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「いつも通りに振舞おうとすればするほど、わたしは、わたしがわたし自身なのか、機械なのか分からなくなる。だったらもう、いっそのこと機械でいようと思った。あなたを傷つけたくないし、わたしももう、傷つきたくないから。介護用のプログラムかなにかを装ってロボットみたいに過ごそうと思った。かしこまりました、とか、旦那様、とか、そんなロボットみたいな台詞を言いつづけることにした」 「遥香、待って」 「なのに、なによ。女の子と飲んできたとか、黒いワンピースのきれいな子とか。そうよね、わたし機械だもんね。機械の奥さんなんて嫌だもんね。普通の女の子がいいよね。分かってるよ。だから、ある程度は我慢するもん。べつに平気だもん。これからも一緒にいられればそれで十分だもん。でも、でも。……もうしゃべるななんて、言わないで」  突如、遥香の首元から電子音が鳴り出した。充電のアラーム音だった。遥香の頭のなかにある機械を充電する時間を知らせる音だった。 「ほら、また。これじゃ、なんにも信用できないよね。わたしはやっぱり機械だもん。こんなふうにピンポロと首から音が鳴る人間なんていないもの。これだけ感情的に喚いても、結局は機械なんだよ。AIがなにかを判断して言わせてるんだよ。本当に最低だよ」と遥香は力なく呟いた。  僕は立ち上がると、遥香にそっとを手を差し伸べ、そして両手でぎゅっと抱きしめた。それこそ十年以上前からずっとしてきたように、思いっきり。それから彼女の髪を撫で、右頬に優しくキスをした。 「気づいてあげられなくて、ごめん。しゃべるなだなんてひどいこと言って、ごめん。そして、いまさらだけど帰りが遅くなってごめん。僕は最低の旦那だ。いつからか、ひどく怖くなっていた。君が変わっていくことが怖くて、逃げたい気持ちでいっぱいだった。段々と機械のようになっていく君を見ていたら、胸が締め付けられるようでつらかった。でも、それは僕が信じてあげられてなかったからだと、今になって気がついた。僕だけは、君を信じてあげないといけない。それがAIの判断だろうがなんだろうが、僕にとっては構わない。君は君だ。遥香は世界でただひとりの僕の奥さんなんだから」  僕たちは夏の夜空の下で、久しぶりに抱きしめ合い、それから求め合うように激しいキスをした。お互いにひどくお酒臭くて、そのあとは思わず笑ってしまった。遥香も泣きながら笑っていた。ようやく彼女に再会できた、そんな気がした。それからはランタンの火を消し、ふたりで手を繋ぎ、ベランダから都会のを眺めた。 「明日の朝、起きたら久しぶりに出掛けようか」と僕は言った。 「どこに行くの?」と遥香が言った。 「どこかレジャーシートが敷けて、コーヒーを飲みながら、サンドイッチを食べられる場所がいいね」 「いいね。好きよ、そういうところ。だけどさ、朝って言っても、もうすぐ朝よ?」  遥香はそう言うと、白い歯を見せながら、けらけらと笑った。夏の夜の都会の空は、気づけばぼんやり明け始めていて、その下にある彼女の微笑みは、まるで少女のように輝いていた。  頭のなかでまた、ザ・ビートルズのゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフが流れはじめていた。ポールの言葉が、いまなら少しだけ分かる気がした。
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