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予言と現実との違い〜孤独な災厄〜
雷撃でコトラを追い払うと、シドは変わり果てたリンデン城塞を見下ろして言った。
「おれはおまえが予言した災厄らしいな。どうだ、災厄としては合格か?」
あたしは目の前の光景に言葉を失う。
つい一時間ほど前はゴチャゴチャと堅牢そうな建物が並んでいたのに、そのほとんどが踏み潰されて一帯が瓦礫の山。魔術師が結界で凌いだ一部の建物からは負傷者が溢れ、動ける兵士が畑に退避して体勢を整えようとするも暴風と落雷に阻まれる。魔術師が黒龍に火球を放ち、風で軌道を狂わされて雲の中に消えた。
唯一のグッドニュースは黒龍以外の魔獣が激減していたことだ。使役していた魔術師の気配が忽然と消え、魔獣たちは強大な黒龍の魔力を恐れてかニラライ河方向へ逃げている。城塞近くに取り残されているのは怪我を負った魔獣ばかりだった。それも暴風で巻き上げられ、いつまで息があるかわからない。
「あたしの見た未来とは全然違う」
「ほう、どう違うんだ?」
「黒龍を操ってた魔術師はこんなふうにやみくもに力を使わなかった。帝国軍だけじゃなくバンラード軍や他の魔獣まで巻き込むから使えなかったんだと思う。あなたが黒龍に手当たり次第破壊させるのは仲間がいないからでしょ? 魔獣を使役してた上級魔術師たちも逃げたみたいだし」
カーキ色の魔術師団のマントが二枚、風に飛ばされていた。マントを捨てればバンラード魔術師団か魔塔の魔術師か判別のしようがない。
「知ったふうなことを」
シドは鼻で笑い、あたしを連れて黒龍の背に着地する。
「二百年前と同じだ。あの男は惚れた女が危機に瀕しても王を優先した。背後に皇帝を守っている限り、ノードはあそこから動けない」
シドが指さしたのは、辛うじて原型を保っている商用門南側(リンデン城側)の建物。ノードと数名の魔術師がそこを護るように魔法陣を展開していた。
あたしを見てもノードに動揺する素振りがないのは、すでにシドに囚われたのを感知していたのだろう。
シドが黒龍に命じたのか風と雷が止み、魔力のない兵士たちが続々と物陰から顔を出した。その中にはユーリックとオーラ騎士の姿もある。銀髪の男主人公はあたしと目が合うなりパッと剣を身構えた。
「サラ殿を放せ!」
その手の剣は銀色の光を放っているけど、総指揮官を任された彼もそう簡単に動けない。馬魔獣に乗ったアルストロメリアがオーラ騎士を牽制するようにユーリックと黒龍の間に着地した。それを見ていたシドがフンと鼻を鳴らす。
「魔剣士などに九尾を殺されるとは」
彼は冷めた目でアルストロメリアを見下ろしている。
「あなたにとってはアルストロメリアもだたの駒なの?」
「当然だ」
こちらを見もせず答え、あたしはムカッときた。
「どうして大公を裏切ったの? あなたがバルヒェットを統治する予定だったんでしょ? どうしてそれを自分でめちゃくちゃにしたの? 世界樹を燃やせばマナ循環がおかしくなることもわかってたんじゃないの?」
「質問の多い女は嫌いだが、答えてやってもいい。おまえの男と張り合うのがバカバカしくなっただけだ」
シドの目は相変わらずアルストロメリアに注がれている。
「ノードのこと?」
「それ以外に誰がいる。あの男は銀色のオーラを手懐け、金色のオーラまで手に入れていた。男一人かと思ったら皇女もだとは。イブナリアの血族を密かに匿ってグブリア皇家に渡すなど、恐ろしいことを思いつくものだ」
「勝手に勘違いしないで。ノードはナリッサがイブナリアの末裔だって知らなかった」
「そんなことはどうでもいい。やつがすべての力を――魔力だけでなく金銀のオーラ、そして世界樹の精霊力に加え闇の力まで手にしているという事実は変わらん」
シドの冷笑が不覚にも胸に刺さり言葉に詰まった。
「主! 目を閉じろ!」
ジゼルの声に振り返ったとき、瓦礫の上から巨大な火球が放たれた。シドはクッと笑い声を漏らし、魔力の盾のような結界で攻撃を弾く。
「シド、後ろ!」
声はアルストロメリア。反射的に背後を振り返ると、スクルースの剣が今にもシドの背を斬ろうとしていた。
「クソッ、雑魚が!」
シドが後方にジャンプした拍子に縄に縛られたあたしもグイッと引っ張られた。重さがないからか扱いがずいぶん雑だ。スクルースの舌打ちが聞こえたけど、その剣は血で赤く濡れている。
「今日こそ焼鳥にしてやろう」
シドの指輪から雷撃が放たれ、スクルースは黒龍から飛び降りた。落下途中で鳥化すると、黒龍の巨体に隠れながら地上へと降りていく。その着地点で白猫がこっちを見上げていた。怪我したのか、お尻のあたりが赤くなっている。
「猫と鳥で謀ったか。おまえが本当の聖女なら脅して治癒させるのだがな」
シドが斬り裂かれたマントを鬱陶しそうに脱ぎ捨てる。スクルースが斬りつけたのは左の肩口から上腕にかけてだけど、魔術付与された革製のベストで肩は保護されていたようだ。二の腕あたりに血が滲んでいる。
「せっかく本物の聖女がいるんだ。試しに治癒させてみるか」
嫌らしい笑みを浮かべ、シドは負傷者溢れる商用門北側(ニラライ河側)の建物へと下降していく。ナリッサは隠すことなく金色のオーラを使い、彼女を守るように魔術師が魔法陣を構えていた。ユーリックもシドの意図に気づいたらしく、オーラ騎士を率いてナリッサのところに向かっている。
「シド!」
馬魔獣に跨って壊れた西門扉から現れたのはイェルン。それを見たシドがハハッと声を出して笑った。
「魔術師団がグブリアにつくとは。なるほど、これが予言との違いか」
イェルンの後ろからはゼンとコトラも姿を見せ、シドは笑いながら無造作に雷撃を放つ。わざと外したのか、当たろうが当たらまいがどうでもよかったのか、雷撃は半壊状態だった建物を粉々にしただけだった。隠れていた兵士が土埃の中で立ち上がり、治癒師を呼ぶ声をあげる。
「聖女殿の予言でおれはどうなった?」
「……死んだ」
「そうか。だとすれば、予言と異なる今の状況はおれにとっては僥倖というわけだ。一人も仲間がいないなら、おれは人質をとられる心配がない」
「大公を縛って連れてくれば良かった」
あたしの言葉にシドはフッと笑う。
「バンラードとグブリアの戦争が始まるだけだ」
ポツポツと雨が落ち始めてシドの体を濡らした。彼はあたしを連れて魔術師たちの前に着地すると、詠唱して目の前の魔法陣を次々解除していく。闇属性で破壊する時のように火花が散ることはなく、パッと光を発して音もなく消えるだけだった。
「闇属性は使わないんだ」
「おまえに妨害されるからな」
魔法陣を消された魔術師は淡々と新しい魔法陣を展開し、その様子にシドはうんざりしたのか唐突に雷撃を放った。二人の魔術師が後方にいた負傷者の中に吹き飛ばされ、叫び声がいくつもあがる。
「聖女殿に治癒を頼みたいのだが」
シドが声を張り上げると、兵士と魔術師を押しのけてナリッサが姿を見せた。顔も髪も土と埃にまみれ、肩に羽織ったマントの裾から見える深緑のドレスも汚れて土色だ。
「せっかくだから治癒してあげるわ」
ナリッサはシドを睨みつけ、マリアンナを連れてこっちに歩いて来た。あたしと目が合うとパッとそらし、その瞬間あたしの脳裏には小説のあのシーンが頭を過った。
「ダメ! こんな男に金色のオーラを使っちゃダメだから!」
「その通りです」
ゲートの気配を感知したのとノードの声が聞こえたのは同時だった。闇属性魔力の気配があり、体を縛っていた縄から魔力が消えて解放される。次の瞬間、目の前でノードがゴフッと血を吐いた。
「ノード!」
頭が真っ白になり、シドに跳ね飛ばされて我に返る。目に映ったのはシドの剣に貫かれたノード。苦しげに眉を寄せながら、その目は「こっちに来るな」とあたしに言っている。
「生きた女を守れなかったやつが、死んだ女を守るために死ぬとは。闇属性を制御できず自分の服に付与していた魔術まで破壊するなんて、頭に血が上り過ぎたんじゃないか?」
シドはノードの体に突き刺さった剣を抜き、「呪縛から解放してやる」とその剣を振り下ろした。あたしは咄嗟に数秒移動でノードとシドの間に割り込み、稲妻をまとったその剣の鍔をありったけの力で受け止める。手に刃が食い込み、激痛に耐えているのに血は一滴も流れない。
ふと、非力な幽霊がなぜシドの剣を受け止められるのかと疑問が湧いた。薄っすらと魔力を感じ、魔術が間に合わずノードが魔力波で防御しようとしたのだと思い至る。だからといって力を抜くこともできず、あたしはただシドの剣に抵抗し続けた。
周りから声が聞こえていたけど、間延びしていて誰のものなのかわからなかった。縋るように回りを見回すと、駆け寄ってくるジゼルとユーリック、ナリッサもマリアンナもこっちに向かっている。壊れた城塞の奥にデ・マン卿とイーサの姿を見つけた。到着したばかりなのか、驚きで表情が強張っている。
ふと違和感をおぼえて目をとめたのは視線が微妙に他の人とズレているゼン。何を見ているのかはシドが邪魔で見えない。
「……ノード、逃げて」
腕の力が限界に近づき、スロー再生の世界が終わる気配を感じた。その瞬間シドの背後に光が弾け、シドの革ベストが火花を散らす。――闇属性魔術だ。
頭上で白いローブの裾が翻り、赤色の魔法陣を手元に光らせたアルストロメリアと一瞬だけ目が合った。そのとき、視界の端でシドがニヤッと笑った気がした。
「アルストロメリア、逃げて!」
「逃がさん」
シドがあたしに背を向け、ドスッと鈍い音がした。足元にアルストロメリアが倒れこみ、長い金髪が濡れた地面に広がる。彼女の手元で不発に終わった魔法陣がパリパリと地面を凍らせて消え、突っ伏した背中からは血を滴らせた刃が見えていた。
「アルストロメリアッ!」
ゼンが駆け寄ろうとしたけど、シドが倒れたアルストロメリアに手をかざすとピタと足を止める。
「残念だな。この手は脅しではない」
シドは漆黒の氷槍をアルストロメリアに放った。「グッ……」とうめき声を上げ、彼女の体がビクッと跳ねる。浄化しないと――と思いながら、あたしはノードのそばを離れるのを躊躇った。
「主、シドから離れろ!」
突然突っ込んできた白猫が、あたしのパーカーのフードを咥えて風魔法で上昇した。ビル二階くらいの高さで止まると、シドを警戒して結界を張る。
「ジゼル、ノードが」
「わかってる。だが、また主が人質にされたら厄介だ」
ナリッサが金色のオーラでノードを治癒し始めていた。いつからいたのか、二人を囲うように三人の魔術師が結界を張り、マリアンナは結界の外で剣を抜いて身構えている。
シドがあたしに向かって声を張り上げた。
「サラと言ったか。死霊呼ばわりしていたことは謝ろう。おまえが近くにいたおかげでおれは闇属性が浄化されたようだ。闇属性魔力がどれほど辛いか、その気持ち悪さを魔塔主にも味わってもらわないとな」
シドはニヤニヤ笑い、手のひらの上に闇属性魔力の玉を作った。浄化しに行こうとしたあたしを、ジゼルがパーカーを引っ張って止める。
「主、あそこにいる三人は闇の森の住人だ」
耳元でボソッと囁いた。
ジゼルの言葉を証明するように漆黒の玉で結界が壊れることはなく、玉は黒い靄に変わって結界に吸い込まれる。シドは興味深そうにその様子を眺め、完全に黒い靄がなくなるとククッと声を漏らした。
「さすが魔塔主殿だ。どれだけ前から闇属性を研究していた? やはりあの女は死霊術で生み出したのか?」
「……サラは、死霊術とは無関係です」
ノードが青白い顔で上半身を起こした。
「ノード、まだ動いちゃダメよ!」
ナリッサがマントを掴んだけれど、「平気です」とそのマントを脱ぎ捨てて立ち上がる。刺されたのは右脇腹らしく、血まみれのシャツを手で押さえて頭上のあたしを仰ぎ見た。今すぐ飛びつきたい。でも、あたしがいても邪魔になるだけだ。
「突撃!」
不意を突いてユーリックの号令が響いた。オーラ騎士と獣化した獣人兵士が黒龍に向かい、そこには灰色の狼もいる。彼は見事な跳躍で黒龍の尻尾に飛び乗ると、黒光りする鱗の上を駆け上っていった。その光景に既視感を覚える。
「獣人は黒龍の目と口を狙え!」
「一般兵士は腹だ! 魔法剣を使え!」
畑に退避していた兵士たちも剣を振りかざし駆け出した。魔法剣を手にしている兵士は半数くらいだろうか。
――ギャアアアアァアアッ!
黒龍が蝿を払うように尻尾を大きく振った。翼をバサバサと振るい、まとわりついた人間を払い落とす。
ランドはもうじき角にたどり着きそうだった。けれど、黒龍が首を振った拍子に足を滑らせる。落下途中で人化して短剣を投げ、それが大きく開いた口の中に刺さると黒龍は悶えるようにバシンバシンと尻尾で地面を叩きつけ始めた。見ると口の片側が凍っている。
「氷属性の魔法剣か。だが、中途半端な攻撃はシドを楽しませるだけのようだな」
ジゼルは忌々しげに地上を見下ろした。シドは満足げな笑みを浮かべてノードと魔法陣を突き合わせ、ナリッサとマリアンナは壁際に避難している。闇の森の住人は一人しか見当たらないけど、その人がナリッサを守るように結界を張っていた。
「ねえ、ジゼル。アルストロメリアがいない」
彼女が倒れていた場所には血溜まりだけ。
「闇の森の住人がどこかに連れて行ったのかもしれんな。やつらなら無属性化できるだろうが、あの傷では治癒は厳しいぞ」
あたしは闇属性魔力の気配を探したけどそれらしいものは感知できず、代わりに半壊した建物の陰に薄汚れた白いローブがのぞいているのを発見した。
あたしはまた迷っている。
ノードの姿が見えるところにいたい、何かあったら駆けつけられる場所にいたい。でも、ノードの視線が「行け」と言うように白いローブに向けられ、彼はシドの気を引くように魔術を発した。
閃光と熱風。あたしは咄嗟に上空に退避する。光がおさまった後も砂嵐が二人を取り巻き、内部で何が起こってるのかわからない。
「土属性を魔塔主が使うのは初めて見たな。閃光は火属性によるものか。目くらましに火属性を使うとは面白い発想だが、闇属性があるのだから光属性というものがあってもよさそうな――」
「ジゼル」と、あたしは魔術講義を遮る。
「なんだ?」
あたしがパーカーのファスナーを下ろすと、ジゼルは吸い寄せられるように潜り込んだ。そのあと捕獲されたことに気づいてドスドスとお腹を蹴る。
「ジゼル、激しく動いたら傷が広がっちゃうよ」
「そんなものはもう治った。ぼくは聖獣様だからな。血がちょっと付いてるだけで治したがるやつが次から次へと寄ってくるんだ」
パーカーの中でドヤってる聖獣様を連れ、あたしは建物の陰に飛んだ。そこにいたのは二人だ。
地面に横たえられたアルストロメリアは苦しげに顔を顰め、目を閉じたままあえぐように息をしていた。保護色として選んだのか、茶色っぽい服を着た闇の森の少年イーサが彼女の傍であたしにペコリと頭を下げる。
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