紫蘭騎士と花街橋上の魔術師

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紫蘭騎士と花街橋上の魔術師

 薄暮の空にひとつめの月が昇り、手提げランプを掲げる人の姿をチラホラ目にするようになった。けれど、街灯と同じく不安定に点いたり消えたりを繰り返している。  崩落した橋は水底に沈み、川面からは瓦礫がいくつか顔をのぞかせていた。魔術師ならそれを足場に川を渡れそうだ。ノードとあたしとジゼルは川の中央にある大きな瓦礫に着地する。 「魔獣の暴走も最初はシドが誘導したのかもしれませんね。大通りを暴走させれば魔獣はこの橋を渡る。そこに自爆装置をつけた魔獣を紛れ込ませて爆破するつもりだった」  ノードの意見にジゼルも「ありえそうだ」とうなずく。貴族街にまで魔獣が入り込んでいたら厄介なことになってただろう。  あの大量の魔獣をどうにかできたのは練武場一箇所に集めることができたから。貴族街はどこも馬車が通れるくらいの道幅があるから、魔獣たちが入り込めば四方八方に散り散りになっていたはずだ。 「今さら橋を壊したのは何のためかな?」  あたしが聞くと、ノードは「ふむ」と考え込む。 「考えられる意図としては平民街と貴族街の分断。――いや、皇家と魔塔の分断でしょうか。魔獣暴走が落ち着いた今、橋が落ちていなければ治安隊と騎士団が橋を渡って来ていたはず。カインは平民街を切り捨てるような人ではありませんから」 「そんな理由か?」  迷探偵ジゼルの推理はノードと違うようだ。 「魔法具を無駄にしたくなかっただけだろう。魔獣が一匹や二匹自爆しただけであの頑強な橋をここまできれいに壊せるはずがない。橋脚にも魔法具を仕込んでいたはずだ」 「それもあると思います。証拠物が水の底というのは残念ですが」  魔塔主様――とノードを呼ぶ声が聞こえた。  平民街側には欄干の一部が残っていて、そのそばで魔術師数人がこっちを見ている。ランプを掲げているのはダチュラのようだ。  ノードは返事の代わりに片手をあげ、対岸に目をやった。バリケードで封鎖されていた平民街と違って、橋の近くにいた貴族や治安隊員に負傷者が出ているようだった。 「貴族街に魔術師を送った方が良さそうですね」  ノードは瓦礫でできた飛び石を渡り、川面からジャンプするとバリケード裏に着地した。あたしとジゼルが追いついた時にはすでに魔術師五人に囲まれている。 「爆破による負傷者は?」 「こっちにはいません」 「爆破の瞬間を目撃した者はいますか?」 「わたしが」と若い魔術師が手を上げた。 「猫がバリケードの裏を歩いてたんです。魔獣ではなく一本テールだったので放っておいたら、そのあと橋の上に駆けていって爆発しました。あれはたぶん魔法具です。爆風が魔力波のようでした」 「猫を爆弾代わりにするとは酷いやつだ」  突然聞こえた子どもの声に魔術師たちが振り返った。ジゼルはすでに魔塔内では有名((猫))。でも、初めて喋るところを目の当たりにした魔術師は顔を引き攣らせている。 「魔塔主、これを見ろ」  ジゼルは小さなお手てでエメラルド色の石を指した。直径五ミリほどの小さな石だ。あたしが拾おうとしたけどすり抜け、代わりにノードが拾い上げる。 「爆破に使われたマナ石の破片ですね。マナはすでに消費されたようです」 「その色のマナ石はよく知ってるぞ。おそらくルケーツク産だろう。しかも魔術痕がある」 「ええ。ですが、この小さな破片ではどのような魔術が付与されていたのか正確にはわかりません」 「破片を集める気か?」  ジゼルは周囲を見回してうんざりした顔をする。ダチュラが手に持ったマナ石ランプをゆっくり動かすと、そこかしこでエメラルド色の石がキラキラと光った。大きくても大豆くらい、小さいものは米粒以下。 「通常の魔術犯罪捜査ならこの石もれっきとした証拠物ですが、そんな悠長なことをしている余裕はありません」  ノードはおもむろにゲートを開き、五人の魔術師の顔を見回した   「あなたたちは貴族街に行ってください。治癒と見回りをお願いします。魔獣だけでなく、不審な魔術師を見つけたら下手に手を出さず報告を」  魔術師たちは「えっ」と困惑の表情を浮かべた。 「貴族街で治癒ですか?」 「平民相手ならまだしも、許可なく貴族を治癒すれば問題になります」 「反魔術派という魔術を毛嫌いする貴族がいると聞きました。そんな人を治癒して万が一後遺症が残ったら……」  続々と不安の声があがり、ノードは顎に手をあて考える。 「では、本人が治癒を拒絶した場合は治癒師に任せてください。それから、治癒の対価を払おうとする貴族がいるかもしれませんが絶対受け取らないように」  魔塔主の指示が覆りそうにないことを察すると、魔術師たちは覚悟を決めたように光の渦に入っていった。その姿が対岸に揃ったのを見計らい、ノードが拡声魔法を使う。  ――魔塔主より。橋の爆破は指名手配中の未登録魔術師による可能性があります。念のため魔術師五名を貴族街に向かわせました。近隣の方は屋内に退避してください。  川縁に野次馬の姿はすでになく、残ってるのは治安隊と怪我人、怪我人を助けようとする優しい人たちだった。さっそく治癒魔法らしい魔法陣が見える。 「あれ、そういえばゼンがいない」  白虎の姿が見当たらないけど、ノードとジゼルは行き先を知ってるような顔。 「コトラはオペラ劇場にいるようです。治癒師を連れてくるつもりでしょう。われわれもそろそろ行きますよ」  ノードは時間を惜しむように風魔法で上昇したあと風翼の術式を詠唱する。ジゼルは羽を広げてノードの起こした風に乗り、川の上空を上流へと向かった。 「ノード、どこに行くんですか?」 「別の橋にも同じ魔法具が仕掛けられているかもしれません。それに、花街の川沿いにユーリックの気配を感じました。オーラを隠していないということは何かあったと考えるべきです」  ジゼルがあたしの隣で興味深そうに林を見下ろしている。 「魔塔の林も銀色のオーラの気配がある。皇太子とはちょうど川を挟んで向かいの、ウゲッ」  ジゼルが急に変な声を出したと思ったらノードが首根っこを掴んでいた。 「何するんだ、魔塔主」 「ユーリックの近くにシドがいます。今さらかもしれませんが、なるべく気づかれないよう上昇して距離をとりましょう」  ノードがローブの前をきっちり合わせて魔力の漏出を最小限にすると、ジゼルは「それなら」とあたしのワンピースに潜り込もうとした。再びノードに首根っこを掴まれる。 「隠れるのはここが一番なんだぞ」 「だとしてもレディーの下着の中はいただけません」  レディー♡  ノードはあたしのワンピースにしがみつく子猫を無理やり引っ剥がし、自分のローブの中に押し込んだ。 「魔塔主、急に魔力を放出したりするなよ。おぬしは感情が高ぶると見境なく魔力を放出するからな」  ローブの首元から耳と目だけ出し、ジゼルはブツブツ文句を言っている。 「多少の魔力は平気でしょう? ジゼル殿はほぼ上級同然ですから」  ノードはあたしを抱き寄せて一気に高度を上げた。  帝都には夜の帳が下り、空には無数の星が輝いている。平民街と魔塔周辺が普段より明るいのは昼間の騒動の後始末をしているのだろう。市場近くにマナ石ランプの光が密集しているのはおそらくフィリス治癒院近くの広場。  貴族街はいつもに比べ街明かりが少ないようだった。マナが乱れてランプが点かないのかと思ったけど、ノードの答えは違っていた。 「辺境地関連の記事に、魔獣が出没した際の辺境地の人々の対応が書かれていました。魔法具の使用を控え明かりは蝋燭で代用するというようなことも載っていたのでマナ石ランプを消しているのでしょう。貴族の新聞購読率はかなり高いですから」 「新聞を読んでいたら騎士団じゃ心許ないだろうな。獣人騎士の採用が加速するんじゃないか?」  ジゼルは馬鹿にするようにウケケッと笑う。  貴族街は治安隊が夜通し巡回をするだろうけど、魔獣相手に治安隊も騎士団も無力だということは誰もが知ってる事実。ノードが送った魔術師五人は、多少なりとも貴族に安心感を与えるだろうか。 「あっ、ノード。もしかしてユーリックが来たのって魔塔に帝都の警備を要請するためかな?」 「平民街と魔塔が混乱している状態で、ユーリックが貴族街に魔術師を寄こせとは言わないはずです」 「じゃあ、応援に来てくれたってことですよね」 「それにしては遅くないか? 魔獣はもう片付いたぞ」とジゼル。 「動きようがなかったのでしょう。大通りは封鎖されていましたし、魔塔の火災がおさまらないことには花街経由で来ても炎で足止めされかねません。消火は魔術師に任せるのが最善です」 「鎮火の報を受けて様子見に来たってことか。野次馬と変わらんな」  あたしたちはすでに花街上空に到達していた。魔塔の林の対岸でキラキラと明かりが点滅している一角が有名娼家街『花街』。  川幅の比較的狭まった場所に細い石橋が架かり、その少し下流で吊橋が風に揺られている。石橋近くの魔塔の林の中に、ジゼルが言っていた通り銀色のオーラの気配が複数あった。 「ノード、あの橋の近くにユーリックがいるんですか? あたしにはよくわからないけど」 「ユーリック殿下だけでなくランド殿の気配もあります。きっと自分の目で状況を把握したかったのでしょう。ナリッサ様が帝都に帰っているか確認したかったのかもしれませんが」 「やっぱりナリッサはついて来たんですか?」  あたしが聞くと予想通りノードは「はい」とうなずく。 「ナリッサ様はトッツィ卿と一緒に魔塔にいます。イヌエンジュとエリ殿はオーラ騎士と」  ノードは話してる途中でグイとローブで包み込むようにあたしを引っ張り、目の前に稲妻が走った。地上から放たれた雷が、バチバチと青い火花を散らして夜空に吸い込まれていく。 「シドに気づかれたようですね」 「気づかない方がおかしい。二百年来の付き合いなんだろう。顔を見せてやったらどうだ」  ジゼルがノードのローブから出てバサッと羽を広げたその瞬間、再び稲妻がそばを掠める。当てるつもりはなく挑発しているだけのようだ。  ――帝国精鋭の騎士団と一流の魔術師が常駐している帝都が、たった一人の魔術師を相手にこのざまとは。  拡声魔法で聞こえた嗄れ声はシドに間違いなかった。  ――まさに高みの見物だなあ、ノード。そんなところでのんびりしてていいのか? また橋が落ちるか、林が燃えるか。ああ、花街が炎上するかもしれんぞ。  川の真ん中あたりにボッと赤い火の玉が浮かび上がった。  ノードは舌打ちすると、あたしが呼び止める間もなく火球に突っ込んでいく。その影を炎が飲み込む寸前、巨大な魔法陣が展開されて炎は四方に散った。熱風が頬をなで、あたしは震えるこぶしをギュッと握りしめる。 「主、平気か? 火事を見ても大丈夫そうだったし、もう問題ないと思っていたが」  ジゼルが心配そうにあたしの顔をのぞきこんだ。  動揺してるのはナリッサの処刑を思い出したからじゃない。ノードの死が頭を過ったからだ。  「平気。あたしたちも降りよう。小説ではジゼルが街を燃やしてたけど、この世界ではジゼルに消火してもらわなきゃ」 「主。言っておくが、消すのは燃やすのより面倒なんだ」 「でもやってくれるんでしょ?」 「やってもいいが、それよりもっといい方法がある。ぼくは先に行くぞ」  ジゼルは風をまとい、花街を目がけて飛んでいった。どうやら詠唱しているらしく、複数の魔法陣を伴って落ちていく様はさながら流星群のようだ。流星は着地直前にパアッと大きく広がり、花街の建物を覆って消える。  地上に咲いた金色の花火が町を包みこむ光景は、上空から見るとショーのようだった。ジゼルが施したのはおそらく耐火魔術。  上空に取り残されたあたしは、シドの目から逃れるために数秒移動で花街の路地に降りた。  上空から路地までおそらく0秒。その間に確認できたのは、石橋の中央に立つシド、川の上でホバリングしているノード。花街側の橋の袂には紫蘭騎士団の姿があり、先頭はランド、斜め後ろにユーリック。ジゼルはちゃっかり紫蘭の真鍮タグをぶら下げ、グブリア帝国皇太子の肩に乗っていた。  あたしは紫蘭騎士と建物をひとつ挟んで隣の路地にいる。屋外に人の姿は見あたらないけれど、建物の中から女性たちの話し声が聞こえていた。  ――ちょっと、そこを避けなさいよ。あたしもユーリック様の勇姿が見たいんだから。  ――ユーリック様は店に来られたときに見ればいいでしょう?   ――そうよ、ランド様を見る機会は今を逃したらいつになるかわからないんだから。  ――あら、あたしはさっきの青い髪の騎士様が好きだわ。かわいらしいもの。  緊張感の欠片もない会話に脱力。声だけではなく香水の匂いも屋外に漏れ、ジゼルとランドは顔をしかめているはずだ。   「シドだな」  ユーリックの声で女たちの雑談がピタッと止まった。 「皇太子がおれをご存じとは。その悪魔に聞いたのか?」 「街に火を掛けようとする魔術師と、その火から街を守るために魔術を使う魔獣。悪魔はむしろおまえの方だろう?」  ハハッ、とシドは笑い声をあげる。  茶色いローブを着ているのは魔塔の魔術師に紛れていたのだろう。サンタクロースのように肩に袋を担ぎ、その袋がもぞもぞ動いていた。おそらく中に魔獣がいる。 「ノードは皇太子をうまく言いくるめたようだな。帝国がすでに魔塔主の手に落ちたなら、交渉は皇家ではなく魔塔主とするべきか」 「交渉?」  訝るような声はノードのものだった。表情はよく見えないけれど、たぶん美しい眉間にシワを寄せている。シドは気分良さそうに話し続けた。 「独立宣言から三ヶ月近く、バルヒェット王国は独立の承認とモリーヌ皇妃の返還を求めてきた。帝国がこれまで通り頑なな態度をとるのなら、同盟国バンラードは前線に軍を派遣するだろう。王国最強の魔術師団を」 「脅しのつもりか?」とユーリック。 「皇太子、リンデン城塞から兵を引け」 「引いたところで攻め入るつもりだろう? 独立の承認や皇妃の返還など、アルヘンソ侵攻を正当化するためのただのこじつけだ」 「よくわかってるじゃないか。バルヒェットはじきバンラード王国の一部となる。そうなったとき、獣人程度で国境を守れると思わない方がいい」  シドはククッと笑い声を漏らし、それを遮るように「シド」とノードが低い声を出した。 「あなたのやっていることはすべてバンラード大公の意向だと?」 「イブナリアを滅した帝国の犬になるよりマシだろう? だが、皇太子殿には感謝して欲しいくらいだ。飼い犬に手を噛まれるのを未然に防いでやったんだからな」 「どういう意味だ」  シドの不穏な言い草にユーリックの声が気色ばんだ。 「皇太子はノードが魔塔内で世界樹を育てていたのを知っていたか? 魔塔にイブナリア王国の末裔を匿っていることは?」  ザワッとどよめいたのは紫蘭騎士だ。ジゼルだけが能天気にウケケッと笑っている。 「イブナリアの末裔だと?」  ユーリックの声が揺らいだ。シドの言う末裔がナリッサのことだと思ったのかもしれない。 「おいおい、皇太子殿。それだけで動揺してもらっちゃ困る。魔塔主の手の内にあるのは金色のオーラだけではないのだからな。皇太子殿も向こう岸の銀色のオーラを感知しているだろう? 魔塔は二種類のオーラを隠し持っていたということだ。これは明らかに帝国への反逆だろう」  ユーリックは対岸にいるのがクラウスのオーラ騎士だとわかっているはずだった。けれど、皇家を通さず勝手に連れて来たことをどう思っているのか。 「戯言を!」  女性の声が響き、動揺していた騎士たちがピタリと口を噤んだ。魔塔側の橋の袂に立つ隻腕の女性。その右手には銀色に光る剣が握られている。
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