災厄の終わり、新時代の幕開け② 〜伝えられない物語〜

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災厄の終わり、新時代の幕開け② 〜伝えられない物語〜

 先にゲートに入ったユーリックとデ・マン卿が小屋のそばでイーサと何か話していた。イーサの隣には黒猫を抱いたイヌエンジュの姿がある。後ろを振り返るとゆるやかにカーブした下り坂。白猫のお尻が見えて、「ジゼル殿」とノードが呼び止めた。 「すぐ戻る」  白猫は羽を広げて風魔法で上空へと飛んだ。  あの先にあるのは獣人居住区。手前の林の不自然な倒木は数ヶ月前にあったシドとノードの戦いの痕跡だ。周辺は常緑針葉樹が多いからか、季節の流れは感じられない。  あたしがぐるっと三百六十度見回したところで、戻って来たジゼルがノードの肩に着地した。 「ジゼル、何してたの?」 「獣人居住区がどうなったかと思ってな。あの時は気づかなかったが、建物は全然壊れていないようだ」 「シドは建物を避けて攻撃していました。ここの管理者はシドでしたし、施設に被害が出ないよう気を遣ったのでしょう」 「やつがそんな気遣いをするか? それに、やつはあの後すぐここを捨てたんだぞ」  ノードが瞼を伏せたのは、理由を問う相手がもうこの世にはいないからだろう。 「ノードと戦ってた時は、まだ大公から離れる気がなかったんだと思う」  あたしが口にするとノードの瞳が揺れた。 「シドはサラさんに何か話したのですか?」 「どうして大公を裏切ったのかって聞いたら、ノードと張り合うのがバカバカしくなったって言ってました。ノードは魔力だけじゃなく金銀のオーラと世界樹の精霊力と闇の力まで持ってるって。イブナリア王族をノードが隠してたと勘違いしてたみたいだし、きっかけはケイルが金色のオーラを使うのを見たことだと思う。だから、ノードとここでやり合った時点では計画通り自分がバルヒェットを統治するつもりだったんじゃないかな」 「魔塔主に勝てないと悟って破壊することにしたのか」  ジゼルはフンとバカにするように鼻を鳴らしたけど、そう単純なことでもない気がした。むしろ、複雑になり過ぎたから大公との繋がりを無理やり切ったように思える。魔塔主への私怨に大公を巻き込まないために。 「ジゼル殿」  ノードは肩の白猫をちょんちょんと指でなでた。 「ジゼル殿。シドはイブナリアの魔術師だった時に実現できなかったことを、バンラード大公の下でやろうとしていたのかもしれません。魔術師も体を鍛え、剣を携え、有事に備え軍を組織すべきであり、積極的に領土を拡大することで王国は発展する――彼はそう主張していました。穏やかな気質のイブナリア王国民には受け入れられませんでしたが」  ――魔塔主!  痺れを切らしたのかユーリックが大きく手招きしていた。行きましょう、と小屋の方へと歩き出したノードに、あたしは小声で問いかける。 「大公はシドの死を信じたと思いますか?」 「さあ、どうでしょうね」  竜巻に飛ばされたシドの遺体は捜索したけど見つからなかった。ニラライ河に沈んだか、密林の魔獣に食べられたか。亜空間にでも消えたかのように手がかりひとつ見つからなかった。カフスボタンも行方不明になり、シドが戦場に残したのはアルストロメリアの命を奪ったあの剣だけだ。イェルンはその剣を手にバンラード王国に帰って行った。 「今度バンラード大公に会ったら、サラさんの口からシドが話していたことを教えてあげてください」 「バンラード大公に会う機会があるんですか?」 「状況が落ち着き次第、帝国と王国と闇の森で三者協議を設けることになりそうです。放っておいたらバンラード大公がまた闇の森に手を出さないとも限りません。シドの殺害に闇属性の魔法剣が使われたことはイェルンから伝わっているでしょうし、イェルンは影も目撃したのですから。ネヴィル殿の脅しだけでは不十分かと」  帝都の新聞では、シドを殺したのは英雄トビアス・デ・マン、黒龍を死に至らしめたのはグブリア帝国軍ということになっている。どこを見ても『アルストロメリア』『影』『死霊』という言葉は載っておらず、オーラ騎士や獣人騎士、魔術師がいかに奮闘したかだけが報じられていた。  当然あの場にいた者は黒龍の死に様を目撃し、アルストロメリアが黒い靄になって消えたのも目にしている。誰一人としてその話を大っぴらにすることがないのは、『魔術師アルストロメリアが使用した幻術について魔塔の方で分析を進めているので他言しないように』と兵士たちが誤認するようノードが誘導した上で、皇帝が『魔術師アルストロメリアは反逆者であるから』と箝口令を敷いたせいだ。  アルストロメリアに死霊術を使ったイーサは闇の森のお偉いさんからずいぶん叱られたようだった。とは言え、そのおかげで黒龍を仕留められたわけで、イーサは変わらず外部との交渉役を担っている。 「またお会いできて光栄です」  イーサはイヌエンジュの隣でペコッとあたしに頭を下げた。その様子を見ていたユーリックが、「サラ殿には丁寧な言葉遣いなのだな」と呆れ顔。 「皇太子はぼくが年下だからそんなふうに言うんだよね? でも、ぼくは闇の森の代表としてここにいるんだから皇太子とは対等な立場だし、それに意思疎通できればタメ口でも何でもよくない?」 「ちょっと、イーサ」  イヌエンジュが諌めようとしたけど、「イヌもそう思わない?」とイーサは屈託なく返す。イヌ呼ばわりされる姿がユーリックの笑いのツボにはまったらしく、銀髪の皇太子はクククッと腹を抱えて笑った。トロッコ作業員がその様子を不思議そうに見ている。 「皇太子、あそこにいる肉体労働者は獣人ではないようだな」  ジゼルが聞くとユーリックはようやく笑いを止めた。 「ああ、彼らは麓の集落に住んでいるハンターだ。周辺のマナ濃度が上昇したせいでここら辺はむしろ魔獣の生息数が減ったと言っていたが、街の様子がおかしいから集落に留まっていたそうだ。マナ濃度の高い場所でも平気そうだから作業を手伝うよう声をかけた」 「意外だな。バンラード軍はルケーツクをほったらかしていたのか?」 「どうやらそのようだ。獣人作業員が逃亡した上にシドもいなくなり、管理しきれなくなったのだろう。採掘してあったマナ石と魔獣を運び出した後は出入りがなくなったと彼らが話していた」 「で、運び出したマナ石を今度は運び戻しているわけか」  採掘現場に次々と運び込まれているのはバルヒェット港に集められていたマナ石だ。ルケーツク作戦のためここまで馬車で運搬され、そのマナ石に闇属性魔力を込めるべく闇の森の住人五人が引っ越してきた。  作業員たちはエメラルド色の石をトロッコに積み、勢いをつけるとボブスレーみたいにヒョイッと飛び乗る。トロッコレールは露天掘りされた採掘現場の縁に沿って渦を巻くように最下部まで続いていた。途中で別の人(たぶん闇の森の住人)にトロッコが渡され、下の方にある坑道の入口手前まで運ばれていく。  トロッコから降ろして無造作に山積みにされたマナ石の傍らで、闇属性魔力をマナ石に込める作業が行われていた。一人の少年がふとこっちを見上げて手を振ると、イーサが「アハハッ」と笑いながら両手を振り返す。 「友達ですか?」  ノードが聞いた。 「あそこにいるのはみんな友達だよ。ルケーツクは思ってたよりマナが濃くて過ごしやすいって言ってた。みんな闇の森から出たことないし、作業員から話を聞くのが楽しいって。まだ始まったばかりだけど滑り出しは順調だよ、トビアス」  いきなり話を振られたデ・マン卿は「えっ」と狼狽える。 「イーサ殿、デ・マンはまだ自分をただの護衛騎士だと思っている。色々と手続きが煩雑でな」  代わりに答えたのはユーリック。その言葉にデ・マン卿の困惑はさらに深まったようだ。 「殿下、何の話をされているのかおうかがいしても?」  ユーリックは周りを見回し、「まあ、すぐ知れることか」とデ・マン卿に向き直った。主君のただならぬ雰囲気に飲まれたのか、彼はサッと跪く。 「トビアス・デ・マン」 「ハッ」 「この度の軍功をふまえ陛下と話し合った結果、そなたに辺境伯の爵位を授与し、バルヒェット領を任せることにした」 「はっ?」  呆然とするデ・マン卿に、ノードが「おめでとうございます」と声をかける。 「デ・マン卿がバルヒェットを統治されるなら、今後ルケーツク鉱山を管理する魔塔としても安心です。よろしくお願いしますね」  厄介事を押し付けられたと悟ったデ・マン卿は、主君の前に膝をついたまま顔を強張らせていた。 「不服か、デ・マン」 「トビアス、大出世だよ」  イーサが茶々を入れてイヌエンジュに口を塞がれる。 「……不服などありませんが、わたしが請け負っていた任務はどうなるのかと」 「継続だ。リアーナ・フェルディーナを辺境伯夫人として迎え、護衛と監視を続けよ。おれとリアーナの離婚は成立した。ずいぶん待たせたようで悪かったな」 「……は、」  呆然とするデ・マン卿の背にイーサがヒョイと抱きついた。 「トビアス、結婚するんだ。おめでとう」  あたしも「おめでとうございます」と拍手すると、イヌエンジュもつられて手を叩き、聞き耳を立てていた作業員たちがヒューヒューと指笛を鳴らした。穴の下の方で闇の森の住人たちが不思議そうにこっちを見上げている。  ユーリックが騒ぎを鎮めるように片手をあげた。 「紹介しておこう! この者は魔術師シドを倒した英雄トビアス・デ・マン。新しいバルヒェット領主だ!」  ワアッと歓声があがり、穴の底では闇の森の住人たちが楽しそうにピョンピョン跳ねていた。採掘現場を囲う針葉樹林からも魔術師が姿を見せて拍手を送っている。 「応えよ、デ・マン」 「ありがたく拝命し、この地のため、帝国のため尽力いたします」  小説には登場しなかったトビアス・デ・マン。もしかしたらリアーナの護衛騎士として一行くらいは描写があったかもしれない。それがこの世界では災厄の英雄で、皇太子妃との禁断の恋を叶えるなんて。  彼は覚悟を決めるように逆さ樹の刻印された短剣をその手に握りしめ、主君の隣に並び立つ。その姿はどう見ても主役にしか見えなかった。  
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