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「……だからさ」
まばたきを一度、二度。
合わなかった焦点がようやく合い始める。
ぼやけていた視界がクリアになる。
「とっととそんなケガ治して、家に帰って、ちゃんとあやまってもらって、駅前のいつものカフェのいつものケーキを買って帰って、二人で食べて、〝しゃーないなー〟って言ってケンカを終わらせるよ」
付き合っていた頃みたいだと思っていた妻の泣き顔もはっきり見えてくるとやっぱり老けたなと思う。太ったし、しわも白髪も増えた。
だけど、それはお互い様。妻も俺も来年には四十になるのだから。
それに――。
「死ぬようなケガしようが何しようがそれはそれ。これはこれなんだから。ケジメはきっちりつけとかないとなんだから」
この先もしばらくはいっしょに生きて、もっとしわしわで髪も真っ白なじいさんばあさんになるんだろうから。
子供みたいに手の甲で涙と鼻水をぬぐいながぶっきらぼうに言う妻の頬に手を伸ばす。力が入らなくて届かなかったけれど気が付いた妻が俺の手を取った。
しばらく声を出していないせいか、それとも人工呼吸器をつけているせいか。かすれた声すら出ない。
それでも――。
「…………」
俺が言わんとすることは伝わったらしい。手を握り返して見つめれば妻はくしゃくしゃの顔で微笑んで――言った。
「こちらこそ……これからもよろしく」
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