With you

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 外の風に吹かれていると、登録していない電話番号から電話がかかってきた。  普段ならスマホが大人しくなるまで放っておくのだが、今日は出てみようと思った。  高確率で迷惑電話だろうし、機械音が流れる国民調査かもしれない。それでも俺は、通話ボタンをスライドして耳にスマホを当てた。 「もしもし」 『あっ……えっと……あれ?』  電話の向こうから聞こえてきたのは、女性の声だった。少し高く、でも大人っぽい声。声だけで年齢を当てるのは至難の業だが、20代から30代前半くらいじゃないだろうか。 『あ、ごめんなさい。間違えました』 「あ、そうですか」  まぁ、そんなもんだ。「失礼します」と言って電話を切ろうとした時、女性が『あっ』と声を上げた。 「はい。どうされました?」 『あっ、いや、あの、えっと……なんでも、ないんです』  なんでもないにしてはなにか話したそうな口ぶりだ。幸い今の俺には時間があったし、これもなにかの縁だと思って話を聞くことにした。  そのとき、彼女の息遣いの後ろから、鳥の声が聞こえた。ピーヒョロロロ……トンビだ。 「草原にいらっしゃるんですか?」 『えっ』 「いや、トンビの声がするので」 『あぁ……ちょっとした集落に来ています』 「集落?」 『ええ。森を、探してて』  森を、探してる。キノコやタケノコを取りに行く声ではない気がする。なぜ森に、と考えてあぁ、と思った。  なにもこんなときにこんな電話を取らなくても、と自分で自分に呆れる。やはり類は友を呼ぶ、ということわざは本当だったということか。  言おうかどうか迷って、少し沈黙になってしまった。まぁいいか、と俺は静かに助言をすることにした。 「首吊りはやめといた方がいいですよ」 『え』 「苦しいし、なにより発見されたときの状態が恥ずかしい。全身の穴が開くので重力の関係で糞尿が垂れ流し状態なんですって。匂いも発するし、死んだ後なのに恥ずかしいのは嫌でしょう」  言いながらなんの知識を披露してるんだ、と再び自分に呆れる。人の選択にあれこれ口を出せる人間じゃないくせに。  しばらくトンビの鳴き声のみが聞こえていたが、彼女の小さく吐く息が聞こえてきた。 『どうして、分かったんですか』 「どうしてって……」  俺は正直に言おうかどうか迷った。相手は全くの赤の他人であるし、俺には自殺しようとしている人を止める力もない。「実は俺、超能力者なんですよ」って嘘をつくこともできるのに。 「……今、会社の屋上にいて。20階建ての、高層ビル。俺は、ここから飛び降りようとしてるんです」  息を呑む音がした。そりゃ驚きもするだろう。自殺しようとして最期にかけた電話の相手が、同じように自殺しようとしている人だったら。  俺は上から、下を見ていた。人も車も米粒みたいな小ささで、でも確かにそこに存在している。俺も、ここに存在していた。  視線を空に移せば、近くなった太陽が俺だけを見ている。初夏の風は「いい天気だろ」と囁き、名前も知らない鳥が水色の空を翔る。  どう考えても平和な日常に、俺は幕を閉じようとしていた。 『……理由を、聞いてもいいですか』  遠慮がちだが、サラリとその疑問が俺に送られた気がした。赤の他人だからそうなのか、同志だからそうなのか、俺には判別がつかないが、なぜか律儀に答えていた。 「自分には価値がないと思っているからです。仕事もできなければ家事もできない。彼女もいないし、趣味や特技もない。生きてるだけで税金とか、お金が発生するじゃないですか。もう、それもバカらしくなってきて。家族も親戚もいないし、自分がいなくなったって悲しむ人なんていないですし。なんか、どうでもよくなったんですよ。生きることが」  理解されないだろうな、と思った。いくら同じように自殺しようとしている人でも、俺の気持ちなんて分かるはずない。  会社でどれだけ疎まれているか。友人と呼べるような人もいない孤独さ。なんの事件もなく当たり前のように訪れる朝。生きている絶望。  死ぬなら苦しまずに死にたかった。溺死や首吊りなんて以ての外だ。即死なら飛び降りしかない。  そう思って、高いビル——会社の屋上に来た。 『そう、だったんですね』  電話の向こうの女性は静かにそう言った。  つまらない理由だと思っただろうか。たったそれだけの理由で自殺を考えているのかと呆れただろうか。  他の人には理解されなくてもいいけど、この人にだけは分かって欲しいと思ってしまった。なぜかは分からない。同志、だからか。  今度はこっちから質問を投げてみる。 「あなたは、なぜ首を吊ろうと?」 『わたしは……』  彼女は一旦そこで切った。スーハー、と息を整える音が聞こえる。辛いなら無理に言うことはない、と言おうとしたら彼女は先に話し始めた。 『10年付き合った人がいて。結婚まであと一週間ってところだったんです。そしたら彼が急に「別れてくれ」って言い出して……浮気、してたんです、彼。しかも3年くらい。その人との間に子どもができたって……ありえないですよね。一週間前ですよ? 幸せ絶頂期ですよ? 本当はその場で彼を殺そうと思いました。でも、子どものことを考えたら、できなくて……あぁ、いなければいいのはわたしの方なんだって思ったら、なんか腑に落ちちゃって。ロープと折り畳みの椅子をホームセンターで買ったんです』  電話口からカチャリ、となにかが擦れ合う音がした。折り畳みの椅子だろうか。 『そっかぁ……糞尿は飛び散らせたくないなぁ』  クスリと笑う気配がした。そのとき、自分の心の中になにかがポッと芽生えた。  それは暗闇に灯る一本のロウソクのようだった。 『知ってます? ネットで「自殺方法」って検索したらこころの健康相談の電話番号が出るんです。「ひとりで悩まないで」って。何度か電話したんですけど、「首吊りは糞尿が垂れ流し状態になるよ」って言って自殺を止めようとする人はいなかった』 「そりゃそうでしょう。『自殺するなら首吊り以外にしろ』って言ってるようなもんですから。ま、俺がそうなんですけど」 『ですよね。それにしても奇遇ですよね。間違えて電話した先が、わたしと同じように自殺しようとしていた人だなんて……』 「ええ。本当に。神様の導きだったりして」 『あら、結構ロマンチストなんですね』  久しぶりに穏やかな会話をしている気がした。人と、しかも知らない人と話して落ち着くなんて。  相手が彼女だからかもしれない。まだなにも知らないけれど。 「ちなみに誰に電話しようとしてたんです?」 『あ、それ聞いちゃうんですね。じゃあ、あえてクイズにします。わたしは誰に電話しようとしていたでしょう』 「……元婚約者」 『はい、大正解です』  俺は屋上の縁から離れていた。コンクリートの地面に座って空を仰ぐ。  飛行機雲がツーっと浮かんでいた。 『電話帳や履歴から彼に関するものをなにからなにまで全部削除しちゃって。でも、電話番号だけは諳んじれてて……結局指が間違えちゃったみたいですけど』  声色が暗くないことから察するに、もしかしたら元彼に繋がらなくてよかったと思っているのかもしれない。 「どうして最期に元彼に電話しようと?」 『それは……分かりません。最期に声が聞きたかったのか、罵りたかったのか、責めたかったのか……どうしたかったんでしょうね』  のんきに鳴くトンビの声がうっすらと聞こえる。彼女がどうしたかったのかなんて分からないけれど、元彼に繋がらなくてよかったな、なんて思ってしまった。  なぜだろう。同じように命を絶とうとしていた仲間意識からだろうか。  ……いや、そんなんじゃない。俺は少しだけ運命なんじゃないか、と思っているのだ。元彼に電話しようとして見ず知らずの俺に間違い電話をするなんて、漫画みたいな展開だと少しだけ心拍数が上昇している。  今頃になって空が青いことに気がついた。 「あの、僕がこんなことを言うのはおかしいと思うんですけど……」 『はい、なんでしょう』 「死ぬの、やめませんか?」  ピーヒョロロ。彼女が歩く音が聞こえないということは、ずっと立ち止まっているということだろう。  その足を、日常に戻すことができたなら。  もちろんひとりではなくて、俺と一緒に。 『……一緒に死のう、じゃないんですね』 「はい。逆です。一緒に、生きませんか」  すると電話の向こうから『ふふっ』と鼻で笑う音がした。 『自殺方法を変えさせようとしたかと思ったら、今度は生きろ、ですか』  呆れられたか。さすがに二転三転する男の言うことなんて右から左か。  自ら命を絶ちたいと思った心の内は理解できるので、「いやいや生きましょうよ」なんてゴリ押しはできない。  反応を待っていると、彼女は優しい声で言った。 『そうですね。あなたと一緒なら生きられそう』  聞いた瞬間、ぶわぁ、と全身の毛穴が開いた気がした。例えるなら、綿毛になったたんぽぽに全身を覆われ、風が吹いて飛ばされたような気分。  電話ってすごいな。会ったこともない人と繋がれるなんて。文明の利器に感謝せねば。  そのあと少しだけ雑談をして、「ではまた」と電話を切った。  通話時間は約10分。長いようで短い時間。  彼女の電話番号を登録しようとして、「あ」と指が止まった。 「名前、訊きそびれた……」  ツメが甘すぎる。こういうところがダメなのだ。  でももう死のうなんて思わない。 『あなたと一緒なら生きられそう』  そう言ってくれた彼女を裏切りたくない。失望させたくない。  ——会いたい。そのためには、生きなければ。  俺は電話番号の新規登録画面を操作し、名前を登録した。  数日後、電話がかかってきた際に表示された名前を見て、思わず「ははっ」と声が漏れた。 【一緒に生きなければいけない人】  俺は通話ボタンをスライドしてスマホを耳に当てた。 「もしもし。こちら、あなたと一緒に生きようと決意した者です」 END.
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