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裏切り者の望みと小さな秘密兵器
「聖女様、ご無事で何よりです」
イーサは場違いに無邪気な笑顔を見せた。ジゼルがパーカーから顔を出し、「ウゲッ、闇の森の子どもか」とシュッと頭を引っ込める。が、すぐまた顔を出した。まるでモグラ叩きのモグラだ。
「おまえがその女の傷を無属性化したのか?」
「うん。無属性化したあと止血したんだけど、出血量が多いから希望があるとすれば金色のオーラくらい。さっき白虎と黒髪の変なおじさんが皇女様のところに向かったところ」
「おい、聖女に対する言葉遣いとずいぶん違うぞ」
「だって、聖獣は生きてるよね」
「礼を尽くすのは死者に対してだけということか?」
「ちょっと違うかなぁ。もちろん死者には礼を尽くすけど、死霊は人生に一度出会えたら奇跡って言われる特別な存在なんだ。例えるなら精霊みたいなものかな。ぼくらが死霊術で生み出すのは、死霊ではなく死者の影人形だから」
話している間、イーサはずっとアルストロメリアの頭をなでていた。彼女を貫いたロングソードは壁際に置かれ、仰向けに寝かされたアルストロメリアの腹部には赤銅色の星がついたカーキ色のマントが掛けられている。
「イーサ、このマントの持ち主は?」
「魔力抑制マントを借りてトビアスと一緒にどこかへ行きました。戦闘に参加するつもりのようです。ぼくは戦うのが無理なのでここに残りました。この人も一人で死ぬのは寂しいだろうし」
イーサの口からスルッとこぼれた言葉にギョッとした。
「でも、ナリッサが来れば大丈夫だよね」
「あまり期待しないほうがいいと思います。金色のオーラがどれほどの力を持つかわかりませんが、先ほど魔塔主様の治癒をしているところを見た限り、この人を生かせるかどうかは微妙なところです」
「でも――」
反論しかけたとき、金髪の頭がわずかに持ち上がった。あたしはイーサの向かいに移動してアルストロメリアの顔をのぞき込む。
「し……りょう」
瀕死の状態で口にするのがそれ? と思ったら続きがあった。
「……に、して。わ……たしも、死霊に」
イーサがフゥと大人びたため息を漏らした。
「生きるか死ぬかの別れ道は本人の意思によるところが大きいんです。この人は死にたがってる。ぼくが死霊術師だとわかると、死霊にしてくれと言ってきました。生死の別れ目でこの人はおそらく死を選びます」
カハッと咳をし、アルストロメリアが血を吐いた。口を開けハアッ、ハアッと苦しげに呼吸する。
「お……ねが……。しりょ……」
「アルストロメリアさん、死霊術師が生み出すのは死霊じゃなくて死者の魔力を集めた影なんだ。影になってしばらくは生者と同じように意思を持って動いてるように見えるけど、その状態は長く続かない。闇の森くらい闇属性魔力が充満していたら数年は形を保つけど、ここじゃ人の形をしていられるのはせいぜい数日だよ。それでもいいの?」
アルストロメリアはうなずいたように見えた。もしかしたら呼吸していたのがそう見えただけかもしれない。彼女の口からそれ以上言葉が出てくることはなく、力尽きたように口を半開きにしたまま動きが止まった。イーサは頭をなでながら口元に耳を近づけ、呼吸が止まったのを確認すると彼女の瞼と口を閉じる。
「影とやらにするのか」とジゼル。
「あんなふうに頼まれたら断われないよ。闇の森の外でやるのは初めてだけど、幸か不幸か今はマナ濃度が増してるし、これも縁――」
ドンッと近くに落雷があり、半壊状態だった建物から煉瓦がバラバラと落ちてきた。イーサは結界で凌ぎ、「あっぶなかったー」と頭の土埃を払う。
建物の陰から黒龍の様子をうかがうと、今まさに飛び立とうとしているところだった。小説に描かれていたのと同じようにシドがその背に乗り、彼の手から放たれる雷撃を避けて兵士たちがバラバラと落下する。魔術師が風で受け止めようとしたけど、黒龍の羽ばたきで風が渦を巻き、三本の竜巻が地上と雲とを繋いだ。塵のように風に飛ばされる兵士の叫び声も風音で切れ切れにしか聞こえない。
ノードは銀月騎士に肩を支えられ、青い顔で指示を出していた。魔術師たちの動きがにわかに慌ただしくなり、竜巻に巻き込まれた兵士の救助に散っていく。
「おい、イーサ。ここを離れたほうがいいぞ。おまえの仲間はどうした?」
聖獣様は案外心配性。
「皇族を警護してる。ぼくは平気だから一人にしてもらえるかな? 聖女様は浄化力があるからそばにいると失敗して影ができないかもしれないし、魔法使いの聖獣に魔術構文を聞かせるわけにいかないから」
「主、行こう」
持ち前の好奇心より闇属性魔術への嫌悪が余裕で勝ったようだ。あたしの腹をアクセルだとでも思ってるのか、ジゼルがドスッと蹴りを入れる。
イーサはヒラヒラと手を振り、あたしも振り返してその場を後にした。ジゼルをパーカーに隠し、建物の陰に身を隠しつつ商用門へ向かう。ナリッサがいるのはさらにその先。コトラの気配も同じ場所にあった。
黒龍は上空を旋回しながら雷を落とし、地上からは魔術で応戦している。三本あった竜巻は勢いを増し、そのうち一本は城壁ギリギリで魔術師が防いでいた。
――魔塔主様、ケガの治癒を。
――わたしは平気です。あなたも城塞の防御にあたってください。
ふとノードの声が耳に届き、半壊の建物と瓦礫の合間に黒髪が見えた。
「主、ナリッサのところに行くのが先だぞ」
「わかってるよ。入れ違いになったらナリッサを危険に晒すだけだもん」
ジゼルはもぞもぞとパーカーから出てあたしの肩に乗ると、励ますようにムニムニと頬に肉球を押し付けてくる。
「心配しなくてもシドはそう簡単に魔塔主を殺さない。さっきもナリッサの治癒を妨害しなかっただろう? やつは魔塔主に嫌がらせしたいだけだ。魔塔主が死んだらそれもできなくなるからな」
「でも、ノードはシドを殺すつもりなんだよね」
「だろうな。自分が殺せるのはシドだけかもしれないと魔塔主は言っていた。つまり、シドは世界樹の理から外れた存在ということだろう」
ヒョイと壊れた壁を飛び越えると急に風が強くなった。目の前を飛んでいった鉄柵は西門扉に使われていたものだ。
直径十メートルほどの竜巻が左手に見え、魔術師が集まって進行方向を変えようとしている。その魔術師の中にゼンとコトラの姿もあった。守ろうとしているのはさっきまで負傷者で溢れていたあの建物。外には魔術師以外見当たらないけど、中に負傷者が残されているようだ。
「サラさん!」
竜巻と反対の東門扉側からナリッサの声がした。駆け寄ろうとする皇女を、護衛騎士が腕を掴んで引き止めている。マリアンナの苦労を察し、あたしはジゼルを連れて彼女のところに向かった。ナリッサとマリアンナの他にもう一人、一緒にいる魔術師は闇の森の住人だ。
「サラさん、あの女の人は? 死にそうだって、ゼンが」
あたしはジゼルと顔を見合わせ、「ついさっき」と首を振ってアルストロメリアの死を伝えた。
「……そう」
「竜巻で足止めされたようだな」
「スクロールは向こうがどうなってるかわからないからダメだって言われたの」
「この状況だから仕方ない。それに、ナリッサが行ったところでおそらく助からなかった」
――逃げろ!
ゼンの声がした。竜巻が魔術師たちの結界を押しのけて建物を飲み込んでいく。魔術師たちは巻き込まれないよう退避しながら風魔法で軌道を変えようとしていた。
「ナリッサ様! 逃げましょう!」
マリアンナが有無を言わせずナリッサの手を引いて駆け出した。
「待って、まだ中に人が」
「今戻ってもどうしようもありません。イブナリア王宮を管理してきたウィロー様が結界付与したのですからきっと大丈夫です」
そう言っている間にも竜巻は城塞内にジワジワと侵入してくる。このまま竜巻が城塞を破壊して突き進めば、救護所になっているバルヒェット軍の陣にまで被害が及びそうだった。
「サラ殿!」
コトラが鼻血を垂らしたゼンを乗せて走ってきた。魔力ゼロ男はかなり無理したらしく、血の気の引いた顔で鼻血を拭っている。ぐったりした彼の代わりにコトラが状況を説明した。
「あの竜巻は黒龍の魔力波です。黒龍をどうにかするか、竜巻の魔力をどうにかしないとすぐには消えそうにありません」
ウケッとジゼルが楽しげに笑った。
「主、出番が来たぞ」
「あたし? 使役されてる魔獣はたぶん鎮静化できないよ」
「そうじゃない。ちょっと手を出せ」
あたしが手のひらを出すと、ジゼルは亜空間から取り出した何かをコロンと置いた。デ・マン卿から渡された、月と羽根が交差したデザインのカフスボタンだ。
「何それ?」
興味をそそられたのか、ゼンがコトラの背から降りてのぞき込んでくる。
「黃棘熊も黒龍さえも瞬殺できる暗殺用カフスだ」
「えっ、そんなのどこで手に入れたの?」
「企業秘密に決まってるだろう。主、使い方を覚えてるか?」
「えーっと、この羽根のところを押すんだっけ?」
記憶の曖昧な主を仔猫がうんざりした顔で見ている。コトラは毒の匂いを感知したのか、フンッと鼻を鳴らすとさりげなく数歩後退った。
「主、ちゃんと聞いとけよ。その羽根を回すと小さな針が出てくるんだ。今はやるな。そのあと羽を下向きに押すと毒が出る。主はサッと近づいてチクッと刺すだけでいい」
「船にいる間にこれで殺せたら良かったのに」とゼン。
「今さらだ。別に黒龍用に準備したものじゃないし、あの鱗には刺さらないだろうから粘膜を狙え。口より目だな。口に向かっていったら主はパクっと食われそうだ。腹に閉じ込められて出られなくなるぞ」
「マンガだとそこで腹を切り裂いてやっつけるよね、ゼン」
「サラちゃんは剣を持ってないからなぁ」
「それが見たかったら皇太子を黒龍の口に放り込むんだな。だが、皇太子のオーラでも一度で鱗を貫くことはできなかった。あの鱗、かなり高く売れそうな気がするぞ」
メキメキバキバキ建物が壊れるそばで話す内容じゃない。コトラが呆れ顔でこっちを見ている。
「水を差すようだが、黒龍を殺すなら下にいる人間を避難させるのが先だ。それもシドに悟られないようにしないと」
「だったら、狙いをシドにするか」
「でも、シドが死んだら黒龍はあの状態のまま二時間暴れまわることになるよ。サラちゃんが持ってるそのカフスボタンはシドか黒龍どっちかしか使えないよね?」
「たぶんな。とすれば考えるまでもなくターゲットはシドだ。やつが死んでも黒龍は落ちてこない。死ぬ間際に黒龍に〝落ちろ〟と命令しない限りだが」
ジゼルの余計なひと言に沈黙が落ちる。その命令は黒龍が二時間落ち続けて動かないことを意味するから被害が限定される一方で、運悪く下にいた兵士は死んでしまう。シドが咄嗟にどんな命令を下すか、それとも下す暇もなく即死するか、考えてもその時になってみなければわからない。
吹きすさぶ風の中、馬を馳せる蹄の音が近づいてきた。姿を見せたのは銀色の鎧に身を包んだユーリック。手綱を引いて馬を止めると、残っていた魔術師に叫んだ。
「黒龍がこっちに来る! 城塞を捨てて逃げろ! 魔術師は結界で周囲の者を守れ!」
あたしに気づきながらもキョロキョロとあたりを見回しているのはナリッサを探しているのだろう。金色のオーラを使っていないと居場所がわからないのはユーリックも同じらしい。
「殿下! ナリッサならさっきマリアンナと一緒に東門扉の方に避難しました」
「そうか。サラ殿も無事で良かった。ところで――」
――ドンッ、ドンッ、……ドンッ!
三箇所で魔術が発動した気配があった。ふたつの火球は黒龍の腹に命中したけどビクともせず、そのあとワンテンポ遅れて当たった風魔術で黒龍の動きに変化がある。羽ばたきが止まり、ガクンと高度が落ちた。
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