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02
「その言葉から察するに、まだシスターは有効だと? そうなると、君は今も神の僕ということになるが――ッ!?」
レイトナの蹴りが、ヌンディーの顔面に振り抜かれた。
だがヌンディーはこれを片手で払い、続けて放たれた蹴りも屈んで躱す。
そこを狙って、レイトナは顎を目掛けて膝蹴り。
しかしヌンディーは、これも体を仰け反らせて避ける。
「どうでもいいんだよ! 神はッ!」
それでも相手がバランスを崩したと判断したレイトナは、さらに追撃。
ジャブを左右の手で打ちながら、大きく振りかぶって右ストレートを打った。
拳はヌンディーの死人のような顔を打ち抜いたが、彼は笑みを浮かべたまま堪え、レイトナから距離を取る。
「おまえは自分のことを特別な人間だと思っているようだが、そんなことはない」
レイトナが距離を詰める。
シスターの――育ての親の仇を討とうと、拳を振り上げる。
「ただ世界に馴染めなかっただけの男……。それがおまえで、今ではもう歴史上で最悪の罪人となった」
拳が再び顔面を貫く。
その意識を刈り取ろうと振り抜かれる。
だが、それでもヌンディーの笑みは崩れない。
口から血が流れ、顔が腫れ上がっても、彼は実に楽しそうに笑っている。
「自分から人の輪から外れたくせに、孤独を強制されてたとでも思って恨んでるんだろ!」
「僕が孤独? そうか……。君にはそう見えるんだな」
「ぐはッ!?」
ヌンディーが出された腕を掴み、そのまま引っぱると、背をレイトナに向けて思いっきり放り投げた。
地面に叩きつけられたレイトナは、すぐに立ち上がろうとしたが――。
「遅いよ」
ヌンディーの足の甲が彼の顔面を蹴り抜いた。
それは、まるでフットボール祭でボールを蹴るかのような華麗なシュートだった。
こめかみが割れて血を噴き出しながら、レイトナは球体のように転がる。
それでもレイトナはなんとか再び立ち上がろうとするが、意識が朦朧して上手く体が動かせずにいた。
寝そべっている彼の傍に、ヌンディーはゆっくりと歩を進める。
「見当違いだよ、レイトナ。僕は物心ついたときから、一度だって孤独感を覚えたことはない」
腰を落とし、苦しそうなレイトナに自分の顔を近づける。
唇が触れそうになるほど――相手の呼吸の音が伝わるほどの距離だ。
「僕にはいつだって君がいた。周りと、世界と馴染めなくても……いつも君がいてくれたんだよ、レイトナ」
「な、なにをふざけたことを――ッ!」
「ふざけてなどいない。現にこうして、君は僕の傍にいるじゃないか」
ヌンディーは、レイトナを見つめながら話を始めた。
幼い頃からあった神への違和感。
訴えても誰も理解などしてくれなかった。
間違っていることを口にしてもわかってもらえなかった。
話すら聞いてもらえず、ただ爪弾きにされた。
それでもヌンディーは孤独ではなかった。
それは、ずっとレイトナがいてくれたから――。
孤児院内で孤立していても、レイトナはヌンディーの近くにいた。
周りにどう思われようが彼に話しかけた。
一緒に食事を取った。
共にベットで眠った。
目を瞑るだけで、今でもその光景を思い出せる素晴らしい時間だった。
「でも、少しだけ訂正しよう。僕にも孤独な時期はあった。それは、君がシスターの言うことを聞いたせいだったね」
ヌンディーは言う。
確かにひとりぼっちだったときもあった。
その原因は、レイトナが修道士になって孤児院を出たからだと。
「どうすればまた昔のように戻れるのか? 必死に考えたよ。だけど、その答えは簡単だった」
「それが……シスターを殺した理由か!?」
怒声を吐いたレイトナを上から見つめながら、ヌンディーは彼の耳元へ唇を近づけ、その頬を寄せた。
そして、まるで息を吹きかけるように、言葉を続ける。
「死の間際、あの人は謝っていたよ。わかってあげられなくてごめんなさい。もっとあなたとの時間を作るべきだったとね」
「ぐッ!? ぐわぁぁぁッ!」
レイトナが体を起こし、自分の体に乗っていたヌンディーを跳ね飛ばした。
それから立ち上がると、彼の額に自分の額を打ち付ける。
その衝撃でヌンディーの額が裂け、血が流れた。
彼の白い髪が赤く染まり、二人とも流血状態となった。
よろめくヌンディー。
やはり体格差はあるため、正面からぶつかれば彼のほうが上だった。
「おまえは……そんな理由でシスターを殺し、この国を崩壊させようとしていたのか……?」
途切れながら言葉を繋いで、ヌンディーは再び問いかけた。
声が震えているのは先ほどの蹴りが効いているせいか?
または、幼少時から知っている友だった男の本心を知って動揺しているのか?
レイトナは汗も止まらず、次第に手足すら震え始めている。
「君と同じさ。さっき言っていただろう? どうでもいいんだよ、神は……ってね」
ヌンディーは手を伸ばす。
身を震わせるレイトナのことを掴もうと、満面の笑みを浮かべて。
「君がここまで来れたのは、僕の思考を読み、僕の考えを理解したからこそ……。さあ、続けよう。僕たちの時間を」
ヌンディーが再び口を開いた瞬間――。
レイトナは彼から離れた。
それは、まるで悍ましいものでも見たかのような血の気の引いた顔で、慌てて下がっていた。
それでもヌンディーは、彼に言葉を続ける。
「誰も僕を理解しようとはしなかった。そして、今やそれは君も同じさ、レイトナ」
「や、やめろ……」
「君の怒りを」
「やめろ……」
「君の悲しみを、誰も理解しようとはしなかったようにね」
「やめてくれ……」
レイトナがその場で蹲る。
両耳を塞ぎ、ヌンディーが声を発するたびに怯えるように、身を縮める。
ヌンディーはそんなレイトナを見下ろしながら、彼との距離を詰めた。
「修道士という立場、シスターの教えを捨て、神に背いてまで僕のことを追いかけた君の殺意。僕はとても嬉しいよ」
「うわぁぁぁッ!」
レイトナは悲鳴をあげると、地面に落ちていた何かを拾って立ち上がった。
彼の手に握られているのは、先ほどヌンディーが置いた毒の入った小瓶だった。
「それで僕を殺すのかい? それもいい」
「勘違いするな! 俺はおまえの思いどおりになんてならないぞ! 絶対にな!」
レイトナはそう叫び返すと、小瓶を開けて中身を飲み干した。
躊躇うことなく毒を飲み干した彼の行動に、ヌンディーの笑みが崩れる。
言葉すら失い、慌ててレイトナに寄り添う。
「うが!? うぐあぁぁぁッ!」
苦しみでのたうち回るレイトナ。
その体は次第に崩れていった。
皮膚が液状に解け、その屈強な体の内面が剥き出しになっていく。
「なんでだよレイトナ!? こんな!? ヤダ! ヤダ死なないでくれ、レイトナ!」
ようやく声が出たヌンディーだったが、彼の叫びも虚しく、レイトナの体は血と肉、骨が混ざった赤い液体へと変わった。
――後日。
ヌンディーは、水の都アクアサレムで彷徨っていたところを捕らえられた。
これまで数々の罪を重ねてきたヌンディーではあったが、どれも彼がやったという証拠がないため捕まらずにいたが、今回の捕縛は不審者ということでだった。
不審者だと思われた理由は、ヌンディーが血塗れで、特に口周りがまるで生きた人間をそのまま食べたかのような汚れがついていたから。
「つまらない……つまらないな……ここは……」
それから数年後も、ヌンディーはまだ檻の中にいる。
毎日、意味の分からない言葉を呟きながら。
〈了〉
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