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路面電車に、夏の風。
空気を伝う潮騒の音。
夕陽を映し揺蕩う水面に。ナオコは一人、視線を落とした。
港の釣り場に立ち、幼馴染みのオミをひたすら待つ。
(約束より、だいぶ早く着いちゃったな)
沿岸沿いの田舎街で生まれ育ったナオコは。
水飴色の眼鏡が印象的な、柔らかな笑顔で笑う青年のことだけを、一途に想ってきた。
「待たせてごめん」
「ううん。私が早く着いただけ」
(言わなきゃ。今日言うって、決めて来たんだから)
七月十七日。
奇しくも、海の日に当たる今日は。
ナオコの十七歳の誕生日だ。
十年続いた片想い。
今日はその決着を付けに来た。
(次の関係へ進むために。わざわざオミを呼んだんだ)
「何分前から居たん?暑かったろ?」
地域特有の方言も。二枚目なオミが口にすると、爽やかに聞こえてくるから不思議だ。
洒落たデザインの、ダークレッドのウエストポーチ。
そこからオミは、ひんやり冷たい500mlペットボトルを差し出した。
「くれるん?」
「俺は家で飲んで来たから」
「そう」
手渡されたもののサイズから、ふとナオコは疑問に思う。
(他にモノ、入らんくない?)
小振りなウエストポーチを再び見て、ナオコは堪らなくなってオミへ尋ねた。
「その中。他に何が入っとるん?」
水飴色の縁越しに。オミの目尻が少し下がった。
「鍵さある」
(やっぱりオミは、優しいな)
港街と言えど、七月の夕暮れ時。
せっかちなナオコなら、きっと先に行って待っているはず。
『ゆっくり来て』と告げたとしても。聞き入れない彼女の強情さも解った上で。
オミはナオコへ、メロンソーダを持って来てくれたのだ。
「好きだったろ?」
小首を傾げる彼の動作で、サラサラとしたオミのストレート髪が揺れる。
「ありがとう。よく知ってたね。このメーカーのが、一番美味しいんよ」
「それよく飲んでるな〜って。思っとっただけ」
薄いオミの唇が、照れくさそうに弧を描く。
(好きだな。私。やっぱりオミが)
「「……………………」」
元々口数の少ないオミが黙る。
ナオコが呼び出したということもあって。
彼女が言いたいことを打ち明けるのをそっと傍らで、待ってくれているようだ。
その証拠に。急かすでもなく、見ているだけで安心するような。
温和な笑顔が、ナオコの向かいにある。
「あっ、あのね」
「ん」
(頑張れ。私!!気合いだ!負けんな)
ナオコは自分に喝を入れた。
潮味の酸素を口で吸って、はっきりと発声する。
「オミが好き。だから、私と付き合ってほしい」
「!…………」
レンズの奥で、オミの瞳が大きく開いた。
(とうとう。いっ、言ってしまった)
伝えられて嬉しい気持ちと。
噂が簡単に広まってしまう。田舎街特有の風習から来る。ほんのり苦味のある後悔が混ざる。
「ありがとう。ナオちゃん」
同い年の、八人組の幼馴染み。
その内、三人の男子で唯一。昔から。
オミだけは。姉御肌のナオコを、【ちゃん付け】で呼ぶ。
以前ナオコが、
『なして、ちゃん付けしてくれるん?』
と、質問したら。
『ナオちゃんは、女の子だから』
そう、微笑んで返された。
(あの時も。今も。オミはかっこ良くて、凄く優しい)
俯いて、オミの方をチラ見する。
彼がうなじを、そっと掻いたのが見えた。
(オミが照れてる?)
初めて見る大好きなヒトの反応に。
ナオコは両手へ力を込めた。
「返事はまた、今度でいい。しっかりオミに考えてほしい」
「考える。その代わり……」
「ん?」
言い淀んだオミの顔を見上げる。
スッと一本。色白で、けれど逞しい男の子の腕が。
ナオコの前へ、伸びて来た。
「日がだいぶ暮れて来たから。今日は俺に送らせて」
「っ!」
(かっこいい……)
ナオコは顔を真っ赤にさせて、オミの手をギュッと掴んだ。
けれどナオコは解っていた。
これはあくまで、オミの優しさ。
相手が親しい女の子であったなら。彼は決して、一人で日暮れに女性を帰しはしないと。
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