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「いつもありがとうな・・・所で、おたくは流行の電子決済に対応はしないのかい?」
仕事を終え、背中を覆い隠す大きな黒いリュックとキャリーケースを持ってその場を後にしようとしていたタナカへ、依頼人が軽口を叩く。
「・・・くだらねえこと言ってねえで、黙って現金でよこせ。」
「ったく、相変わらず冗談の通じない人だね、タナカちゃんは・・・」
白い歯を見せることなく睨みを利かせるタナカに対して、依頼人は苦笑いを浮かべつつ封筒を渡した。
「毎度・・・また用あれば連絡くれ。報酬の1.1倍くらいは働くぜ。」
受け取った報酬を胸元にしまい込み、タナカは雑居ビルの一室を後にする。今日の現場は三階であったが、大きなリュックとキャリーケースという仕事道具を抱えている中でも、タナカは階段を使って一階へ降りる。特段理由がある訳ではない。格好をつけて言うのであれば、ルーチンというやつなのかもしれない。
すぐ近くのコインパーキングに止めていたハイエースに、目立ちすぎる仕事道具たちを詰め込んでいく。その最中、ふと背中に視線を感じる。本能的にその視線からは危険視する程の脅威を感じ取ることはなかったが、看過できない程にこちらを注目している。
「・・・」
タナカはハイエースに鍵をかけ、視線を感じた後方へ歩みを進める。すると不意に角から、白いウインドブレーカーのフードを被った何者かが飛び出し、タナカ目がけて速度を上げる。脇腹付近に据えられた両手には、鈍い銀色の輝きがある。
「う、うあああああああああ。」
タナカは何者かの突進を、最小限腰の向きを変え回避すると、バランスを崩したその何者かに後ろから腰に蹴りを入れ、地面に転ばせる。倒れ込んだ相手の背中に馬乗りし、刃物を取り上げ、フードを剥ぐ。
「・・・お前、女だったのか。」
自分を襲ってきた人間の正体が年端も行かない少女であったことに、タナカは表情にこそ出さないが、多少の驚きがあった。
「お、女だからなんだっ・・・あんまなめていると」
続く言葉を放つ前に、少女は鉄板の上のお好み焼きのように、いとも簡単にくるっと回転させられ、タナカと真正面で向き合う格好になると、顎に鈍痛が走り、視界が大きく歪んだ。
「女だろうがガキだろうが関係ねえ。俺を脅かすものを排除する。それだけだ。」
「・・・んんっ、痛っ。」
少女は目を覚ますと、自分が今煙草臭い車の助手席に座っていることに気がつく。
「おお、目え覚めたか?」
声の主に目をやると、先程自分にキツイ一撃をお見舞いした張本人が、火のついたセブンスターを右手に持ったまま何食わぬ顔で運転をしている。
「あ、あんたこれから私をどうする気?正体を知っている私を生かしては置けないでしょうね、きっと程々に近くで、だけれど誰も寄ってこない山奥へ私を」
「ぐちゃぐちゃうるせえな、そんな都合いい山奥なんて行かねえよ。ただ腹減ったから飯いくだけだ・・・なんか食いたいもんあるか?」
タナカの極めて冷静な返答に少女は戸惑いを隠せない。
これは何かの罠なのか?ただ動揺してしまうのも相手の思う壺かもしれない。様々な思案を数秒の間に巡らせた少女は、結果として本心を打ち明ける。
「は、ハンバーガー食べたい。」
「ハンバーガーは気分じゃねえ。寿司行くぞ。」
発した言葉の内容はともかく、恐怖や動揺と戦いながら何とか振り絞った言葉を一瞬にして否定されたことに対して、多少の憤りを覚えた少女であったが、タナカの人間味を感じさせる問答は、少しばかり心の平穏を手に入れることに貢献をしていた。
「金のことは気にするな。好きなだけ食え。」
チェーン店の回転寿司にやってきた二人。タナカは早々に好みのエビを十皿近く注文すると、少女に注文用のタブレットを渡した。
「な、なんでこんな良くしてくれるのよ?」
「あ?」
少女は差し出されたタブレットを受け取らず、俯きながら声を絞り出す。
「私は、あなたが大金を持っていると知っていたからそれを奪おうとした・・・それなのに、なんであなたはご飯ご馳走してくれたり」
「早く受け取れ。腕が疲れるだろ。」
「あ、ごめん・・・」
タナカは押し付けるように少女へタブレットを渡すと、注文の品として運ばれてきたエビに手を付け始める。
「俺は言った。女だろうがガキだろうが脅威になるものは全て排除すると。だがはっきり言っててめえは全くと言って襲るるに足る人間じゃねえ。俺はそんな人間に手を出してしまった。これは一種の罪滅ぼしだ・・・弱い者いじめは趣味じゃねえ。」
黙々と握りを口へ運び、器用に尻尾だけを皿の上に並べていくタナカ。
「・・・あんた、やってる仕事の割に優しいのね。」
「仕事は関係ねえ。それに勘違いしてそうだから言っておくが、俺の仕事は特殊清掃員っていう、立派な合法の仕事だ。きっちり税金だって納めてる。文句言われる筋合いはどこにもねえ。」
「合法な仕事だけじゃ、今日のような報酬は貰えないんじゃないの?」
少女の問いに、思わず箸の動きを止めるタナカ。
「・・・随分知ったような口利くじゃねえか。」
「無差別に襲った訳じゃないの。これでも少しは下調べしたんだから。」
得意気な表情で回ってきたコーン軍艦を手に取る少女。その姿を見て、タナカは再び箸を動かし始める。
「調子に乗るなよクソガキ・・・今業界は人手不足なんだ。だからこの界隈で発生する現場は基本俺に話が回ってくる。ちょっくら聞き込みすれば猿でも報酬の相場は調べることが出来る。俺の実力も知らずに刃物だけで襲ってくる時点でてめえは準備不足、敵に塩を送ってもらうのがお似合いのただの雑魚だ。」
気持ちの移り変わりが早い少女にとって、もはやタナカの辛辣な言葉に怯むことはなかった。それどころか、話の脈絡も無視してタナカへある要求を行う。
「ねえ、私をあなたの所で雇ってよ。」
「断る。」
そこに一切の躊躇はなく、一瞬にして会話は終焉を迎えた。
「なんでよ、今人手不足って言ったばっかりじゃない?」
「足りてねえのは人の手だ。猫の手欲しがる程には困っちゃいねえ。」
「どこをどう見たら私の手が毛むくじゃらに見えるのよ。」
思いの外食い下がる少女に、思わずタナカはため息を漏らす。
「いいか?この仕事は常人が簡単に続けられる仕事じゃねえ。毎日のように死体を目にして・・・それも綺麗な死体じゃねえ。時間が経って異臭をまき散らし、糞尿と生ごみに囲まれて人の形をとどめていないものがほとんどだ・・・これはガキが簡単に手を出していいもんじゃない。人様襲って金奪おうってくらい切羽詰まった状況なのは察するが、俺はお前を雇えない。学校行けなんて説教臭いことを言うつもりはないから、さっさと帰って普通のバイトを探せ。てめえ一人だけなら、2,3バイト掛け持ちすれば生活出来るだろ。」
説教臭いことを言うつもりはないと明言しておきながら、結果的に年寄りのようにだらだらと話してしまって自分に、タナカは酷く嫌気が差す。
「・・・じゃあ、何でこの仕事をしているの?」
タナカの話を聞き、反抗的な態度を見せる訳でも従順に従う様子を見せる訳でもなく、少女は妙に落ち着いた様子で尋ねた。
「この仕事をしていれば金には困らねえ。ただそれだけだ。」
「あんたこの仕事始めて長いんでしょ?嫌になるような仕事ならある程度お金貯めてさっさとやめちゃえばいいじゃない。あんたの報酬から月の稼ぎも大体想像つくけど、見たところあんたの生活じゃ月の稼ぎの十分の一も使ってない。相当貯め込んでるはずだけど。」
無駄に自分を追い詰めようと策を講じてくる少女に対してタナカは苛立ちを募らせる。
「だからてめえは俺の何を知ってる・・・別にこの仕事が軌道に乗っているから転職する必要性を感じていないだけだ。」
一度裏社会に片足だけでも踏み入れてしまえば、そう簡単に足など洗えるはずもない。そんな余計な説明を省き、適当にはぐらかすことを試みるが、少女は雑な説明に納得を示す気配はない。
「転職する気がないってだけで続けられる仕事なら、私にだって続けられる。」
「言ったはずだ。てめえどうこうじゃなく、前提として俺個人としては人手に困っちゃいない。そんなに清掃の仕事に興味があるなら他を探しな。」
「嫌だ。あんたのとこがいい。」
「てめえの希望は聞いてねえ。こっちが願い下げなんだよ。」
一歩も引かない意地の張り合いに対して、先に緩急をつけたのは少女の方であった。
「・・・じゃあ、本当のことを話してくれたなら諦めてあげる。」
「本当のこと?」
あげる、という上から目線が若干気に障ったが、この面倒な押し問答の出口を提示されたことにタナカは興味を示す。
「あんたがこの仕事を続ける本当の理由。消去法なんかじゃない、この仕事を選んで続けている理由。」
自分の言葉が嘘か本当か、こんな小娘に判断されることは容易に受け入れられることではなかったが、またここで意地を押せば今度こそ相手も一歩も引かずに応戦するであろう。そう考えたタナカは箸を置き、熱湯が少し冷めて適温になっていた湯吞みに口をつけ、自分語りを始める。
「・・・俺は生まれた時から一人、天涯孤独ってやつだ。親の顔もわからねえし、親戚も友達もいない。何かの奇跡で物心つくまで生き長らえて、そっから先は生きるために盗みも騙しも何でもやった。警察の厄介にもなった。だが別に辛いと思ったことは一度もない。何故ならそれしか知らないから、生きるってことはこういうことだって信じ込んでいたからな・・・そんなある日、それこそてめえぐらいの歳だったかな・・・知り合いから今の仕事を紹介された。」
このタイミングで少女が注文していたサーモンがテーブルに到着する。少女はその品を素早く受け取りはしたものの、口に運ぶことはしなかった。
「さっき、俺がてめえにこの仕事のろくでもない点を話しただろ?それは全て事実だが、本当の問題点はそこじゃねえ。この仕事の問題点は、この世の人間が全員まともなら存在しないってことだ。」
「・・・どういうこと?」
眉間に皺をよせ、疑問を投げかける少女に対して、タナカは今日初めての笑みを浮かべる。
「いいか?俺が片付けなきゃならねえ死体ってのはな、突然死だったり変死だったり自殺だったりをして、何日も日が経過したものがほとんどだ。どんな理由で死んだのか、そんなことに俺は興味ないが、まともな人間ならそいつが死んで何か異変が起こるはずだ。職場や学校の無断欠席が数日続く、何件もの約束が反故にされる、そもそも死を看取る人間がいる・・・健全な人間関係を築けている人間の死体は、異常な状態になる前に誰かが見つけるんだ。そうなれば、俺に声が掛かることは滅多にない。にも関わらず、俺が程々に稼ぎを得られるくらいには仕事がある・・・それがどういう意味かわかるよな。」
「まともな人間関係を築けていない人間が沢山いる。」
「そういうことだ。まあ、実際今のお前やこの仕事を始める前の俺が死んだ所で誰かが見つけてくれるとも思えないし、そんな人間がわんさかいることも不思議じゃねえけどな。」
一通り話終えた後、タナカは再び箸を動かし始める。
「・・・まだこの仕事を選んでいる理由は聞けてないんだけど。」
少女の問いに、タナカは簡潔な言葉で返す。
「面白いだろ?」
「は?」
「この世が正常なら、俺の仕事はいらねえ。だが俺はその仕事に金を稼ぎ、ガキに寿司を食わせることが出来る。そして何より、誰からも愛されず必要とされてこなかった俺が、感謝を伝えられるんだぜ?誰もやりたがらない仕事だからこそ、その道を進み続ければそう易々と替えが効かなくなる。そうなりゃ変な堅気の仕事より余程必要とされ感謝もされる。人からの感謝をモチベーションに変えられる程俺は健全じゃないが、このサイクルを想像したら面白いだろ?だから俺はこの仕事を続けている。」
「・・・」
少女は黙って残りの寿司を口に放り込むと、口の周りに米粒を残したまま立ち上がる。
「なかなか面白い話を聞けたわ。またご馳走してね。」
そう言い残し、少女はそそくさと去っていく。
「飯を奢って感謝の一言もなし・・・ありがとうって言葉は簡単には出てこねえなあ。」
そう呟きながら、タナカはデザートのメロンを注文した。
翌日、現場に向かうためいつも通り自宅から少し離れた場所に止めてあるハイエースへ向かうと、そこには少女が立っている。
「・・・何の真似だ?」
「あんたからこの仕事の『やりがい』聞いたらますます興味持っちゃった。だから何としても雇ってもらうから。」
腰に手を当て、自信満々の表情で言い切る少女に、タナカはため息を漏らした。
「・・・もう、勝手にしろ。」
「わーい、やったぁー!」
ようやく見せた年相応の表情と共に、少女は助手席へ乗り込む。
「ねえ、今日こそハンバーガー食べたいなあ。」
「ご馳走してもらって感謝の言葉一つ言えねえ奴にはもう二度と奢らない。」
「これからいくらでも言ってあげるよ、これからもよろしく、ってね」
「それは感謝じゃなくて寄生ってんだよ。」
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