斬鉄のジェフ 黒い魔獣

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     一  グラスの中の氷が、カランと音をたてた。  紫煙を燻らせながら、ジェフはグラスに手をのばし、水割りに近くなったウイスキーを呷った。口の中に入った小さな氷が、舌の上でじわりと融けていく。  口もとを拭うと、ジェフは再び煙草をくわえた。店の片隅では、吟遊詩人がハープを奏でながら歌っている。客の話し声にかき消され、あまりよく聞こえない。  上へ昇っていく紫煙を見つめた。店の天井は、煙草のヤニで真っ黄色になっている。薄汚いうえに、客もガラの悪いのが多いが、馴れてくると居心地がいい店だ。なによりも、安く飲めるところがいい。ここで飲んだあと、気がむけば路地裏で立っている女を買う。モトンの町に来ると、だいたいそうやっていた。首都ルパランと較べるとずっと田舎だが、ジェフはこの町が気に入っていた。  モトンは、人口三千人ほどの、ありふれた町だ。町の東西と南北は大通りで結ばれており、二つの大通りが交わる中心には、青銅でできた女神像が噴水に囲まれて立っている。信仰心のないジェフにとっては、さして興味がないものだった。  ジェフは、バーテンにむかって空になったグラスを掲げ、同じものをもう一杯註文した。十八で酒を覚えてから、ウイスキーばかり飲んでいる。煙草をはじめたのは、それより二年早い。はじめて人を斬ったのも、そのころだった。  五年の間にどれだけの人数を斬ったか、いちいち憶えてはいなかった。傭兵として、いくつもの戦場を渡り歩いた。若造だと舐められることもあったが、そうやって絡んでくるような連中は、大抵は口先ばかりだった。戦功を立てるうち、絡まれることもなくなった。  この二年、戦らしい戦は起きていない。食い扶持を失った傭兵が盗賊になるのも、めずらしいことではなかった。ここ数年で、いたるところに魔物が頻繁に出没するようにもなり、近隣諸国の中ではわりと治安がいいこのデルニア王国も、以前と較べると、多少は物騒になった。  魔物が急増した理由については、いろいろ議論されてきた。一説には、月の異常接近が原因だと言われている。確かに、ここ数年の月は大きくて、不気味な赤い光を放ってもいる。しかし、ほんとうのところはよくわからないし、どうでもよかった。  確実に言えるのは、ジェフのような無頼者にとっては、都合のいい世の中だということだ。用心棒の口は、それなりにある。剣を遣って、金を貰う。剣を捨てて生きようとも思わないし、自分が荒んでいるとも、思わなかった。  二年ほど前から、このモトンの町にも、王国軍の兵士が駐屯するようになった。町の北東に軍営があり、百名の兵士が暮らしている。馬を何頭か飼っているが、それは首都への伝令に使われているようだ。  王国軍は、五百名近い人夫を雇って、町の周囲に強固な外壁を築いた。さらには東西南北の各門に大砲を設置し、魔物や野盗の進入を阻んでいる。おかげでこの町ではあまり仕事をしたことがないが、気楽に飲んでいられる。許可証さえ見せれば、町への出入りは、わりと自由にできる。ジェフがモトンに来たのは、三日前のことだ。  短くなった煙草を揉み消し、新しい煙草に火をつけた。煙を吐き、ウイスキーをふた口飲んだ。グラスのまわりには、水滴がびっしりと浮かんでいる。店内は人いきれでむっとしていて、とても十月の夜とは思えないほど暑かった。  黒髪のぼさぼさ頭を掻きながら、明日あたりモトンを出よう、とジェフはなんとなく考えた。
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