょうどジゼルの気配があった場所――。
「ジゼルッ!」
「心配するな。猫はまだ死んでない」
シドは風翼をつけると黒龍の起こした風に乗った。縄に縛られ連れ去られるあたしを、白虎が追いかけて来る。
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