わすれもの

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ぼんやりしていると、またラインにメッセージが入った。だれだろう。 画面を見ると、吉野さんからだった。 『明日、ちょっと会えない?』 と言うメッセージだった。私と吉野さんは、以前働いていた会社、つまり夫と知り合った会社の同僚だった。吉野さんは、親切に仕事を教えてくれる姉さん的な存在の人で、夫と交際しているときも相談に乗ってもらっていた。 だからだろうか。結婚して仕事をやめて半年くらいしたとき、吉野さんの連絡先を消せと言われた。 「あの女には裏表があるんだ。おまえにもあることないこと言うだろう?」 そのころすでに夫には逆らえなくなっていた。私は夫の目の前で吉野さんの連絡先を消した。 でも私はちゃんと吉野さんの携帯番号を記憶していた。だから、家計簿の支出欄に、何行かに分けて番号をメモしておいた。その買い物のレシートはなくしたと言い張った。 実家に身を寄せて新しいスマホを買って、いちばんに連絡をしたのが吉野さんだった。吉野さんは、電話口で泣いてくれた。 こんなことになっているなんて、思いもしなかった、と。連絡がなくなったのはさみしかったけど忙しいんだろうと思っていた、と。 夫は職場で幸福なわが家の様子を語っていた。ちょっと抜けている妻と、それを見守る優しい夫、可愛い娘のささやかな家庭。夫はウソをついていたのだろうか。それとも夫には本当にそう見えていたのだろうか。 私は吉野さんに返信した。 『明日、仕事終わりでいいですか』   『了解。職場の女の子が、あなたに会いたいんだって』 どういうことなんだろう。二十年近く前にやめた会社の人が? その夜、私がベッドで寝つけずにいるときに、そっと香織は帰ってきた。リビングを抜けて自分の部屋に向かう足音がした。
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