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二
入口の扉が勢いよく開き、若い男が店内に飛びこんできた。
マーカスだ。一年ちょっと前から組んで仕事をしている、相棒だった。歳はジェフの二つ下で、このあいだ十九になったと言っていた。
首都ルパランの出身で、金持ちの家に生まれながら、無頼や冒険に憧れる、放蕩息子というやつだった。ジェフとはたまたまルパランの酒場で知り合ったのだが、戦場での話をいくつかしてやったら気に入られ、そのままついてきた。奢ってもらった手前、無下に追い返すわけにもいかなかった。
しょせんはボンボンで、いざ斬り合いということになったら腰を抜かすだろう、と思っていたが、意外にマーカスは根性があった。
はじめは、小さな村で五人の野盗を相手にした。ジェフが四人斬って、マーカスはひとり斬った。人を斬るのははじめてらしく、自分が斬った屍体を見て、その場で四つん這いになって吐いていた。剣の腕はまあ普通といったところだが、魔法を遣うことができる。いまでは、なかなか頼りになる存在だ。
ルックスもよくて、女をひっかける時は、まずマーカスに声をかけさせた。首都ルパランの話でもすれば、尻の軽い女は、喜んでついてくる。
マーカスは、ジェフの隣のスツールに腰を降ろすと、バーテンに水を註文した。かなり息が荒く、肩が上下していた。肩まである茶色の長い髪は、汗で首筋に貼りついている。
「血相変えてどうしたんだよ、マーカス。確か、今日は女とデートだったよな。それとも、振られちまったか?」
出された水をひと息に飲み干すと、マーカスは服の袖で口もとを拭った。
「魔物が出たんだよ。どうも、かなり大型のやつらしい。南門で兵士が応戦しているが、いずれ突破されちまいそうだ」
「あまり、でかい声出すなよ。ほかの客が驚くだろ」
「おい、若えの。いま、なんて言った?」
それ見たことか。すぐそばにいた中年の男が、マーカスに絡みだした。ただでさえ、ガラの悪い連中が多い。酔っ払いを刺激するようなことを、大声で言うものではない。
「だから、大型の魔物が町に」
マーカスが言いかけたところに、南の方で砲声が何発も轟いた。どうやら、マーカスの話はほんとうのようだ。このあたりで、大型の魔物というのもめずらしい話だ。これも、月の異常接近とやらが原因なのだろうか。
一瞬店内が静まり返ったが、すぐに喧騒はさきほどより大きくなった。何人かの客が、勘定も払わずに逃げ出した。
「どうするジェフ。俺たちも逃げるか?」
「どうするかな」
ジェフは煙草を箱から取り出し、火をつけた。煙を吸いこみ、ゆっくりと吐き出す。マーカスは、バーテンにもう一杯水を頼んでいた。
「落ち着いてる場合かよ、ジェフ。さすがに、やばくないか?」
「まだ大丈夫だ。もうちっとばかり、くつろいでからとんずらしよう。ところでおまえ、そのでかい魔物ってのを見たのか?」
「雄叫びを聞いただけだ。でも、聞いただけで身が竦むような、恐ろしい雄叫びだった」
「どうせずらかるなら、一度くらい見てからにしようぜ。見たこともないもんにビビッても、しようがないだろう」
「マジかよ。まったく、ジェフにはかなわないな」
言って、マーカスが二杯目の水に口をつけた。今度は、少しずつゆっくり飲んでいる。
気づけば、客のほとんどが帰っていた。残っているのは、酔い潰れているか、自棄になっているやつばかりだ。眼が合うと、バーテンは肩を竦めてみせた。
吟遊詩人は、まだ演奏を続けていた。よく聴けば、なかなか上手い。銀髪で肌も抜けるように白く、どこか神秘的な感じがする。年齢は、よくわからなかった。
大砲の音が熄んだ。仕留めたのか。いや、まだだ。雄叫びとともに、地響きがした。どうやら、魔物は門に取りついたようだ。もはや、大砲は役に立たない。そのうち、門も破られるだろう。いくら外壁が強固だといっても、大型の魔物を想定して作られてはいないのだ。
なにやら、外が慌ただしくなってきた。避難命令が出されたのだろう。軍の指示で一度中央広場に集まり、北門あたりから避難する、というところか。
「店、閉めないのかい?」
「最後のお客が帰ったら閉店、って決めてるんでね」
「そいつはいいや。おい、マーカス。おまえも、水じゃなくてほかになにか頼めよ」
「じゃあ、ビール」
「よし、俺もビールにしよう。乾杯だ」
ジョッキをぶつけ合って、ジェフはビールをひと息に半分まで飲んだ。
灰皿を見ると、吸いさしの煙草は根もとまで灰になっていた。ジェフは、新しい煙草に火をつけた。吸いすぎで、のどが少しいがらっぽくなってきた。
店の外で、馬蹄と具足の鳴る音がした。傭兵の経験から、ジェフはこういった音に敏感になっている。馬は、店の前で停まったようだ。
しばらくして、具足を着た三人の男が店に入ってきた。口髭をたくわえた初老の男が先頭で、二人の兵士がその後ろに控えている。
「この店に、『斬鉄のジェフ』がいると聞いた。知らないか、若いの?」
マーカスが、右手の親指を立ててこちらを指した。
「これはまた、ずいぶんと若いな。まあいい。貴殿に、話があって来た」
「話はいいけどよ、まずあんたが名乗るのが先だろう」
「貴様っ」
後ろの兵士のひとりが、剣の柄に手をかけた。すぐに、初老の男がそれを制した。
「すまなかった。私は、この町に駐屯する軍を預かる、スティーヴという者だ」
「なるほど、隊長さんってわけか。魔物、倒せそうかい?」
「残念ながら、われらの戦力では、とても倒せそうにない。二十メートル近くある、獣のような魔物なのだ。あんな化け物を相手に、どう闘っていいものか」
「まあ、人間相手とは勝手が違うだろうしな。首都の騎士団なら対抗できるんだろうが、応援を頼もうにも、ここからじゃ遠すぎるか」
騎士団は、魔法も使いこなす戦闘のエキスパートで、戦がなくなってからは、首都に常駐している。ここから首都ルパランまでは、馬で五日というところだ。近隣の町に応援を頼もうにも、やはり一両日はかかるうえに、ここと似たような規模の軍が駐屯する程度だろう。ほかの精鋭部隊は、国境付近に配置されている。
「貴殿を見こんで、頼みがある。魔物を、倒してくれないか」
「無理言わないでくれよ。いくら俺だって、二十メートルの魔物は、ちょっとな」
「やめましょう、隊長。こんな若造ひとりに、なにができるというのです。第一、『斬鉄』というのも、ただのハッタリかもしれません」
「試してみるか? 痛みを感じる前に殺してやるよ」
ジェフは、壁に立てかけてある剣に手をのばした。剣を見ると、威勢がよかった兵士は急に大人しくなった。特註の長大な剣で、刃の広さは普通の剣の三倍はある。重量もやはり普通の三倍はあり、扱うにはかなりの膂力を要する。
四年ほど前、この剣で、敵の指揮官を具足ごと両断したことがある。それ以来、ジェフは誰からともなく『斬鉄』と呼ばれるようになった。名が上がると、それだけ実入りも増えた。ジェフのまわりには、いつしか同じ年ごろの若い傭兵が集まってくるようになり、彼らをまとめて各地を転戦した。どこの戦場でも、ジェフの率いる部隊は敵に恐れられると同時に、味方からは一目置かれた。街に出れば、女もたくさん寄ってきた。
戦がなくなると、部隊は解散した。かつての部下たちが、いまどうしているかはわからない。自分がそうしているように、それぞれ、生きたいように生きればいい。
「部下が無礼を働き、申し訳ない。貴殿の力を借りたいのだ。頼む。モトンの民のため、魔物を倒してくれんか」
言って、スティーヴが深々と頭を下げた。つられるように、後ろの二人の兵士も頭を下げた。
「いくらなんでも、無茶だぜ。なあジェフ」
「マーカス。悪いが、少し黙っててくれ」
やってもいい、という気分にジェフはなっていた。戦がなくなって二年間、用心棒や賞金稼ぎをやって生きてきた。それで金は得られるが、正直退屈でもあった。戦のように、血が滾らないのだ。いままでに見たこともない、巨大な魔物との闘い。想像しただけで身震いがするが、同時に、躰が熱くなってもくる。いま思えば、傭兵を続けていたのは、金のためだけではなかったのかもしれない。
気づけば、吟遊詩人は演奏の手を止めていた。
しばしの沈黙のあと、ジェフは再び口を開いた。
「いいだろう。馴染みの店が潰れても困るしな。ただし、恩賞はそれなりに貰うぜ。一千万ルクナだ」
ジェフの言葉に、全員が声にならない呻きをあげた。マーカスと二人で、一年は遊んで暮らすことができる額だ。
「ずいぶんと、吹っかけるものだな。さすがは、名の知れた傭兵だ」
「戦がなくなっちまってから、懐が寂しくてね。それに、それだけの危険を冒すんだ。妥当な額だと、俺は思うが」
「いくら金があっても、命は買えないんだぜ」
マーカスがぶつぶつ言っていたが、ジェフが睨むと、黙って残りのビールに口をつけた。スティーヴは、髭に手をやって、しばらく下をむいて考えていたが、顔をあげるとジェフに頷いてみせた。
「わかった。金は用意する。必要な人員や物があれば、なんでも言ってくれ」
「そうだな、明日出立するから、馬を二頭用意しといてくれ」
「兵による援護は、必要ないというのか?」
正直、マーカスと二人だけでは心許なかった。しかし、兵士との連携はいろいろと面倒でもある。ジェフは黙って、短くなってきた煙草を吸った。うまいとは、思わなかった。
「面白そうな話をしてるじゃない。あたしも、混ぜてくれないかしら」
スティーヴたちの後ろから、女の声がした。全員が、弾かれたように声の方を見た。これまでまったく気に留めていなかったが、カウンターの端に、茶色のローブを着た客がいた。フードを脱ぐと、金色の長い髪がこぼれ落ち、顔があらわになった。若い女だ。歳は、ジェフと同じくらいだろうか。瞳は青く、肌は透き通るように白い。酒のせいだろうか、頬のあたりが、ほんのり赤く染まっている。口もとに浮かぶ微笑が、どこか蟲惑的な魅力を感じさせた。
「あたしはリサ。旅する魔道士ってところさ。あんたが、斬鉄のジェフなんだってね。話に聞いたことはあるけど、本物を見るのははじめてだよ。想像していたより、男前じゃないか」
「そいつはどうも。一緒に飲みたいところだが、あいにくやることがあってね。悪いな」
「さっきから、聞いてたよ。魔物と闘うんだってね。しかし、二人じゃ厳しいだろう。ここはひとつ、あたしが手伝おうじゃないか。勿論、お礼はいただくけどね」
言って、リサと名乗った女がいたずらっぽく笑った。
「なるほど。気持ちは嬉しいが、俺はあんたのことを知らない。簡単に、信用するわけにはいかないな」
「ふうん。慎重だね」
「これまで、そうやって生きてきた」
ジェフは煙草を揉み消した。新しい煙草を箱から取り出そうとしたが、思い直してやめた。
わずかに残ったビールを飲み干し、ジェフはリサの方を見た。リサは、相変わらず微笑を浮かべている。なかなかの美人だ。女魔道士というのもこの辺ではめずらしいが、これほどの女には、首都ルパランでもそうお目にかかれるものではない。しかし、どうもこの女は危険な匂いがする。こんなご時世だ、堅気でない女などごまんといるが、リサはいかにも欲が深く、男を食いものにしそうな雰囲気がある。こういう女と深く関わると、あとになって痛い目を見るのがオチだ。女が原因で命を落とした男を、ジェフは何人も知っている。
「リサとか言ったな。俺は、ジェフの相棒のマーカスだ。手伝うって簡単に言ってくれるが、相手は二十メートルの魔物だぜ。酔っ払って、気が大きくなってるんじゃないか?」
「あんたこそ、顔はきれいだけど、腕の方はどうなのかしら?」
「やるってのか。女だからって、手加減はしないぞ」
「やめろ、マーカス。リサ、申し出はありがたいが、足手まといになって共倒れはごめんだ。魔道士とか言ってたが、マーカスの言う通り、これは相当やばい仕事だ。そのへんは、わかってるんだろうな?」
「少なくとも、そこのハンサムなお兄さんよりは遣うつもりだけどね。まあ、見てなよ」
言って、リサがスツールから立ちあがった。
マーカスも立ちあがろうとしたが、ジェフが肩を押さえ、力を籠めると大人しくなった。マーカスは確かに成長したが、いささか自信過剰で、感情的になりやすいという欠点がある。感情の揺れが、闘いでは命取りになることもある。それは、何度も注意していた。
一同が注目する中、リサが思念を集中しはじめた。宙に翳された白く細い腕が、ジェフの眼を惹きつけた。
しばらくして、周囲の空気に異変が起きた。リサの髪がふわりと舞ったかと思うと、腕のまわりに青い稲妻が発生し、弾けた。ジェフは魔法に関しては素人だが、かなり強い魔力だということはわかる。マーカスの方を見ると、口を開けて呆然としていた。リサの言う通り、魔力に関しては、マーカスより上かもしれない。
「よし、いいだろう。三百万ルクナが、おまえの取り分だ」
「悪くはないね。そうだ、隊長さん。あたしの分も、馬を貰えないかしら。宿代がなくて、売っ払っちゃったのよ」
「わかった。しかし、若い者にここまで振り回されるとは、私も老いたかな」
苦笑しながら、スティーヴが白髪混じりの頭を掻いた。歳はとっているものの、体つきは、後ろにいる兵たちよりずっとたくましい。剣も、相当遣うはずだ。それは、ひと目見ただけでわかった。
「ねえジェフ。ついでに、ここの飲み代も頼めないかしら?」
「こりゃ、とんでもない女に捕まっちまったな、ジェフ」
マーカスの皮肉を無視して、ジェフは財布から一万ルクナ紙幣を二枚取り出し、バーテンに渡した。
「ちょっと多いが、またあとで飲みに来る。もっとも、生きて帰ってこれたら、の話だが」
「グラスでも磨いて、待ってるよ。そうだ、甲冑を出してやらないとな」
バーテンが奥へ引っこみ、三回に分けて、預けていた二人分の甲冑を持ってきた。
仕度をしていると、表で馬が停まり、兵士がひとり店に駈けこんできた。伝令だ。スティーヴの前で敬礼し、状況を報告した。
「もう少しで、門が破られます。民は、町の外に避難しました」
「そうか。民はそのまま、安全な場所まで誘導しろ。あとは、なんとかする」
短く返事をして、伝令は再び駈けて行った。
甲冑を着たジェフは立ちあがり、剣を革帯に吊り、肩に掛けた。腰に差すには、あまりにも大きすぎるのだ。マーカスも、仕度は済んでいるようだ。眼が合うと、諦めの入り混じった表情で頷いてみせた。
南門の方で、なにかが崩れるような音がした。かすかに、店が揺れた。どうやら、門が破られたようだ。スティーヴの方を見た。眼が合って、スティーヴが頷いた。
「頼んだぞ、斬鉄のジェフ」
「金の用意は頼んだぜ、スティーヴ殿」
ジェフの言葉に、スティーヴは口もとで笑い、頷いた。
「よし、行くぜ」
ジェフたちが歩き出した時、再び吟遊詩人の演奏がはじまった。戦場に出る兵士の、武運を祈る歌だ。
「ありがとよ。こいつぁ、勝ったな」
笑いながら、ジェフは吟遊詩人の前に置かれた小さな籠に、一万ルクナ紙幣を放りこんだ。
「ずいぶんと、奮発するんだね」
「俺は、ゲンは担ぐ方でな」
言いながら、ジェフは両腕と首を回し、躰をほぐした。少し鼓動が早いが、酔っているわけではない。心地よい緊張感、というやつだ。
扉を開け、店を出た。
満月だった。今日は、一段と大きい。赤い光も、いつもより濃いように見える。
血の色に似ている、とジェフは思った。
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