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世界樹とともに、永遠に
黒龍は地面スレスレで体勢を立て直して着地した。さっきの攻撃が功を奏したのか、城塞内の竜巻は勢力を弱めて半分ほどになっている。他のふたつも確認してみると同様に規模が縮小していた。その竜巻を眺めながら、魔術評論家のジゼルが「ほう」と声を漏らす。
「魔塔主だな。マナ振動波を風魔法と組み合わせて使うのはヤツくらいしか見たことがない」
「あっ、そうか。黒龍に麻痺弾は効かないけど、あれなら鱗で弾かれることなく鱗の隙間から体内のマナに干渉するんだ」
TPOを無視して魔術談義を繰り広げるジゼルとゼン。城塞西側では黒龍を囲うように魔術師が魔法陣を展開していた。黒龍は畳んだ翼をバサッと広げ、今にも飛び立とうとしている。
あたしはカフスボタンの羽を回した。あとはこれをシドの肌に押し付け、その勢いで羽を押せばいい。
「ジゼル、あたし行ってくる」
「待て、主ッ!」
ジゼルの声が遥か後ろから聞こえた。数秒移動でシドの背後に回り、Uターンして首を狙う。――が、自分の甘さに気づかされたのはシドにぶつかった後だった。
あたしの左手はシドの肩に触れているのに、カフスを持った右手はシドの結界に阻まれて届かない。
「懲りない女だ!」
急いで飛び去ろうとしたけど、足首を掴まれてグイッと引きずり降ろされた。
「おまえ、何をしようとした? その手にあるのは魔法具だな?」
そう言えばカフスには保存魔法がかかってるんだった。あたしが触れるんだから結界に弾かれても仕方ない。
――ドンッ、ドンッ、……ドンッ!
さっきと同じ攻撃。火球の熱気が体を包み、黒龍の背が大きく揺れてシドは足を滑らせる。彼はチッと舌打ちすると、あたしの足首を掴んだまま風魔法で地上に降り立った。幽霊じゃなかったら引きずられてパンツ丸見えだ。制服バージョンだから以前ユーリックに見られたピンクと青の水玉。
あたしは逃げようと足掻くフリをしながらもう一度カフスで手首を狙ってみた。が、手首を掴まれたのはあたしの方だった。
「ほう、ノードがこういうものを準備していたとは意外だ。二百年も生きるとやり方も姑息になるらしい」
シドは使い方を知っているような慣れた手つきでカフスの羽を回して針をしまい、あたしの手から奪って革ベストのポケットにしまいこんだ。
「残念だったな」
ニヤニヤ笑いながらシドはゆっくりとグブリア軍の方へ歩いていく。あたしは悪あがきをやめて大人しく状況把握に努めることにした。
畑だった場所には風で飛ばされた城塞の残骸が散らばり、倒れた兵士の上に容赦なくのしかかっている。動ける兵士は剣を構えるか救助にあたるかし、瓦礫に隠れるように移動している獣は獣人兵士のようだった。黒龍の尻尾の向こうで地面に突き刺さった扉の陰からこっちを見ている灰色の大型犬はランド。その隣で犬に話しかけているのはデ・マン卿だ。
「シド、死にたくなければ彼女を離してください」
ノードの声が風音とともに耳に届いた。彼はグブリア軍の最前列中央に立ち、魔法陣をこっちに向けている。
「死にかけたのはノード、おまえの方だろう?」
シドが詠唱すると黒龍が苦しげな呻き声をあげて首をもたげた。左右に展開しているグブリア軍に向かって雷が落ちる。それがすべて魔術師に防がれると、シドは苛立った様子で自らも雷撃を放った。鼓膜の破れそうな轟音がしばらく続き、それが静まった時、
「かかれ!」
兵士たちが一斉に走り出した。シドは黒龍の背に戻ろうとし、それを阻むように上空から火球が降ってくる。馬魔獣に跨ったイェルンがシドを見下ろしていた。
「おっと、シド様はお逃げになるようだ」
イェルンの性格はクラリッサと同類らしい。
「おまえこそ、さっさと撤退すればよいものを」
「あんたの死に様を大公に報告しないといけないからな。それに、サラちゃんを放っておけない」
いつの間にかサラちゃん呼びに昇格(?)。
「フンッ、ならこの女は返してやろう」
無造作に地面に放りなげられ、呆気に取られていたらシドのかざした手に黒い玉が膨張するのが目に入った。イェルンは急上昇して退避し、黒龍は魔力酔いしたのかドスンと地面に突っ伏してしまう。
「あれは魔力がない者には効かぬ! 怯むな!」
ユーリックを先頭に、泥濘んだ地面を蹴って騎馬と兵士が向かってくる。シドは錬成した闇属性魔力を風魔法で拡散し、周囲にうっすらと黒い靄がかかった。あちこちで兵士の剣がバチバチと火花を散らしている。あたしは瓦礫に隠れつつ、カフスボタンを奪還するチャンスをうかがった。
「魔法剣は使うな! 緑陰は前へ!」
銀色の剣を手にした騎士が駆けて来るその背後から、サアッと風が吹いて黒い靄が払われた。ノードが無属性化したのだろう。ついでに黒龍の魔力酔いも回復してしまったらしく、元気よく鳴き声をあげて城塞に雷を落とし、新たな竜巻を生み出した。魔術師の体力も限界なのか、防ぎきれず直撃した雷で建物に炎があがる。
「オーラなど相手にならんわ!」
シドは地面に倒れた兵士から剣を奪い、青い炎をまとわせて横薙ぎに一振りした。炎でオーラ騎士の駆る馬が怯み、大きく前脚をあげて嘶く。振り落とされる騎士もいる中、飛び込んで来たのはユーリックの馬だ。
「獣人か」
シドは馬に向かって魔力波をぶつけた。人化したレニーが腹を押さえて膝をつき、ユーリックは崩れた体勢を驚異的な身体能力で立て直し間髪入れずシドに剣を振るう。シドは咄嗟に剣で受け止めたが、「クソが」と吐き捨てると剣を捨てて後ろに飛び退った。剣は地面の上で真っ二つに折れている。
「グブリア軍の剣は安物のようだな」
「観念しろ、シド」
「観念しろだと? まだどちらが優勢かわからないのか?」
シドが何か唱えると、黒龍は地面から飛び立って羽ばたきで竜巻を生み出した。ユーリックとオーラ騎士は剣を地面に突き立てて風に耐え、一方あたしはなすすべもなく風に吹き飛ばされる。黒龍にぶつかりそうになったところをイェルンにマントでキャッチされた。
「おれがいなかったら雲の上まで行ってたぞ」
「雲の上の聖女?」
イェルンはクッと笑ったけど、すぐ真顔に戻って「こっちだ」とあたしを抱いたまま馬魔獣を乗り捨てた。お馬さんは風翼で城塞の方へと降りていき、あたしたちはその反対側にある瓦礫の陰に隠れる。
コソッと様子をうかがうと、オーラ騎士に混じって魔剣士がシドと交戦していた。シドは防御の合間に闇属性魔力で魔剣士を攻撃しながら、風翼で退避するタイミングをうかがっているようだった。
「サラちゃんは捕まらないよう逃げてくれ。おれはあいつらと合流する」
イェルンが顎をしゃくって指したのは十メートルほど先。畑に突き刺さった扉の陰に隠れている灰色の犬とデ・マン卿だった。声をかける間もなくイェルンは駆け出し、地面に突き刺さった扉の向こうでは稲妻が走って銀の光が弾けた。
元々示し合わせていたのか、ランドと風翼をつけたイェルンが同時に扉の左上方に飛び出して戦闘加わる。そのとき扉が倒れて見えたのは、飛びかかろうとするランドに雷撃を放ったシド、それを防御するイェルン。そして――
「グアアアァアアアアァッ!」
シドの絶叫が響いた。バチバチッと彼の体を覆うように火花が散り、その背後にはデ・マン卿。デ・マン卿の魔法剣がシドの革ベストを貫いていた。彼は漆黒の剣をシドから引き抜くと、ダメ押しのようにもう一度剣を振るう。
あたしは咄嗟に目をつむって耳を塞いだ。どこか別の世界からシドの絶叫が聞こえてくるようだった。
瞼が熱を持ち、これで良かったのだろうかと疑問が頭を駆け巡る。異世界人のあたしがこんなふうにこの世界に干渉して、そのせいでシドは世界樹を燃やして、災厄が終わってもマナ循環はすぐには戻らないだろう。もしかしたら〝白影の生き残り〟は他にもいて、また数年後に隻眼の黒龍が――。
「サラさん」
ふと心地よい魔力の気配がして目を開くと、青と黒の光からノードとジゼルが現れた。
「ノード!」
「うちの聖女様はお転婆が過ぎますね」
「まったくだぞ!」
ノードはあたしを抱き寄せると、「退避を!」と声をあげる。兵士たちは頭上の黒龍を見上げ、五本に増えた竜巻と不規則な落雷を避けながら四方へ散っていった。
地面に倒れたシドのそばにはイェルンが一人残っている。ノードはあたしを連れていくと、感情のない眼差しでシドを見下ろした。
「魔塔主、おれがシドを殺していいか? 魔力のない兵士にやられるとは、ザマァない」
「少し待ってください。闇属性魔力が残っているのでまだ危険です」
シドの服はボロボロに焼け焦げ、地面に突っ伏した顔は泥で汚れていた。黒い靄を纏い、息はあるけど顔を上げる力もなさそうだ。
「……ころ、せ」
「シド、黒龍の使役を解くなら浄化してあげましょう」
「クッ……、ククッ」
シドが笑うのをノードは無言で見ていたけど、ジゼルは何か気になるのかスンスンと鼻を鳴らした。
「おい、まずいぞ魔塔主!」
「先にい……く」
シドの手がだらりと地面に落ち、その手のひらから転がり落ちたのは羽と月のカフスボタン。直後、ゴウッと強い風が吹きつけノードはあたしを抱いて後ろに飛んだ。目の前に竜巻が出現し、それはシドを巻き込んで空へと伸びていく。ジゼルがあたしの服に爪を立てて風に耐えた。
「おい、シドは逃げたわけじゃないよな?」
イェルンがノードに聞いた。
「違います。彼は死にました」
ノードの声は動揺で掠れている。
「おい、魔塔主。どうするんだ。あのカフスの毒がないと黒龍を止められないぞ」
「わたしとウィローであの額のマナ石をどうにかします。闇属性で対応するしかありません」
竜巻は次々と増えて九本になり、そのうち二本は畑を突っ切って街の方へ向かいつつあった。ニラライ河上では一本の竜巻が小舟を巻き上げている。一方で、城塞近くにあった竜巻が火花を散らして収束していくのが見えた。闇の森の住人が力尽きた様子でそばに座り込んでいる。
「闇属性魔力で消したようだな」とジゼル。
「そのようですね。かなり消耗しているようですから落雷を避けながら全部消すのは厳しいでしょう。それに、魔術師が巻き込まれては危険です。やはり大元の黒龍をどうにか――」
黒龍を見上げていたノードがふと息を飲んだ。
「アルストロメリア」
「えっ?」
彼の視線を追うと瓦礫から上空へ向かう人影があった。
ゆるくウェーブのかかった金髪に小麦色の肌。ライトベージュのローブの裾をなびかせ、背につけた風翼。思い出したのはユリエスト峡谷で氷壁再凍結実験をしたときのことだ。崖の上から舞い降りてきた天使みたいな魔塔支部長。あの時と違うのは、彼女が闇属性魔力を漂わせ背につけた翼が黒い靄を棚引かせていること。
誰もが黒龍に向かう彼女に釘付けになっていた。
「影ですね」とノードが口にした。
「あの女がイーサに頼み込んだんだ。死霊にしろと」
「あれは死霊ではなく影です」
「それもちゃんと説明していた。闇の森の外では影は数日と形を保てないと言っていた。あの女、黒龍の魔術を壊すつもりか?」
ジゼルの言葉でゼンとアルストロメリアのやりとりが頭に蘇った。
――アルストロメリアさんなら黒龍を止められる。黒龍の角に闇属性魔力を放つだけでいいんです。
――ゼンさん、なぜわたしがそのようなことを?
――なんとなく、アルストロメリアさんは完全な悪役じゃない気がするんだよね。サラちゃんもそう思わない?
アルストロメリアの動きは生きていた時よりもゆっくりだった。黒龍は最初は簡単に逃げていたけど、行動範囲が使役魔術によって限定されていたのだろう。影が撒き散らした闇属性魔力で徐々に動きが鈍り、地上スレスレまで降りてきたところでアルストロメリアが黒龍の額の角に触れた。その時点でほとんどの竜巻は消え、気づけば雷もおさまっている。
最後に目にした稲妻はマナ石の魔力が破壊される火花だった。黒龍は地面に突っ伏し、体は呼吸で上下しているけど攻撃してくる様子はない。アルストロメリアは黒龍の頭の傍らに立ち、ぼんやりとこっちを見ていた。彼女に瓦礫から飛び出した少年が駆け寄っていく。
「待て! まだ近寄るな!」
兵士が止めるのを無視し、イーサはアルストロメリアの手をとった。
「闇の森へ行きますか? そうすればもう少し長くとどまれるかもしれません」
イーサの問いかけにアルストロメリアは首を振る。視線はあたしの隣に向けられたままだ。
「おい、あの女こっちに来ようとしてないか?」
ジゼルがあたしのパーカーに潜り込み、「逃げるぞ」とドスドスお腹を蹴った。あたしに捕獲されたら逃げられないのに、一人で飛んでいけばいいものを。
「おい、主」
恐る恐る顔を出したジゼルが、すぐそばまで来ていたアルストロメリアに「ニャアアッ!」と叫び声をあげて首を引っ込めた。アルストロメリアの手を握っていたイーサが、白猫の反応に「無礼なやつ」と苦笑する。
「アルストロメリア」
ノードが名前を呼ぶと、薄っすらと闇を纏ったアルストロメリアはパクパクと口を動かした。
「ここはマナが薄いから会話は無理だよ。この人、たぶん魔塔主に消してほしいんだ」
イーサの言葉を肯定するようにアルストロメリアが胸に手をあててお辞儀した。どこからか、「支部長」とすすり泣く声が聞こえてくる。
「アルストロメリア、あなたの体は土に還り、あなたのマナは大気に還り、この世界を巡るでしょう。世界樹とともに、永遠に」
イブナリア王国の送り方なのかもしれなかった。ノードが額に口づけると、アルストロメリアの体はサアッと黒い靄に変わって空へ昇っていく。それは雲の合間から差し込んだ陽光に吸い込まれるように消えた。厚い雲に覆われていた空にはわずかに青空がのぞき、ノードは空を見上げたままあたしをグッと抱き寄せる。
「あなたの体は土に還り、あなたのマナは大気に還り、この世界を巡るでしょう。世界樹とともに、永遠に」
ノードが繰り返した言葉が、あたしにはシドに向けられたもののように思えた。
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