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ともだち
それから週に二回、多い時は三回、俺たちは夜な夜な公園に集まっては組み手をした。もちろん、例の「バイト」と並行して。
デビルは体の使い方をろくに知らなかったが、覚えは良かった。何せ、鬼気迫っていた。遂げたい目的があるに違いない。
指導開始から二か月経った。
正直、後悔している。今のデビルと馬鹿正直にやりあったら敵わない。受け身にも限界があり、。この体格差を覆せる小技や悪知恵は、祖父にもきっとない。
だから今夜会えたら、デビルに「これ以上、教えることは何もない」と伝えるつもりだ。
「行ってくるわね」
夜勤へ向かう母さんを、いつものように送り出す。
今日の待ち合わせ場所は、家から自転車で数分の場所だが、俺もそろそろ向かわないと。
ふと、テーブルに放置されっぱなしの茶封筒を見やる。膨らむ一方だ。入りきらないほど貯めたら、根負けして手を付けてくれるのか。
とにかく、こんな大金に留守番させるのはまずい。ショルダーバッグに突っ込んで、玄関から飛び出した。
「どこへ?」
家の前に、怖い顔をした母親。
そういえば、階段を下りる音を聞いていなかった。
「知らないと思った? あんたが最近、夜にこそこそ出掛けてること」
「……コンビニに用事。母さんこそ夜勤は」
「今日はない。お互いにウソついたから、おあいこね」
もっと上手い返しがあったと、自分で悔やむくらいだ、見抜かれても仕方ない。
もう、強行突破しか。扉を閉め、施錠する。
無言で母さんの前を通り抜けようとしたら、腕を掴まれた。
「『別のバイト』でやたら稼いでるようだけど、危ないことしてないわよね」
「ほっとけよ」
「無理して持ってこられたお金なんて、もらってもうれしくないの。お母さんはあんたが心配で」
「俺だってそうだよ!」
母さんの手をかなぐり捨て、階段を飛ぶようにかけ下りる。当然、追いかけられる。
強盗みたいに自転車をかっさらい、夢中でペダルを回す。
「誰かから盗んでしまったお金なら、ちゃんと返しに行きましょう! お母さんも一緒に……」
声がものすごい勢いで遠ざかる。目的地が頭から飛ぶくらい、漕いで、漕いで、漕いだ。
次第に、ショルダーバッグが嫌な重さを帯びてくる。
これは俺が稼いだ金のはずだ。母さんよりずっと短い時間で、ちゃんと体を張って。それなのに、面と向かって否定された途端、どうしてこんなに「持ってちゃいけない」と思わなきゃいけない。
俺は、デビルをゆすってきた奴らとは違う。対等な取引なのに!
「だぁあッ」
感情のぶつけ先がない。あと一時間でも、二時間でも自転車を走らせていたいのに、もう公園に着いてしまった。電灯がないせいで、真っ暗がり。
自転車を投げ転がして蹴り飛ばす。
カゴがひしゃげたのを見て、はっとした。逆側から同じように蹴ったら、元に戻るだろうか。
「前田、くん……?」
とりあえず自転車を起こそうとしたら、ざっざっ、と砂音が近づいてきた。デビルだ。
声が聞き取りづらい。口に物を入れたまましゃべっているみたいだ。
母さんからの不在着信を告げまくるスマホを取り出し、懐中電灯で目前を照らす。ぬっと浮かび上がる、見慣れた白い影。
思わず、息を飲んだ。
「おまえ、その顔……!」
そう言うと、デビルは「いやぁ」とこめかみを掻いた。
左まぶたが腫れて、目が開いていない。右頬には明らかに、殴られた痕がある。唇も、両脇が切れていた。
「これ、『勲章』ってやつかなあ」
「誰にやられた」
「……いつも、一緒に前田くんをいじめてたメンバー。けどね、『やられた』んじゃない。僕が『やった』んだ」
どういうことだ、と思わず尋ねていた。
デビルは俺の自転車を起こした後、ためらいがちに口火を切る。
「僕ね、前田くんと『友達』になりたかった」
ドキッとする。
弾みで、思い出した。前、デビルに言ったこと――「友達でもあるまいし」。
なんと返すべきか迷っているうち、デビルは「当然だよね」と苦く笑った。
「殴られるのって、どんな理由があったって、やっぱり、痛い。それなのに、前田くんに酷いことをお願いしてきた。そんなの『友達』のわけがない」
謝って許されることじゃないけど、と前のめりに捲し立ててくる。
「ごめんね」
続いた一言は、語尾が大きく震えていた。スマホのライトに照らされた、デビルの目もだ。
「最初から、こんなこと続けてちゃいけないってわかってたんだ……。でも、あいつらにただ『人から金を奪うのはもうやめ、解散!』って言ったって、聞くはずないから」
「それが、ケンカの仕方を教えろって言った理由か」
デビルが首を縦に振るのと同時に、すとんと腑に落ちた。
ああいう輩には、「わかる方法でわからせる」しかない。だから強くなろうとしたのか、本当はケンカの「ケ」の字も辞書にない人間のくせに。
「僕についてこようとする人はいなくなった。だからもう、前田くんに痛い思いをさせずに済むよ。……あ、でも安心して! 別の方法で報酬を渡せるように考えるから」
不意に、ショルダーバッグの重みを感じる。
気持ちに任せたら、自然に手が動いていた。中から茶封筒を取り出し、デビルのふかふかした胸に押し付ける。
「返す。これまでもらってきた金、全部入ってる」
途端に慌てふためいたデビルが、なんで、どうして、ばかり繰り返す。
「僕、いけないことしちゃった!?」
「してない。……だから返すんだよ」
なんだろう、ショルダーバッグだけじゃなく、全部がすっきりした。説明が難しいが、これでいい気がする。
だがデビルは、これまでになく泣きそうだ。受け取るしかなくなった茶封筒を、音がするほど握りこむ。
「な、なんでお金を返されるのかわかんないけど、ま、待って、今考える……前田くんに、報酬を渡せる方法」
「いいって言ってるんだよ、そんなこと考えなくても!」
つくづく俺たちは、人付き合いが下手すぎる。自覚はあったが、デビルも大概だ。金の切れ目が縁の切れ目だと、刷り込まれ過ぎている。
でも、デビルにとってはこれまで、"それ"が全てだったんだ。いきなり全否定されたら混乱するだろう。
それならば。
「じゃあ、一つ頼みが」
「なに!?」
「……俺んち、弁当屋なんだ。味はいいんだけど、あんま売れなくて……もし気が向いたら、たまに買いに来てくれると……助かる」
しなびていたデビルの目が、キラッとした。頬も心なしか、ふっくらしたよう。
夜の公園に「それなら毎日買いに行く!」と、こだました。
「うれしいよ。中学の頃にばあちゃんが死んでから、カップ麺ばっかでさ……コンビニ弁当も外食チェーンのテイクアウトも、ほぼコンプしちゃったし」
へらっとデビルが情けなく笑い、「いてて」と口許を押さえる。
救急箱を持ってくれば良かった。今から取りに帰ろうか。きっとこいつ、家に戻ったって誰にも心配されず、手当てもされないまま寝るんだろうから。
母さんに事情を話したら、俺に雷を派手に落とした後で、「その子を連れてきなさい」と言い出しそうだ。イチかバチか、デビルを連れ帰っていいか、電話で聞いてみようか。
そんなことを考えていたら、「あっ、でも!」と肩を掴まれた。
「僕、結構食べるから……お弁当、たくさん買っちゃうかもしれないけど、迷惑じゃない?」
構えて損した。迷惑どころか!
何度も首を横に振ると、デビルは茶封筒を抱き締めて「じゃあ早速、明日行くよぉ!」とガタガタの歯を覗かせた。
そうして、懲りずに右手を差し出してくる。今度は、除けずに済みそうだ。
「これからもよろしく!」
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