誓い

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誓い

「『運命の人』ではないです。 彼女と出会った頃は“運命的な出会い” だと思ってましたが。」 「どういうこと?」 「“運命”って、そうなる定めだった、 とか、人の力では変えられないもの、 みたいな感じがしませんか?」 「そうね。」 「以前は、僕も彼女と出会えたのも、 別れなければならなかったのも、 これも“運命”だから仕方がないと思ってました。 なぜそんな運命なんだと哀しかったんです。 最近始めたことがもうひとつあって、 仏法を学んでいます。」 「仏法?お釈迦様の教えよね。 信心を始めたの?」 「そうではなくて、哲学として学んでいます。 法華経は、ご存じですよね。」 「ええ。名前だけだけど。」 「お釈迦様は長い間教えを説きましたが、 仏典は御自分で書いたのではなく、 後に弟子たちが教えを整理して書き残したそうです。 法華経は、釈迦が晩年に説いたもので、 その中に『これまで多くの教えを説いてきたが、それは方便であって、真の教えではない。これから、真の教えを説こう。』と言って説いた教えだそうです。」 「“方便”って、 “嘘も方便”とか使うあれのこと?」 「そうです。 方便とは、“仮のもの”という意味だそうです。」 「お釈迦様は、なんで初めから真の教えを説かなかったのかしら?」 「初めは、真の教えを説いたんです。 でも、それまでの考え方と全く違うので、難しくて人々は理解できなかったんだそうです。 それで、人々が分かりやすい話に変えて、仮に説いたんです。 例えば、小学校で1+1=2と習いますよね。 これって、当たり前だと思ってますが、 基礎数学という学問では、なぜ1+1=2になるのか、ということを理論的に説明するのだそうです。 僕もチラッと学びましたが、 ちんぷんかんぷんでした。 それと似たようなもので、なぜそうなるかは、色々学んだ後に研究したり学ばなければわからないんですね。 だから、長い間仮の教えで人々を導き、理解力が高まった時、真の教えを説いたんだそうです。」 「なるほど、そうなのね。 それで、法華経を学んでどう考え方が変わったの?」 「仏法では、運命とか偶然はなくて、 全て“必然”と考えます。 理由・原因があって、結果があると考えるんです。 そして、原因は自分にあると考えます。 だから、僕と彼女が出会ったのも、 偶然でも運命でもなく、過去に 『また、会うことを誓いあった』からなんです。 この考え方を知ってから、 彼女が病気になって、 哀しい別れをして、 そして亡くなったのは、 僕に、こうして色んな事を教えてくれるためだったんだと思いました。 そう思ったら、尚更彼女が愛しくて 感謝の想いが溢れてきました。 だから、今僕は、 彼女といた時と同じくらい幸せなんです。」 「難しいことは分からないけど、 そんな風に思って下さって、 娘の辛かった日々も報われます。」 「お墓に参らせていただいた時、 彼女と話しました。 “会いたい”というので、 “それなら、早く生まれ変わって側に来て”と言いました。 最近、彼女が側に居る気がするんです。 それと、近頃散歩をしたり、近所に買い物に出たりすると、 よく出会う可愛い犬がいて、 初めて会った時から、よくじゃれついてくるんで、 人懐こい犬なんだなと思ってたんです。 そしたら、飼い主の方が、 “この子人見知りで、慣れるのに時間がかかるんですよ。あなたみたいに、 初めて会って自分から行ったのは初めてよ”って。 それで、こっそり、 “人間になるの待てなくて犬になって会いに来てくれたの?”って話したんです。 そしたら、嬉しそうに飛びついてきて。 スミマセン。 犬に生まれ変わったなんて、 失礼な話して。」 「いいえ、そうかもしれないわ。 だって、人間だと会話を交わせるまで時間がかかるもの。成長に時間がかかるでしょ。 娘は、待てなかったのかも。 私も、そのワンちゃんに会ってみたいわ。 ほんとに、また家に来て下さいね。 その、仏法のお話、 主人にも聞かせてやって下さい。」 「はい、ありがとうございます。 それでは、失礼します。」 お母さんも、少し元気になってくれたみたいだ。良かった。 今日は、コーラスの練習の日だね。 一緒に歌いに行こう。 “ずっと一緒に時を刻む” 君とのこの誓いは、 まだ有効だよね。 神様とか誰かが定めた運命なんかじゃない。 僕と君が決めた『誓い』だから。 おわり
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