プロローグ 【 中里 亜都里 】

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「今日も暑くなりそうですねぇ」  おじいさんが母と他愛ない会話を交わしている。  わたしはおじいさんの顔をじっと見つめ、今朝見た夢の内容を思い出した。  目を覚ましているときに見るよりももっと鮮明な風景をわたしは眺めている。原色が強い葉が日に照り、青々と茂る街路樹。それらが作る黒々とした影。縁取りの濃い車が目の前を過ぎ去る。道幅の広い国道に、やけに歪んで響いてくる横断歩道の音楽。停車線でゆっくりと減速して停まる車。  隣家のおじいさんが、信号が青になったのを確認して横断歩道を渡り始める。スピーカーが、水の中で響いているように不安定な通りゃんせを奏でる。  歪んだ音が、わたしの耳には不吉な響きを孕んで聞こえてくる。おじいさんがやけにのんびりと横断歩道を渡っているように見えた。薄いベージュのスラックスをはいた足が、ゆっくりとアスファルトを踏みしめる。一歩二歩と進む姿がスローモーションのように目に映る。  何もかもが幼いわたしには恐ろしく見えた。息を潜めて押し黙っていても耳元で心臓の音や呼吸音が大きく聞こえてくる。
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