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今さら、何もかもが遅かった。どれだけ叫んだところで、時は元には戻らないから。
それでも、彼の身を焦がすような後悔と喪失感を、痛いくらいに感じた。それは、どうしようもないくらいに自分勝手ではあったが、長い狂気を経てようやく紡がれた、心からの、懺悔だった。
彼なりの想いに触れて、ほんの少し期待して、影の私は決意する。
私は今まで覗いていた窓辺を離れ、コの字型の渡り廊下を通って、彼のいる部室に歩み寄ろうとした。
私は部室の扉をノックして、自分の名前を告げた。
「……ああ、そこにいるのは、ほんとうに、君なのか?」
お願い。その首に提げたカメラのシャッターを切るだけで良い。
レンズに映るのは、霧のような影じゃなくて、たった今、あなたがはじめて願った、髪を切ったあの日の私。
だけど、私の姿を見た彼の表情は、恐怖に染まっていた。自分の使命であるカメラのことなど忘れたように、反対側の扉から、一目散に逃げ出して校舎から出ていった。
――――なんでよ。ちょっと、期待しちゃったじゃん。
窓に映る私の崩れた頬から、ぽろぽろと、煤けた涙が流れる。
ああ、伝わらなかった。
拒絶されたことよりも、そのことが、影となったはずの私の哀しみを誘う。
彼には今の私が、やはりただの化け物として視えていた。あの時も今も、彼は相変わらず、目に見えるものだけで、私の本質を見なかった。
彼は、彼自身の言葉を借りるなら、誰もが羨ましがるだの、青春映画風だのとかいう、抽象的商業主義のラムネ瓶の中にある濁ったビー玉のような眼球ごしに見るだけで、自分の心で視ていない。
彼がずっと好きだったのは、私という一人の女の子ではなかった。イベントで展示された自分の写真に惚れて専属モデルを志願した女の子、というシチュエーションそのものだった。そして、悲劇の青春の主人公でいることを、未だに選び続けていた。
あの写真は、もうどこにも無いだろう。
でも、私には、彼はまた真夜中のこの部室に来るだろうという確信があった。逃げ帰ったけど、また日を改めて、次からは、私の別の何かを求めて、懲りずにやって来る。そんな光景が、容易に想像できた。
今日は伝わらなかったけど、さっきまで彼がいた痕跡に座りながら、明日も明後日も、その次も、ずっと、彼を待っていよう。
なぜなら、私がまだ生きていた時、シャッターを切る刹那だけは、濁りきった彼の瞳が澄んで、あの静かで鈍い光沢をもった不思議な輝きを放つのを、何度も見ていたから。
私は蛾だったからこそ、彼の発していた、綺麗だけど無機質な、人工的な光源に魅かれたのだろう。
私を視てくれる日が、いつになるかは分からない。だけど、願いが叶うその瞬間までは、廻る世界のすぐ近くで、これからも彼の専属モデルであり続けよう。
私は影の化け物として、この夜の学校に棲み続けよう。
あなたがふたたび、私の写真を撮ってくれる日まで。
(了)
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