7話『自己嫌悪』

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7話『自己嫌悪』

■ 07-01 教室:  ◆ 07-01-01 休み時間  授業の合間の休み時間、エマの席近くでシアンが窓の外を見ると、体育を終えた体操着の男子生徒がひとりだけ校庭をうろついている。  それはシアンにも覚えのある、トラック事故で助けたイサムだった。  今回は()ってアリを観察するわけでもなく、校庭の端に植えられたクスノキを眺めている。しかし樹を丁寧に見るわけでもなく、枝の先、(こずえ)を眺め、頭の向きを次々と変える。 エマ「やっとご飯だー」 テア「まだあと1限あるよ」 エマ「えぇ…痩せて死んじゃうよぉ」  シアンのノートを写し終え、カバンから弁当箱を取り出したエマが、いままさに死にそうな顔をした。 カレン「死なんて」 テア「はい、ブドウ糖あげる」 エマ「ありがてぇです。    シアン、なに見てるの?」 シアン「さぁ? なんだと思う?」  質問を質問で返されて、ブドウ糖を頬張るエマも首をかしげた。糖分補給は学校で推奨されている。ガムは禁止だが、バレないように食べてる男子生徒もいる。  ◆ 07-01-02 昼休みの教室 ユカリ「シアン、きょう     職員会議終わったら、     買い物に行くから」 シアン「えっ! 聞いてないよ」 ユカリ「そう言うと思って、いま言ったの」  教師であり叔母のユカリからの、突然の指令に(はし)を折るシアン。一瞬で顔色を悪くする。 シアン「買い物付き合って、エマ~」  珍しくエマに泣きつくシアン。 エマ「頑張ってー。    きょうは部活もないし、    カラオケは今度一緒に行こう」 カレン「なに買うんですか?」 ユカリ「夏物だね。     シアン、また背伸びたでしょ?」 テア「カレンちゃんくらいありますからね」 カレン「私の方が、まだ背は高いぞ。     服買ってもらえるのに     シアンはなにが嫌なの?」 シアン「だってユカリちゃんの     買い物、すっごく長いし…。     だいたい服なんて     着れたらいいのに」 ユカリ「まだ中学のジャージで     家の中うろつくのよ?     もうボロボロなのに」 エマ「部屋着はいつもジャージだもんね」 ユカリ「せっかく買っても     面倒くさいとか言うのよ」 シアン「ユカリちゃんの服ってどれも     洗うのも大変なの多いし」 テア「カレンちゃんも同じでズボラだよ」 カレン「うそぉ? 私のは     ちゃんと良いジャージだし…」 エマ「質の問題じゃないと思うよ」  テアもうなずく。 カレン「シアンと同じはやだなぁ…」 シアン「反面教師にしないでよ。     わたしまで」 ユカリ「なにそのいいぐさ。     せっかく下着も買って     あげようと思ったのに」 シアン「えっ? じゃあ行くよ」 エマ「切り替え早っ」 ユカリ「現金な奴め。     この性格は、誰に似たのかしら」  この性格はシアンの母によるものではない。ユカリが周囲を見渡すも、シアン以外の無言の視線がそのまま返答として返ってきた。  ユカリの買い物は、下着だけで時間を費やせるので、シアンは同意した。ここらへんはユカリに似て計算高い。 ■ 07-02 中庭:  ◆ 07-02-01 イサムの奇行  午後の移動教室の最中、校舎と校舎を挟む中庭で、見上げるイサムの背中をシアンは見つけた。  窓や屋上に誰かいるわけでもない。彼の姿を見つけると、なにかあるのだと思い、自然と目で追ってしまう。 エマ「シアンー」  エマに呼ばれ、シアンは後ろ髪を引かれる思いで移動した。 ■ 07-03 渡り廊下:  ◆ 07-03-01 奇行の正体 エマ「バイバイー」 シアン「また今度、カラオケね」 エマ「おっけー」 シアン「はぁ…」  玄関でエマを見送って、深々とため息をつくシアン。靴箱から靴のかかとを指で引っ掛けて持ち歩く。靴もつかめばシアンの怪力で破れるからである。  校舎をまたぎ、職員用玄関から校舎裏の駐車場へと向かうのだが、長時間の買い物が待っているとなると気が重たい。 シアン「あっ」  1階の渡り廊下でイサムと遭遇した。彼は壁によりかかり、外に上半身を出して(ひさし)を見上げている。 シアン「なにしてるの…?     祭門(さいもん)くん」 イサム「あっ、シアンさん。こんにちは。     あそこにツバメがいるんです」  ただのツバメに対し、嬉しそうに語るイサム。  巣を見つけても、ツバメの姿は見えない。5月は抱卵、営巣などを行っているので、巣にいるツガイの片方はあまり顔を出さない。 シアン「ツバメって珍しいの?」 イサム「珍しい種類ではありませんね。     普通のツバメは喉が赤く     羽毛が青みがかってますが、     あのイワツバメは白黒で、     やや茶色っぽくて小柄ですね。     寄生虫が変わってるんです」 シアン「寄生虫?」 イサム「シラミバエの仲間なんですが…。     あっ、すみません。     引き止めてしまって…」  目を驚かせるシアンに気づき、イサムは説明を中断させた。  ◆ 07-03-02 寄生虫の話 シアン「いいよ。ユカリちゃん…     能登(のと)先生待つから     会議終わるまで、まだ時間あるの。     それで、ツバメに寄生虫がいるの?」  買い物に気乗りしていないシアンは、イサムの解説に興味が湧いて、先を(うなが)す。 イサム「はい。確認は出来てませんが。     その寄生虫はハエなんですが飛べず、     生物の体毛にしがみついて、     シラミのごとく吸血するように     進化した昆虫です」 シアン「へぇ。飛べないハエって、     変な進化してるんだね。     ノミとかダニとかと     同じ感じ?」 イサム「そうですね。     しかも、オスがいなくて     単為生殖する変わった種です。     イワツバメシラミバエは」 シアン「ははっ、名前そのまんまだ。     あー(かゆ)くなりそう」  むずがゆさを感じて、制服の上から服を軽くさする。 イサム「どうなんでしょうか。     ヒトとは違って、     (かゆ)くても?()けませんから。     でもたくさんのシラミバエに     ツバメの雛が吸血されても、     丸々と太っていて     病気にはならないそうですよ」 シアン「じゃあそのシラミ?     ハエを非常食にしてるのかも」 イサム「案外そうかもしれません」 シアン「え? ホント?」 イサム「確認しないことには     わかりません。     寄生虫のなかには     宿主から奪うだけではなく、     なにかしらの利益を     与えるものもありますから」  寄生のなかで有名な相利共生(そうりきょうせい)といえば、触手の中で外敵から身を守るクマノミと、餌を獲られるイソギンチャクの相互関係がある。  ほかにもシロアリが食べたセルロースを分解する共生鞭毛(べんもう)虫や、ヒトのアレルギーを緩和するサナダムシなどが確認されている。 シアン「なんか生物部っぽい話してる」  立ち話のはずが、専門的な話に発展したこの状況が面白くて、シアンは口角を上げる。  ◆ 07-03-03 能力の話 イサム「フリークライミングのように     コンクリートも壁登りができれば、     巣の中も観察はできるんですが」 シアン「普通に脚立使えば     いいんじゃない?」 イサム「それもそうですね。     シアンさんって     クライミングの経験とか     あったりします?」 シアン「ないなぁ。     スポーツなにもしないし、     わたしも壁までは登れない」 イサム「普通はそうですよ」 シアン「普通かぁ」  シアンにとって普通は縁遠い存在のように感じていたが、イサムは度々そう指摘する。 イサム「木登りはしたことありますか?」 シアン「木登り? …したことないかなぁ。     この力じゃ樹が折れそうじゃない?」 イサム「なるほど、登るどころの     問題ではないんですね」 シアン「木登り、したいの?」 イサム「木登りができると、     もっといろいろな虫や     鳥を観察できますよ。     ツリークライミングは     道具がないと危険ですね。     あまり得意でもありませんが――」 シアン「ツリークライミングって…。     そういうのするんだ」  イサムの口から出た活動的な語に、意外性を覚えて、シアンは自然とつぶやいた。 イサム「はい。ハーネスを巻いて     ロープで登るんですが、     そんなに体力を必要と     しませんから、誰でも楽しめますよ。     あ、ヘルメットも必須ですね」 シアン「へぇ…わたしでもできるかな?」  楽しそうに話すイサムに感化されて、シアンは妙な可能性に胸を膨らませた。  ◆ 07-03-04 動物のケンカ  ふと部活で思い出したかのように、シアンが周囲を見渡す。 シアン「きょうはもうひとりは?     部員でしょ?」 イサム「喜咲(きさく)くんは     もう帰ったんでしょうか」  まるで他人事のように言うので、シアンは疑問に首をかしげる。 シアン「辞めちゃいそう?」 イサム「生物部は毎日やるわけではなく、     各々好きに活動しています。     喜咲(きさく)くんも、家の生物を     お世話したいでしょうし。     化学室の備品を使用したり、     校外活動をする場合は、     部として活動する予定ですが、     それ以外は自由です」 シアン「そうなんだ。     ケンカでもしたのかと思った」  頼りなさを相手に気取られて、申し訳無さそうにするイサム。 イサム「僕がケンカなんてしたら、     ひとたまりもない」 シアン「祭門(さいもん)くんって、     ケンカしたことある?」 イサム「ありません。     考えるだけで(ひざ)が震えますよ」 シアン「そっか。じゃあもし、     ケンカになったらどうする?」  ユウジとは体格差がありすぎて、イサムの言う通り勝負にはならない。 イサム「そうですね…。     そうなったなら、距離を置きますね。     動物の縄張りと同じです」 シアン「動物の?」  イサムの意見にシアンは眉をひそめる。 イサム「動物から学べることは多いんですよ。     同じ種族、きょうだいであっても、     野生の世界は生存競争ですから。     そうならないために     お互いに距離を取るんです」  イサムが出した左の握りこぶしを、自ら右の手のひらで包み込む。ジャンケンを意味している。 イサム「言葉で意見や感情を     いくら表現できても、     人間も同じ動物ですから、     競争は避けられません。     力関係以外にも、お互いの信念が     ぶつかり合うこともあります」 シアン「そうだよね…。     距離ってどんな感じなの?」 イサム「縄張りは数学とは違って     正解は不明瞭です。     ひとつの果物をふたつに     わけたとしても、それで     お互いの飢えは満たせません。     争ってもケガやその傷で、     病気になるリスクもあります。     なので、別の果物を探した方がいい     という考えですね」 シアン「…なるほどね。それで、距離か。」  実利的な動物のたとえが、シアンには妙にしっくりと来て、深くうなずいた。  ◆ 07-03-05 ハプニング  ジュリジュリ、ピピピなど、イワツバメの高い鳴き声が渡り廊下に鳴り響く。営巣で戻ってきたオスと、出迎える抱卵中のメス。 イサム「あっ、見えますよ。     あれが、イワツバメです」  イサムが壁の手すりに身を乗り出して巣を見た。それにならえと、シアンも手すりに手をついた途端、中空鋼のてすりは飴細工のようにぐにゃりと曲がり、壁になっていた防風スクリーンが荷重に耐えきれず外側に外れた。 シアン「あっ! ごめんっ!」  咄嗟(とっさ)に謝ったがシアンの傾いた体勢は立て直せず、壁と共に倒れてしまう。  イサムは壁からすぐに離れた。シアンは被害を防ごうと両腕を胸に抱えて、諦めて背中から倒れようとした。するとイサムは突如(とつじょ)として彼女の頭に向かって飛びついた。  壁は斜めに崩れ、シアンの身体は草だらけの地面に滑り落ちた。  シアンの顔の前にはイサムの胸が間近に迫っている。イサムはシアンの頭を抱えていた。 イサム「大丈夫ですか?」 シアン「…そっちこそ」 イサム「はぁ、よかった」  手入れされていない深い草のおかげで、頭や手にケガを負わずに済んだ。  イサムは地面とシアンの頭の間から、ゆっくり手をはずして横に寝そべった。それから両足を地面から垂直に立てると頭側へと素早く倒して、身体を回転させるように、身軽に立ち上がった。  長距離走が苦手なイサムだが、よく山に入るので運動神経が悪いわけではない。不安定な場所ほど経験が生きる。  勾配(こうばい)のついた壁に寝そべった状態のシアンは、亀のように上手く起き上がれず悪戦苦闘する。するとイサムが両肩を持ち上げて、廊下側に立たせてくれた。 シアン「ごめ…ありがとう」 イサム「どういたしまし、てっ?」  イサムは顔を上げて驚いた。  ◆ 07-03-06 ユカリ登場 ユカリ「なにしてるの?」  イサムがギョッとしたのは、叔母のユカリが見ていたからである。 シアン「壊した」 ユカリ「見たらわかるよ。     ここまで派手に壊せるの     シアンくらいだもの」 シアン「ツバメを見ようとして」 黄門様「抱きついてましたよ!     抱きついてました!」  一部始終を見ていたチューリップ組で、率先して騒ぎ立てるのが黄門様である。  だが毅然(きぜん)とした態度でイサムが言い返す。 イサム「倒れて頭を打てば、     誰だってケガします」 ユカリ「あははっ、異性交遊なんて、     いまどき責めないわよ」  風通しが良くなりすぎた廊下から、ツバメの巣を見上げるユカリ。人間を警戒したツバメが空を舞って鳴いていた。荒れた髪型を恥じて、慌てて直すシアンを見て、ユカリは背中を見せる。 ユカリ「早く買い物行くわよ。     シアンの下着買わなきゃ」 シアン「ちょっと! デリカシー!」 ユカリ「チューリップ組は     そこ、直しといてね」 助さん「これにて、一件落着」 格さん「それはここ、直してからな」 黄門様「わたくしのセリフ!」  シアンは恥ずかしいやら嬉しいやらの気持ちが()()ぜになったが、それからすぐに意気消沈して、暗い気持ちに支配される。 ■ 07-04 カフェバー:  ◆ 07-04-01 いつもの客、3人  チューリップ組はいつものカフェバーにたむろする。店主の魚川(うおかわ)タケルは素知らぬ顔でグラスを拭き、ヤクザ風の客3人は、地球の食料を吟味(ぎんみ)する。 助さん「きょうは魚の死骸である」 格さん「それはイワシだ。     魚はいままでさんざん食べただろう」 黄門様「お嬢の料理にはない、     焦げたへんな匂いだ。     これ本当に食べ物?」 格さん「スモークオイルサーディン     という保存食だ。     手で食うんじゃない」  オイルまみれの小魚を(わし)掴みにして、大口をあける黄門様を叱責(しっせき)する格さん。苦労が絶えない。 助さん「今更、食卓マナーを     講義しに来たのか」 格さん「俺たちだけであっても、     講義させるような行いは避けろ」 黄門様「(しか)り」  さりとて握った手をそのまま口に突っ込んで、魚を頬張りながらうなずく黄門様。手は肘までオイルが染み込む。 助さん「よもや我々の目的を     忘れたわけではなかろうな」 格さん「質量変異体(しつりょうへんいたい)の獲得だが、     いまのペースでは欠片の入手は     恒星を85年どころか何年かかっても     回収はできない」 黄門様「それではお嬢が死んでしまうわ」 助さん「お嬢が死ぬようなことが     あっては困る」 格さん「もとは彼女が死んでから     回収するのが目的だっただろう」 黄門様&助さん「(しか)り」 助さん「では、遅延の原因はなにか」 格さん「彼女が普通ではないことだ」 黄門様「そんなことはお嬢も承知でしょう」 助さん「お嬢には我々の愛が通じない」 黄門様「それどころか、     お嬢は愛を知り得ない」  ふたりの言葉に、格さんはうなずく。 格さん「媒体(ばいたい)である彼女の力は、     この星では兵器になりうる」 黄門様「そんなことは、わたくしがさせない」 助さん「我々が認知を遮断(しゃだん)しているからな」 格さん「では彼女はどうだ?」  黄門様と格さんは顔を見合わせる。 格さん「あの子は敵意で     同族を傷付けた記憶がある」 (7話『自己嫌悪』終わり) ■ 07破壊レポート:  今回破壊したもの。 ・お箸一膳(2回目) ・渡り廊下の壁
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