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女騎士と操られた白龍
――そっちの窓じゃ見えないわ。こっちよ、こっち。
――あの人、片腕がないわ。銀髪みたいだし、もしかしてクラウス小公爵夫人じゃない?
――小公爵夫妻はずいぶん前に領地に帰ったんじゃなかった?
――いやねえ、あの林の奥にある建物を何だと思ってるの。魔塔主様なら帰った人もあっという間に連れ戻せるに決まってるわ。
――小公爵様もいらっしゃるのかしら? 愛妻家らしいから花街には一生足を踏み入れそうにないし、お顔だけでも見てみたいわ。
紫蘭騎士は女たちの会話をどんな気分で聞いてるのだろう。緊張感を保つのもひと苦労だ。一方、剣を構えてシドを睨みつけるシャーロット様の声は凛と引き締まっている。
「皇太子殿下、帝都で魔獣が暴走したと聞いてクラウス領から緑陰を連れて参りました。当然ながら、緑陰は魔塔に属するものではありません」
「わたしがクラウス卿に要請いたしました。事後報告となったことはお詫び申し上げます」
ノードもシャーロット様に続けて申し開きをしたけど、片時もシドから目を離さない。
「構わん。ジゼル殿から先ほど報告を受けたし、悪くない判断だ。この機会を無駄にするつもりはない。シャーロット殿も覚悟を決められよ」
「初めて皇宮の門をくぐった時、すでに覚悟はできておりました。隠れ生きてきたわたしたちの同胞が堂々と剣を振れるその日のために。そして帝国の未来のために!」
「なんとも勇ましい女だ」
シドが嘲笑うように言い、サッと右手を振った。あたしは数秒移動で路地を飛び出し、シャーロット様のマントに魔力付与されていることを願ってタックルする。
「キャッ」
かわいらしい叫び声。その直後、地面に座り込んだあたしとシャーロット様の頭上を青い稲妻が走っていった。雷撃が通過したあとの木々は黒く焼け焦げ、ところどころで炎が上がっている。近くにいた魔術師が慌てて消火を始めた。
「もしかして、サラ様ですか?」
「あ、……はい」
シャーロット様があたしの顔をのぞき込んだ。名前を知ってることに驚くとともに、「様」付けのこそばゆさで口元がモゾモゾする。
「魔塔主様からうかがったのです。助けてくださりありがとうございました」
シャーロット様はペコリと頭を下げると、立ち上がって再び剣を構えた。
「ククッ……、アッハハッ。女騎士と自称聖女か。無鉄砲さには感服するが、おれが手を下すまでもなさそうだ」
シドはさも愉快そうに腹を押さえて笑い、肩に担いでいた袋を橋の上に下ろした。
袋の中でモゾモゾ蠢く魔獣は今にも這い出てきそうだ。ノードが魔術で袋ごと拘束しようとしたけれど、バチッと紫の火花が散って弾かれてしまった。袋に魔術が付与されているらしい。
ノードは戦略を変え、ストッと橋の上に着地。シドとシャーロット様の真ん中あたりで手をかざして魔法陣を構築する。
「ノード、おれが避けたら皇太子に直撃だぞ?」
「殿下のそばには優秀な仔猫がいます」
「なるほどな。だが、おれの今の相手はおまえじゃない。愛しの聖女だ!」
シドは勢いよく上空に飛び上がり、かざした手の前にはすでに魔法陣がある。ノードが魔術の軌道を遮るようにジャンプしたとき、橋の上に置き去りにされた袋から勢いよく魔獣が飛び出してきた。
「バカめ!」
「サラさん!」
陽動にはまったと気づいてノードがあたしを振り返る。
「こっちは大丈夫です!」
シドは使役魔術を使ってるに違いないけど、霊力アップしたあたしなら鎮静化できるかもしれない。
「おい、ノード。おれがいることを忘れるな」
シドの声がした直後、上空で魔術が衝突した。
青白い閃光があたり一面を覆い、走り来る魔獣もその光に包まれる。対岸から馬のいななきが聞こえ、蹄の音が遠ざかっていった。馬が光に驚いて逃げ出したのかもしれない。
光はすぐ消えたものの暗がりに目が慣れず、あたしは橋を迫りくる魔力に意識を集中する。その魔力にふと懐かしさを覚え、怯んだ瞬間シャーロット様が駆け出した。
「サラ様! 魔獣相手ならわたしが!」
あたしの頭にあるのはルケーツク鉱山の坑道。手にすり寄ってくる生まれたての小さな白いトカゲ。
「主!」
ジゼルが橋をこっちに駆けていた。羽を広げたギュギュはすでに橋を渡りきり、剣を構えたシャーロット様の頭上を飛び越えようとしている。身を屈めたシャーロット様は地上三メートルほどの高さまで跳び上がり、あたしの目の前で銀色の光を帯びた剣が振り下ろされ――、
「ダメ!」
――ギュウウッ!
数秒移動でシャーロット様に抱きついたのと同時にギュギュが叫び声をあげ、ドサッと音がした。シャーロット様はバランスを崩しながらも無事着地し、困惑顔であたしを見る。
「サラ様。どうされたのですか?」
「この子はダメ! 殺さないで」
「ですが……」
モモンガくらいの大きさに成長したギュギュは左目を斬られて血を流し、キョロキョロと首を動かして残った右目で標的を探していた。額にはその体躯に似つかわしくない大きな角。マナ石が埋め込まれているに違いなかった。
「ギュウウッ!」
シャーロット様に飛びかかろうとしたギュギュを、あたしは慌てて地面に押さえつける。思った以上に力が強く、質量ゼロのあたしはなすすべもなくブンブン振り回される。
「主! どけろ!」
ジゼルの声で反射的に飛びのくと、光の文字が鎖のようにギュギュに絡みついた。ギュギュはビクッと体を強ばらせ、地面の上でグッタリと目を閉じる。文字は縄となってギュギュの体を完全に拘束した。
「この魔獣はサラ様の?」
「はい。ルケーツクで行方不明になって、シドに捕まっちゃったみたい」
マナ石の埋め込み手術をしたばかりなのか角の周囲は赤く腫れていた。触るのを躊躇うほど痛々しくて、首を指先でそっとなでる。シャーロット様は自身の剣で傷つけた龍を申し訳なさそうに見ていたけど、まだ警戒を緩めてはいないようだ。
「サラ様、この紋様は?」
「紋様?」
シャーロット様が指で示したのは背中の尾に近い部分だった。落下した時についた土を払うと、白い鱗に魔法陣のような丸い焼き印が押されている。ジゼルが興味深そうにその焼き印に鼻先を近づけた。
「頭のマナ石より厄介だな」
「厄介ってどう厄介なの?」
「ものは試しだ。見てろ、主」
ジゼルが詠唱すると金色の文字が紡がれ、その文字は傷ついたギュギュの目に接触した途端バチッと火花を散らして壊れた。
「やはりぼくの魔力じゃ治癒できない。この魔術紋に組み込まれた構文のせいで、特定の魔力しかマナ経路に干渉できないようだ」
「ゼンがコトラの魔力しか受け付けないのと同じ?」
「ああ。シドはギュギュを自分専用の使い魔にするつもりなんだろう」
魔獣を使い捨てにするシドにギュギュは渡せない。
「ねえ、ジゼル。ギュギュを拘束してるのはジゼルの魔術だし、気絶させたのもジゼルの魔術でしょ?」
「拘束はマナ経路への干渉を必要としない魔術だから可能なんだ。気絶したのはマナ振動波を拘束魔術に組み込んだからだが、影響したのはおそらく額のマナ石だけだろう。埋め込んでからさほど時間が経っていないようだし、マナ石とマナ経路がまだ繋がっていない……いや、もしかしたら」
ジゼルは自分の考えを確認するようにギュギュの額のマナ石に顔を近づけて鼻をひくつかせる。
「サラ様! 避けてください!」
シャーロット様の声と同時に茂みからキツネが飛び出してきた。
「ギャン」
地面に横たわるのは肩から腹までザックリ斬られた三本テールのキツネ魔獣。シャーロット様はひとつ息を吐いてあたしを振り返った。
「この騒ぎで林の魔獣が昂奮しているようですね」
魔塔の林で雷撃と突風が炸裂しているのはシドとノードの仕業だ。木々は激しく枝を揺らし、巻き上げられた木の葉があたしの体をすり抜けていく。
このままギュギュを連れて一旦林から離れた方が――そう考えギュギュを抱き上げた時。
「行くぞ!」
ユーリックの声が聞こえた。獣化したランドが先頭を切って橋を渡り始め、その次に馬に跨ったユーリック。あの栗毛の馬はきっと獣人だろう。他の騎士は馬を諦めて剣を手に自らの足で石橋を駆ける。
ランドが橋を渡り終える頃、突風とともにシドの姿が上空に現れた。足を止めて振り返るランドに、「行け」とユーリックは剣を振る。
「油断したな、皇太子。オーラなど無力と知るがいい!」
シドが放った雷撃はユーリックに向かっていた。数秒移動で助けに行こうと地面を蹴りかけ、ギュギュが腕の中にいるのを思い出す。
「ユーリック、避けて!」
すべてがスロー再生だった。
ユーリックの剣がゆっくりと暗闇を斬り裂き、稲妻が近づくとともにその剣が纏う銀色の光は強まっていく。栗毛の馬は覚悟を決めたように目を閉じてじっと佇んでいた。ユーリックは馬上で雷撃を受け止め、青い稲妻はオーラに押し戻されて銀色の光の中に消える。
まばゆい光に目を閉じた。オーラの風はバサバサと木々を揺らしている。
「殿下!」
ランドの声で目を開けると世界はノーマル再生に戻っていた。橋の袂にランドの後ろ姿、橋の上に目をやるとユーリックが宣戦布告するように上空のシドに剣先を向けている。
「シドの雷撃を剣で跳ね返しちゃうなんて、さすが男主人公」
決めポーズも絵になる♡
「人間業とは思えんな」とジゼルはうんざり顔だ。
ノードが濃紺のローブを翻してユーリックのそばに着地した。詫びるように頭を下げると、結界を張って石橋全体を防御する。
パチ、パチ、パチ――と場違いな拍手はシドだ。
――さすが歴代最強のオーラの持ち主。と言いたいところだが、あの林の中には皇太子より強大なオーラの持ち主がいるかもしれない。違うか?
シドはわざわざ拡声魔法を使い、騎士たちの視線が魔塔の林に向けられた。ランドもこっちを振り返り、あたしと目が合うとわずかに微笑む。
ククッと、拡声魔法を通してシドの笑い声が聞こえた。
――ああ、もしかしたら黒幕はそこにいる自称聖女様か? ルケーツク鉱山ではイブナリアの末裔と一緒にいたようだし、銀色のオーラを持つ女騎士とも親しげにしている。魔塔主をそそのかし、死霊が帝国を手に入れようとするとは世も末だな。
「黒幕はそっちでしょ! ルケーツク鉱山で育てた黒龍に辺境地を襲わせるつもりだって知ってるんだから!」
――ほう。それで黒龍に対抗するために白龍の子を盗んだのか。鉱山に捨てていったようだが?
「捨てたんじゃない! この子を返すつもりはないから」
――聖女殿がその白龍を気に入っていたことは知っている。だからわざわざ連れてきてやったんだ。愛玩用にしかならん不良品だがな。
「やはり」とジゼルがつぶやいた。
「やっぱりって?」
「マナ石の埋め込みに失敗してマナ経路とマナ石が繋がらなかったんだろう。主がギュギュを見捨てられないと踏んで、魔術紋を刻印して戻した。ギュギュを連れ歩けばシドにはどこにいるか筒抜けだ」
「ギュウ……」
うっすらと目を開けたギュギュが力なく鳴いた。あたしのことがわからないのか、弱々しく手足を動かして逃げようとする。
――そこの女騎士。
シドがなぜか改まった声を出した。シャーロット様は剣にオーラをまとわせる。
――銀色のオーラがあるならグブリア皇家の血を引いているはず。そこにいる皇太子を殺せば帝国が手に入るぞ。望むなら手助けしてやろう。
シドは挑発するようにユーリックに向けて雷撃を連発した。結界はビクともせず、ノードは結界を維持したまま竜巻を放つ。シドはそれを避けると「やはりな!」と愉快そうに声を張り上げた。
――ノード、なぜあの不愉快な力を使わない? バルヒェットで何度もおれに膝をつかせた世界樹の精霊力を!
ノードは無言でシドを睨む。
――目的は達した! 世界樹はようやくこの世界から消滅し、おまえは精霊師の力を完全に失ったんだ。喜べ! おれもおまえも世界樹の呪縛から解放された!
シドは笑いながら雷撃を乱れ撃ち、ジゼルはあたしとシャーロット様を覆うように結界を張った。魔塔の林に闇と静寂が戻った時にはシドの姿はどこにも見当たらず、ジゼルは「行ったか」と息を吐いて結界を解く。
「逃げられちゃいましたね」
シャーロット様に手を差し出したのは青い髪の副官スクルース。彼は何かを探すように、地面に横たわるギュギュの周りを見回した。
「おい、鳥。何を探してるんだ?」
「あ……、えーっと。もしかして聖女様は近くにいる?」
「ここにいるよ」
目の前で手をヒラヒラ振ったけどスクルースの反応はなかった。あたしは彼のマントを掴んでグイッと引っ張る。
「うわっ、何?」
「聖女のいたずらだ」
「そっか、やっぱりおれには見えないんだ」
「気を落とすな。おまえの恋人も見えない。ゼンは見えるようになったがな!」
ウケケッとジゼルは馬鹿にするように笑った。スクルースはシャーロット様の手をとったままガックリと肩を落とし、背後から来たランドにパシンと頭を叩かれる。
「副官、いつまで夫人の手を握ってるつもりだ?」
スクルースが慌てて手を引っ込めると、「お怪我は?」とランドがシャーロット様に問いかける。
「無傷です。サラ様のおかげで命拾いしました」
「そうですか。わたしもバルヒェット港ではサラ殿に助けられました。サラ殿、お会いするのはあれ以来ですね。少し雰囲気が変わったようですが、髪色は魔塔主殿の好みですか?」
そういえば黒髪大人バージョンで顔を合わせるのは初めてだ。
「揃いの黒髪だぞ。それ以外に理由はないだろう」
ユーリックの声に振り返ると馬に跨る彼の横にノードがいた。男主人公はひらりと飛び降りて優雅に着地する。
「事件が起こるたびにサラ殿とジゼル殿の世話になっている。何はともあれ元気な顔が見れて何よりだ」
幽霊相手に元気というのも妙だけど、ランドもユーリックもあたしの霊力が弱まっていたことを知らない。ユーリックは足元の小さな白龍を一瞥し、あたしに視線を戻す。
「それにしても、サラ殿が未だにそのような服で出歩いているとは」
「殿下、彼女の服装には聖女なりの事情があるんですよ」
ノードは亜空間から白いローブを出してあたしの肩にかけた。位置を視認したスクルースが嬉しそうにあたしの肩に手を置き、すかさずノードに払われる。
「スクルース、サラ殿は魔塔主殿の恋人だぞ。半径一メートル以上離れないと魔塔主殿に殺される」
ランドはニヤニヤ笑っている。
束の間のゆる〜いやりとり。橋を渡った騎士は上官たちの会話に首をかしげているけど、一人だけ栗色の髪の騎士と目があった。あたしと同年代の馬獣人。
「ユーリック殿下、あの騎士はあたしが見えてるみたいです」
「ああ、レニーか。あいつもランドのように気配に敏感だからな」
紹介しておこう、とユーリックが栗毛の部下に手招きしようとしたとき、騎士たちが林の向こうを見上げてどよめいた。中途半端に手を上げたまま、ユーリックが「これは……」と声を漏らす。
平民街を覆い尽くす金色の光。その光が収まった後もノードは呆然と光源――おそらく平民街市場近く――の方を見ていた。
騎士たちはシドの仕業を疑っているようだった。でもケイルの治癒に同席したことのあるあたしは知っている。あれは金色のオーラ。
「魔塔主、今のはシドが言っていたイブナリアの末裔か?」
ユーリックがノードに聞いた。
「いえ、これほどの強い光はオーラ発現時にしか現れません。ですが彼女は魔塔にいるはず」
「あのおてんば娘が魔塔で大人しくしていると思うか? 急がないとシドにも気づかれたはずだぞ」
ジゼルの言葉にハッとし、ノードはすぐさまゲートを開いた。
「先に行く」ジゼルは光の渦に飛び込み、あたしも慌ててノードのローブを掴んだ。
「シャーロット様、ギュギュをお願い!」
「待て、魔塔主!」
「あっ、殿下、急に入られては……」
駆け込んできた皇太子にノードは舌打ちし、ため息とともに彼の腕を引き寄せる。次の瞬間、「ウワッ」と皇太子殿下のお間抜けな声が聞こえた。ゲートが開いたのは傾斜のきつい三角屋根の上。平民街の広場を囲う建物のひとつだ。
広場を挟んで向かいにある平らな屋根にはシドの姿があった。ゲートの気配に気づかないはずがないのに、シドの視線は広場に注がれたまま。
「やはり、ナリッサのオーラが発現したようだぞ」
ジゼルが屋根の縁から地上をのぞきこんでいた。隣に並んで様子をうかがうと広場の中央に赤髪のポニーテールが見える。その隣には剣を構えるマリアンナ。
広場にいる魔術師は自分たちと同じ茶色のローブを着た魔術師を困惑した樣子で見上げていた。
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