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プロポーズ決行日。僕は何度もデートプランを確認した。
いくらAIが完璧なプランを立てたとしても、実行する僕が失敗してしまっては意味がないからだ。
肝心要のプロポーズの言葉は何度も練習した。でも、多分、恐らく、絶対にその瞬間になったら、緊張のあまり頭が真っ白になり、プロポーズの言葉は吹っ飛んでしまうだろう。だから、AIに良いタイミングで表示する等、細かな指示をしておいた。
AIが考えてくれたデート服に身を包み、AIが考えてくれたデートプランを確実に実行する。
果たして、AIが考えてくれたプランはやはり完璧だった。
途中、僕の失念しかけたりやミスになりかけたこともあったが、AIがその度にフォローしてくれて、何とか取り繕うことができた。
彼女は楽しそうに笑ってくれている。話もAIのおかげで、いつもどおり弾んでいる。
「それで、これからどこに行くの?」
「今日はレストランを予約してあるんだ。しかもちょっと良いところなんだ」
僕はレストランの名前と場所を口にする。
「え? そこって結構高いところじゃない?」
「たまにはいいかなと思って。それじゃ、行こうか」
AIが考えてくれたプラン通り、事が運ぶ。僕は彼女を連れ立って、目的地となる高級レストランへと足を踏み入れる。
正直、高級レストランに来るなんて人生で初めてのことだった。だから、立ち振る舞いにかなり不安があった。練習はたくさんした。だからといって、それで緊張がなくなるなんてことはない。
でも、僕にはAIがいる。何かあればAIがフォローしてくれる。そして、早速フォローが入った。
エスコート、忘れてた。
AIの指示に従い、彼女のエスコートをする。予約しておいた窓際の席に座る。
「わぁ、素敵……」
彼女の目が輝いた。
レストランは40階という高層に位置しており、夜景を見下ろすことができる。でも、僕はあえて上を指差す。
「空を見てごらん」
彼女は言葉を失った。
夜空には満月が浮かんでいた。濃紺に浮かぶ白く光る月。その月を邪魔するものは何もない。周囲で煌めく星々は、月の美しさをより際立たせてくれる。
「こんなに綺麗な月を見たの、初めてかも……」
彼女の口から、自然と感嘆のため息が漏れる。
「地上から見上げると、どうしてもビルとかで邪魔が入るからね。これが本当の夜空って感じがするよね。それに……」
僕は一呼吸を置く。
「君は月が好きだから」
その言葉に、彼女の目が見開かれていく。
「……知ってくれてたんだね」
彼女の頬が朱に染まる。うれしそうに目元が弓なりになる。
彼女が月が好きだと判断したのはAIだ。彼女は月が好きだなんて、一言も発したことがない。それはAIにも確認しているから間違いない。けれど、彼女の言動からして、AIは間違いないと判断した。だからこそ、このレストランだった。
「月、とても素敵! とっても素敵! 本当に、本当に素敵」
月を見上げる彼女を見て、自分の胸にうれしいという感情が広がっていく。
喜んでくれて、良かった。
多分、僕がどれだけ頭をひねっても、こんな素敵な場所は思いつかなかっただろう。本当にAI様様だ。
その後、僕らは高級レストランらしい、コース料理を時間をかけて堪能した。本当に美味しかった。でも、それ以上に心を満たしたのは、彼女の笑顔だった。僕に向けてくれる笑顔が本当に素敵で、素敵すぎて、いつの間にか彼女のことばかり見ていた。月のことなんて、もう、忘れている。
そして、その時が来る。AIが僕だけにそっとタイミングを教えてくれた。僕はグラスに入った水を、ぐびりと飲み込む。彼女に見つからないように、一つ、深呼吸をした。
「ねえ、大事な話があるんだけど、いいかな」
「大事な話?」
彼女がこてんと首を傾げる。その姿も愛らしい。
僕は決心をし、プロポーズの言葉を脳内に思い浮かべる。
……僕って奴は全くどうしようもないな。
案の定、頭が真っ白になった。AIが考えてくれた、最高のプロポーズの言葉は宇宙の彼方へ飛んで行ってしまった。
だが、僕は慌てない。即座にAIにプロポーズの言葉を出すように脳内で指示を出す。
そこで少し違和感があった。AIには、適切なタイミングで、早い話が僕がプロポーズの言葉を思い出せなくなったタイミングで、プロポーズの言葉を表示するように指示してある。AIは僕の思考を読み取れるはずだから、既に表示されていてもおかしくないはずだ。しかし、表示されていない。
でも、まあ、そんなこともあるか。今はそこに思考を割いている場合ではない。
僕は深呼吸を一つ挟んだ。大丈夫だ。今からAIがプロポーズの言葉を表示してくれる。その表示される言葉を読めばいい。それだけのことだ!
AIが言葉を表示してくれる。
だが、それは予想外の言葉だった。プロポーズの言葉ではない!
「あなたが思う、彼女と結婚したい理由を、あなたの言葉で彼女に伝えてあげてください」
AIはそれだけ表示すると、それ以上、僕がいくら指示を出しても何も表示を出すことはなかった。
「……大丈夫?」
僕の挙動が変になったことで、彼女が心配の目を向けてきた。
頭は真っ白だ。何を言えばいいのかわからない。AIに頼り切っていた僕は、何も言葉にすることができない!
冷や汗が垂れてくる。何か言わなければ。何か言わなければ!
焦る気持ちが心をかき乱す。かき乱された心の影響を受けて、脳内がさらに混乱をきたす。
どうしたらいいんだ、僕は!
「どうして、あなたは彼女と結婚したいのですか?」
AIが突然、語り掛けてきた。
どうして? そんなの、彼女のことが愛おしいからに決まっているだろう!
彼女のポジティブなところ。元気しかくれない快活な笑顔を向けてくれるところ。少しドジなところ。優しく包み込んでくれるところ。美味しい料理を作ってくれるところ。まっすぐな瞳で見てくれるところ。僕のダメなところも、わたしにとってはあなたの素敵なところだよ、言ってくれるところ。でも、そのダメなところをきちんと指摘もしてくれるところ。
彼女の好きなところ上げれば、枚挙に暇がない。
……僕が彼女を好きな理由。それはAI、お前が一番よく知っているはずじゃないか!
「なら、それを、彼女に言ってあげてください」
AIはそれだけ言うと、頑張れ、とだけ言い残し、今度こそ、本当に無反応になった。そこにいるはずなのに、ただただ見守るように黙り込んだ。
僕は彼女の心配そうな瞳を見つめる。大好きな瞳を見つめる。
僕は彼女と結婚したい。彼女を一生大切にしたい。
それはAIに言われたから?
それは違う。これは僕が決めたことだ。AIに結婚したらどうですか、などとは言われていない!
そこではっとした。僕はAIに頼り切っていた。それは事実だ。でも、AIに全てを決められていたわけじゃない。
僕はたしかにマッチングアプリで彼女と出会った。AIにたしかに勧められた。
だけど、会うと決めたのは僕だ! 彼女と付き合いたいと決めたのも僕だ!
そこであることに気が付いた。AIが彼女が月を好きだと感じた理由だ。
それは僕が誰よりも、何よりも、彼女を見ていたからだ。そして、彼女の言葉に耳を傾け、彼女の挙動に興味を抱いていたからだ。
僕自身が、彼女を愛おしいと感じていたから、AIがそれを学んだんだ。愛を学んだんだ。
そこで急に脳がクリアになった。真っ白とは違う。何も思い浮かばなくて苦しいのとは違う。言うなれば、真っ青な空に浮かんでいるかのような心地だ。
気が付けば、僕は僕自身の気持ちが手に取るようにわかるようになっていた。
だから、言葉を考える必要はなかった。
自分の心に全てを預けるだけで良かった。自分の心を口にするだけで良かった。
「僕と結婚してくれませんか?」
なんてシンプルな言葉なのだろうか。AIが考えてくれたプロポーズの言葉はもっと愛情が込められていたし、僕らが過ごした時間についても言及した、本当に素敵なものだった。
それに比べて僕の言葉はなんて拙いのだろう。
「僕は君のことが大好きだ。心の底から大好きだ。一生、君と一緒にいたいって思うんだ!」
僕は感情のままに言葉を吐き出す。彼女に自分の想いを、どれだけ自分が彼女を好きなのかを必死になって伝える。
「君の笑顔が好きだ。君の声が好きだ。君の紡ぐ言葉が好きだ。君の持つ雰囲気が好きだ。君の作る料理が好きだ。僕のヘタな料理もおいしいねって言ってくれるのも好きだ」
言葉はまるで整っていない。周囲から見れば、汚いと思われているかもしれない。拙いかもしれない。もはや言葉にすらなっていないかもしれない。途切れ途切れかもしれない。
ボロボロになりながら、だけど、僕は彼女に自分の想いを伝える。火照る体の激情のままに、言葉を吐き出していく。
そこで、はたと気が付いた。彼女が両手で顔を覆って、俯いていることに。
言葉に急ブレーキがかかる。
体が急速に冷えていく。
僕のあまりにも美しくない言葉のせいで、周囲からの視線に耐えられず、辱められていると感じてしまったのだろうか。それで、逃げるように顔を隠しているのだろうか。
僕は彼女の感情がわからず、困惑する。
でも、すぐにそれは違うと思い直した。今まで僕が接してきた彼女は、そんな人じゃなかったから!
だから、気が付いた。
彼女が泣いていることに。
「……どうして、泣いてるの?」
僕は恐る恐る彼女に聞く。
「どうしてって……」
彼女が両手を顔から離し、僕に顔を向ける。彼女の顔はぐちゃぐちゃだった。真っ赤に染まった顔。八の字になった眉。顔のパーツが中央に寄り、涙が止めどなく溢れ、ちょっとだけ鼻水が飛び出していた。
その顔すら、僕には美しく見えた。
「そんなの、うれしいからに決まってるじゃんッ!」
彼女は席を弾むように立ち、僕の方へと駆け寄り、きつく、きつく抱きしめてくれた。
「わたしも、君のことが大好きだよ! だから、結婚しよッ! ずっと、ずっと一緒にいよッ! 楽しいことは倍にして、悲しいことは半分に分けあって、手を取り合って生きて行こッ!」
僕も彼女を抱きしめる。あらん限りの想いを乗せて、抱きしめる。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくねッ!」
AIのないプロポーズの言葉は、絶対に聞き返したくないけれど、成功に終わった。
心底、ほっとする。
ふと気が付くと、AIからの言葉が表示されていた。
「Congratulation」
僕はその言葉に、鼻の奥がツンとした。まさかAIに泣かされそうになるとは。
しかし、その想いはすぐに消え失せた。
音声データが添付されていたからだ。
間違いなく、今のプロポーズを録音していた。
~FIN~
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