斬鉄のジェフ 黒い魔獣

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     三  店を出て大通りを南に少し進むと、魔物が視界に飛びこんできた。思っていたよりも、だいぶ町の中心に侵入している。体当たりで、建物がひとつ潰れた。轟音に紛れて駈け、建物のかげに隠れながら、少しずつ近づいた。  魔物の巨体が、はっきりと見えてきた。牛とも象ともつかぬかたちで、全身は黒く、闇の中で、赤い眼だけが異様に光っている。黒い魔獣、というところか。スティーヴが言っていた通り、全長は二十メートルくらいありそうだ。顔は獅子のようだが、牛のような角が二本生えている。角だけでも、二メートル近くあるだろう。兵士たちの応戦によって、ところどころ負傷し出血しているが、そのせいで余計に猛り狂っているように見える。  路地に身を潜め様子を窺っていると、十人ほどの兵士が、魔獣の後ろから矢を射かけはじめた。大して効いたふうでもなく、魔獣はふり返ると、低く唸りながら兵士たちにむかって突進し、そのままむかいの建物に激突した。建物が崩れ、魔獣の半身は、瓦礫に埋もれるかたちになった。兵士の半分近くは巻きこんだようだ。無事だった五、六人の兵士が斬りつけたが、魔獣は尻尾を振り回して抵抗した。ひとりの兵士が、まともに尻尾を喰らって吹っ飛んだ。壁に叩きつけられ、兵士は即死した。隣で、マーカスが音をたてて唾を飲みこんだ。  魔獣が、瓦礫から首を引き抜いた。角の先に、兵士が串刺しになっている。何度か首を振ると、兵士の躰はちぎれ飛んだ。天にむかって、魔獣は雄叫びをあげた。満月を背に咆える姿が、不気味だった。 「マジで、あれとやろうってのかよ」 「肚括れよ、マーカス」  言いながらも、ジェフは掌にじっとりと汗をかいていた。リサも、こめかみに冷や汗をかいている。  残った兵士たちが、一斉に逃げ出した。魔獣は彼らに一瞥をくれただけで、町の中心にむかって進みはじめた。ゆっくりと、ジェフたちが身を潜めている路地に近づいてくる。 「出会い頭に、あたしが雷撃の魔法を喰らわしてやるよ」 「よし。リサが魔法を撃ったら、俺が斬りこむ。マーカス、例のやつを頼む」  マーカスが無言で頷き、思念を集中した。少しして、三人の躰は薄い光の幕に包まれた。物理的な衝撃を軽減する防御魔法で、マーカスはこういった補助的な魔法を得意とする。敵のど真ん中に斬りこむタイプのジェフには、ありがたい魔法だ。 「へえ。やるもんだね、マーカス」  リサが言うと、マーカスは引きつった笑みを浮かべた。 「緊張して、躰が縮まらないようにな」  ジェフは小声で叫んだ。今度は、リサが思念を集中しはじめていた。  聞こえるのは、三人の呼吸の音と、魔獣が歩くたびに起こる地響きだけだ。すぐそこまで来ている。鼓動が、しだいに速くなるのがわかった。  角の先端が見え、頭部が見えた。  魔獣がこちらをむき、眼が合った。  ジェフが声をあげると同時に、リサが雷撃の魔法を放った。魔獣の咆哮が耳をつんざく。  命中を確認すると、すぐにジェフは駈け出した。距離にして、七、八メートル。肉の焼け焦げる臭いが、鼻を衝く。雷撃は、魔獣の頭部付近で炸裂したようだ。顔の肉が爛れ、右側の角は根もとから折れている。しかし、赤く光る両眼は、いっそう兇暴さを増したようだ。ジェフは、地面すれすれに、剣を低く構えて駈けていた。頭部をくぐり、下からのどを斬り裂く。咆哮をあげ苦しむ魔獣は、自分が近づいていることに気づいていない。  潜りこもうとした時、急に魔獣が頭を下げた。激しい衝撃とともに、ジェフの躰は宙を舞った。角に撥ねあげられたのだ。壁に叩きつけられ、息が詰まった。これまで隠れていた路地の、むかい側の建物まで飛ばされたようだ。歯を食いしばると、口の中で砂が鳴った。  魔獣が突進してくる。地面に寝たまま、転がって突進をかわした。勢いをつけて立ちあがり、呼吸を整えた。背中と脇腹に引きつるような痛みがあるが、マーカスの防御魔法のおかげか、骨は折れていないようだ。  魔獣はすぐに反転し、頭を下げ突進してきた。リサが再び雷撃を放つ。躰の側面に命中し、突進の勢いが弱まった。ジェフはすかさず突っこみ、駈け抜けながら、大木のように太い前脚に斬りつけた。手応えは浅い。なんとも分厚い皮膚だ。 「また来るぞ、ジェフ」  マーカスが叫び、リサとは別の方向に移動した。ふりむくと、すでに魔獣は向きを変え、突進してきていた。意外に小回りが利き、その巨体からは想像できないほど俊敏だ。しかし、かわせない速さではない。建物が多い街中は、こちらにとって有利でもある。充分に引きつけ、余裕を持ってかわした。  魔獣は建物に突っこみ、躰の半分が瓦礫に埋もれる恰好になった。後ろから駈け寄り、渾身の力を籠めて尻尾を斬り落とした。尻尾だけでも、人間の胴くらいの太さはある。マーカスも斬りつけたが、それほど効いてはいないようだ。魔獣が、脚をばたつかせた。蹴りを一発貰っただけでも、相当やばい。ジェフとマーカスはすぐに離脱した。リサは、建物のかげで気息を整えている。汗だくで、呼吸が荒い。魔法というのは、かなり体力を消耗するようだ。  建物を崩しながら、魔獣が躰を引き抜いた。右の眼に、折れた木材が刺さっている。 「よっしゃ。ツイてるぜ」 「油断するなよ、マーカス。手負いの獣ってやつだ」  片眼を失った痛み、あるいは怒りからか、魔獣はその場でぐるぐると回りはじめた。頭を振りながら、唸り声をあげている。 「野郎、頭でも打って、気が狂ったかな」  呟いた直後に、風を切る音が聞こえた。矢だ。飛んできた方を見ると、少し離れた民家の二階から、スティーヴが部下に矢を射かけさせていた。頭部を集中的に狙っている。 「見ろよ、マーカス。あのオッサン、おいしいとこだけ持っていく気だぜ」 「大して効いちゃいないようだが、手伝ったとか言って、あとで値切る気かもな。やられる前にやるか、ジェフ?」 「やる気出てきたか、マーカス?」 「半分、自棄みたいなもんだ」  言いながら、マーカスが笑った。肚を据えたのか。あるいは、ほんとうに自棄なのかもしれない。なんだかんだで、ジェフもあの黒い魔獣に対する恐怖は拭いきれていないのだ。しかし、この肌がひりつく感覚が、快くもある。  マーカスと並んで駈けた。リサも、移動しながら思念を集中している。  スティーヴが、再び部下に矢を射かけさせた。 「いい加減、反撃されても知らねえぞ」  予想通り、魔獣は平静を取り戻し、スティーヴたちがいる家の方へむかっていった。 「ほら見ろ。言わねえこっちゃねえ」  魔獣が頭から突っこみ、家が傾いた。崩れる寸前に、剣を抜いたスティーヴが窓から飛び降り、魔獣の背に一撃を浴びせつつ着地した。スティーヴは、そのままこちらにむかって駈けてくる。 「あの隊長も、やるもんだな」 「感心してる場合じゃないぞ、マーカス。やっこさん、こっちに来るぜ」  案の定、体勢を立て直した魔獣は、スティーヴを追いはじめた。つまり、こちらにむかってくるかたちだ。魔獣の頭部には、何本かの矢が突き立っている。 「あとは任せたぞ」  すれ違いながらスティーヴが言って、路地に入っていった。 「まったく、勝手なオッサンだぜ」  剣を握り直し、駈け出した。むかってくる魔獣に対し、ジェフは左側、マーカスは右側を駈けるかたちだ。  傷を負ったためか、魔獣の突進は若干鈍くなったようだ。駈け抜けながら、前脚の付け根あたりを浅く斬りつけた。マーカスがしくじった。撥ね飛ばされ、背中から地面に落ちた。防御魔法の効果はすでに切れているが、見たかぎり大したことはなさそうだ。 「すまねえ、ジェフ」 「気にすんな、マーカス。まだ、闘いは終わっちゃいない」  魔獣が反転したところに、リサが雷撃を浴びせた。左の後ろ脚に直撃し、魔獣は地面に膝をついた。間をあけず、リサはさらにもう一発撃った。これも、左の後ろ脚に直撃した。力を使い果たしたのか、リサはその場に崩れ落ちた。  魔獣は、前脚を突っ張って立ちあがろうとしているが、腰を落としたまま動けずにいた。涎を垂らしながら、苦悶の叫びをあげている。動きを封じたいまなら、やつの懐に潜りこめそうだ。 「左から行け、マーカス。やつは右眼が潰れ、角も折れてる」 「わかった」  今度は、ジェフが右側を駈けるかたちになった。二十メートル。十五、十。近づくにつれ、ジェフの躰は熱くなった。まるで、血が燃えているようだ。魔獣は頭を下げ、真っ直ぐこちらを見ている。眼が合うと、口を大きく開けて咆えた。ジェフも雄叫びをあげ、駈け続けた。いまの自分もまた、一頭の獣のようなものかもしれない。  二メートル。ジェフは跳躍し、剣を振りかぶった。魔獣が頭をあげ、角を突き出してくる。構わず振り降ろした。全体重を乗せた剣は角を両断したが、前脚の一撃を喰らって、ジェフは撥ね飛ばされた。尻から地面に落ちたが、すぐに起きあがり、再び突っこんだ。マーカスが、左側面から首の後ろあたりを突いた。魔獣はのけ反り、のど首があらわになった。ジェフはのど首を下から斬りあげ、勢いをつけ魔獣の躰に飛び乗った。  首の後ろに、渾身の力を籠めて、剣を突き立てた。六十センチくらいは食いこんだが、すぐに振り落とされた。剣は、首に刺さったままだ。魔獣が上体を起こした。まだだ、と思ったが、一度大きく痙攣して低く咆えると、魔獣は再び倒れ、それきり動かなくなった。赤い眼からは、もう生命の光は失われている。  ジェフは籠手をはずし、掌で顔を拭った。のどから噴きあがった血を頭から浴び、ジェフの全身は赤く染まっていた。リサも、少しは回復したようだ。眼が合ったので、手を挙げて応えた。魔法が、かなりの威力を発揮した。もう少し、分け前を増やしてやろう。 「しょせんは、けだものだ。頭は悪かったな」  喘ぎながら、マーカスが言った。思わず、ジェフは噴きだした。
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