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1話『普通って難しい』
■ 01-01 通学路:
◆ 01-01-01 遭遇
春の日の朝に、事故が発生した。
歩道に倒れかけた自走トラック。カーブの際に積荷が崩れた拍子にバランスを失い、縁石に乗り上げた。
トラックはガードレールをなぎ倒し、建物の柱に寄りかかって、いまにも倒れかけている。
そのトラックの下には男子学生、祭門イサムがいたが影に隠れ、誰にも気づかれなかった。曲がったガードレールに足を挟まれ、這い出ることもままならない。
そんな絶望的な状況で、トラックを軽々と持ち上げたのは青い目をした女生徒、魚川シアンの姿だった。
エマ「豪快な迷惑駐車だねぇ」
シアン「どう見ても事故でしょ」
こんな状況でも談笑するシアンと、幼馴染みの拝戸エマ。シアンはイサムと同じ学校の濃紺のブレザーにプリーツスカート。インナーは胸元を開けて着崩し、スカートの下にはガーターベルトとタイツという派手な装い。あ然とする通学途中の生徒たちと、潰されかけていたイサム。
シアン「あっ、ひとが居た」
エマ「わっ…生きてる?
大丈夫? 怪我ない?」
ひしゃげたガードレールに足を挟まれて、身動きの取れなかったイサム。けれど鉄製のガードレールも、シアンの怪力にかかれば針金のようにいともたやすく曲がり、千切れた。
状況に目を見開いて、イサムは困惑しつつ立ち上がる。
シアン「どこも潰れてなくてよかった」
エマ「やだ! グロいこと想像させないで」
エマに「ごめん、ごめん」と謝るシアン。お互いにグロテスクなものは苦手である。
イサム「はぁ…助かりました。
ありがとうございます。
コンクリートの隙間で越冬する
カメムシの気分でした」
シアン「なにそれ」
エマ「おかしな趣味してるんだねぇ」
シアン「絶対、趣味じゃないでしょ」
◆ 01-01-02 黒仏ミツオ
ミツオ「怪力ちゃん、
君ってぶっ飛んでんね」
肩に手を置かれ、気安い黒仏ミツオに少しだけムッとするシアン。明るい髪色をした、真新しい制服姿の青年で、見目が良い。
年の頃は同じだが、長身のシアンよりもミツオはやや背が高い。対してイサムは、小柄でふくよかなエマと同じくらい背が低い。
エマ「いけ好かないメンズ…
あ、イケメン?」
シアン「本当のことでも言っちゃダメよ。
つけあがるから」
ミツオ「ひどいね。
名桜中の魚川シアンちゃん?
だよね。
ウワサには聞いてたが、
マジで超怪力なんだね。
俺は黒仏ミツオ…?」
イサムの前に割って入るミツオ。しかし足元の水たまりを踏んで、違和感に気づく。それから「虫くん」と呼んだイサムの濡れたズボンをみて、憐れんだ。
ミツオ「あー、汚しちゃってるじゃないか」
イサム「ホントですね。
なぜか冷たいと思ったら…。
本当の死を間近にすると
気づかないものなんですね」
道路の水たまりにズボンを汚していたことに、指摘を受けてようやく気づいたイサム。だが、その言葉とは裏腹に落ち着き払っており、慌てたり、恥ずかしがるどころか、自分の経験を興味深そうに語る。
ミツオ「恥ずかしくないのか。お前。
女子の前だぞ」
イサム「恥ずかしがることは
ありませんよ。
それに男女は
関係ありませんから」
奇妙なイサムと、ミツオの不満顔を見て、シアンの口元が緩む。
シアン「…きみ、変わってるね」
ミツオ「あなただって変わってます」
シアンが言ったことが、自分に返って来て、目を点にする。怪力を自覚して。
ミツオ「普通のひとなんて、
どこにもいません。
あ、いえ。…昔聞いた言葉で…」
胸を張って言ったものの、シアンの青い目を見つめ、すこし恥ずかしそうにするミツオ。
◆ 01-01-03 幕間
エマ「入学早々災難だったね」
イサム「僕、一度帰ります」
シアン「え? 帰ることないよ」
シアンの言葉に、エマはうなずく。
シアン「あなたがズボン貸してあげたら?」
ミツオ「それじゃ俺の履くものが
なくなるじゃないか」
エマ「他人に恥って指摘するのに、
人助けもできないの?」
背の低く幼い容姿のエマに言われて、ぐうの音も出ないミツオ。
イサム「さすがにそこまでして
いただかなくても」
シアン「ほら、来たから」
◆ 01-01-04 チューリップ組の登場
黄門様「お嬢が困るときあれば」
助さん「馳せ参ずるのが我らの務め」
漆黒の高級車の後部座席から降りてきた、ブラックスーツの大男とスーツの女。助さんと黄門様。
格さん「遅刻するといけねぇから、
車用意しといたぞ」
それから運転席からは季節外れの半袖シャツに七分丈ズボン、タンブラーを持ったチンピラ風の細身の男、格さんまで現れた。
全員サングラスを着用しており、部外者からすれば、ヤクザと情婦とチンピラの組み合わせにしか見えない。
イサム「うわぁ…」
ミツオ「ヤ…」
エマ「この人達はヤクザじゃなくて、
反社の鉄砲玉だよ」
シアン「どっちも同じ意味でしょ?
ヤクザでも反社でもなくて、
財団ボランティアの
助さんと格さん」
全員の左の胸元には、園児がつけるチューリップ型の、似つかわしくない名札をつけている。
黄門様「わたくしは?」
シアン「こぅ…」
名札の名前を呼ぶのをためらうシアン。
イサム「黄門さん?」
しかしイサムが名札の文字を躊躇なく読み上げる。
エマ「ねぇ黄門様。下着持ってない?」
シアンの幼馴染みエマはといえば、チューリップ組の3人に慣れていて、平然と声を掛ける。
黄門様「エマちゃん様、
わたくしので
よろしければすぐに
ご用意できます」
助さん「お嬢の友達のためなら、
俺だって脱ぎます」
エマ「いらないって」
シアン「こんなとこで脱がないで」
公道で、ふたり揃って下だけ脱ぎ始める。
格さん「男物のパンツなら
そこのコンビニで買えるぜ」
ほかのふたりとは違い、状況を説明されるまでもなく理解する、まともな思考の格さん。チンピラ風の外見はともかく、信頼できる人物の提案にうなずくシアン。
エマ「へぇ、コンビニって
下着も売ってるんだね」
シアン「それなら下着はいいとして、
スラックスはどうしよっか。
洗ってられないし」
黄門様「こんなこともあろうかと、
お嬢のためにと、スラックスを
ご用意させていただきました。
これでお嬢の御足を、
衆目に晒さずに済みます」
シアン「そういうとこがキモいよ」
エマ「ねぇ」
シアンにキモいと言われてひざまずく黄門様。
シアン「ね? これで
帰らずに済むでしょ」
エマ「よかったねぇ」
呆然とするイサム。ヤクザ然とした3人を軽くあしらう様子に驚き、なにも言えなくなったミツオ。
助さん「これにて、一件落着」
黄門様「それ、わたくしのセリフ!」
◆ 01-01-05 幕間
あやしい防護服の作業員たちが、壊れたガードレールを撤去して、新しく設置している。シアンの怪力によって破損したものの、後始末をつけるのは常に、チューリップ組が属している財団の仕事である。
イサムは近くの公園のトイレで、濡れた身体を拭き、チューリップ組の用意した替えに着替えて少し遅れて登校する。
シアンとエマはチューリップ組の車で送迎され、教員用の駐車場から登校した。シアンの叔母で、学校教師の能登ユカリには格さんから連絡がなされていた。
気後れしたミツオはその場に放置されていた。
■ 01-02 教室:
◆ 01-02-01 昼食風景
シアンの叔母、能登ユカリがシアンのいる教室で一緒に弁当を食べる。中学時代からの学友、カレンとテアも同席している。
カレンはシアンと同じ長身のショートヘアで、ボーイッシュな外見と紳士的な性格が同性に人気がある。生まれつき怪力のシアンは性格にも癖があり、カレンとは真逆に同性から避けられているところがある。
そんなふたりがよく一緒に過ごすのは、「虫よけ」的な役割だとシアンは自虐している。
テアはカレンとは違い、少女的なおしとやかな性格である。ふたりは趣味が合うので、よく演劇の話などで盛り上がっている。テアとエマも仲が良い。
シアンとこの3人は「不即不離の関係」と、ユカリはよくいっている。
ユカリ「格さんから連絡あったよ。
朝はなにをやらかしたの」
エマ「トラックが事故にあっててね。
持ち上げたら男子が下敷きに
なっててびっくりだったよ」
シアン「やらかしたのは
ユカリちゃんでしょ。
お弁当忘れて」
ユカリ「忘れたんじゃなくて、
預けといたのよ。
職員室で食べたくないもの」
ユカリはシアンへの心配などすぐに忘れる。下敷きになっていたイサムとは、別のクラスだったことが後で判明した。
ミツオは同じ中学の男子と仲良くしつつ、気のある女子たちに質問攻めにあいながら惣菜パンにかじりつく、忙しない昼食をとっている。
ジン「頼もう! シアンは居るかぁ!」
髪の毛の逆立った金髪の、ワイシャツ姿の上級生が教室にやってきて、教室は静まり返った。シアンの先輩、呉井ジンの後ろでは弁当を食べながら付きそう友達の阿形タクト。
ジン「おう、シアン。
遅くなったが入学おめでとう」
シアン「ちゃんと、進級できたんだね。
先輩」
タクト「受験の際には、ウチのジンが
大変お世話になりました」
エマ「ウチのシアンが
いつもお世話になっております」
と、挨拶を交わし合うシアンの幼馴染とジンの友人。食べ物を口に含んだユカリの代わりに、エマが丁寧に挨拶した。
シアン「で、その腕どうしたの?」
右腕をギプスで固めているジン。
ジン「名誉の負傷だ。
俺にはまだまだ特訓が足りない」
タクト「春休みにウチの手伝いしてて、
植木鉢持ったまま
走ってコケたんだよ」
ユカリ「あはは」
シアン「それで授業
まともに受けられるの?」
ジン「心配無用。博士が作った、
轟腕くんで
ノートも取れる」
背中から生えている機械の腕。蒸気と電気のハイブリッドアーム。
タクト「ジンはこれを
見せびらかしに
来たんだよ」
ユカリ「へぇ、脳波で動くんだ。それ」
ジン「戦車に匹敵するパワーを持つ
といわれるこの腕で。
勝負だ! シアン!」
シアンは弁当のウィンナーを食べ、ジンの大仰な説明にも表情を崩さず、小さくうなずくだけだった。
◆ 01-02-02 腕相撲勝負
勝負方法は腕相撲。机に機械の腕を立てて構えるジン。
ジン「負けて泣いても知らねぇぞ」
シアン「機械の腕なら怪我しないし、
弁護士さんの世話にならずに
済むもんね」
ジン「フハハハ!
もう勝ったつもりでいるのか!
我が力! とくと見よ!」
エマ「博士のだよね」
シアン「人格乗っ取られてない?」
ジン「これぞ、友情パワーだ!」
ふたりになにを言われようと、ジンは勢いで押し通るつもりでいる。
ジン「いくらトラックを持ち上げようとも、
戦車のパワーには勝てまい」
含み笑いで睨みつけるジン。タクトの「ゴー!」という合図で、試合が始まる。
しかし次の瞬間、機械の腕は机にぶつけられ、バラバラ。机さえも破壊された。
ジン「轟腕くーん!」
粉々になった機械の腕を見て、豪快に涙をこぼすジン。情緒が怪しい。
シアン「あれ、やりすぎた」
カレンとテアも、久々に見たシアンの怪力にあ然とする。
ジン「これで勝ったと思うなよ」
エマ「負けを認めるのが先でしょ」
ユカリ「で、午後の授業
どうすんのさ。きみ」
ジン「え…。寝ないように気をつけます。
すみません」
タクト「先に謝るのか」
エマ「わたしの机まで壊さないでよ」
シアン「ごめん」
黄門様「わたくしたちを
お呼びしたのかしら。お嬢」
シアン「呼んでません」
喜び勇んで駆けつけたのだが、冷たくあしらわれてシュンとする黄門様。
◆ 01-02-03 幕間
やってきた助さん格さんのチューリップ組。ヤクザかチンピラの、この場にふさわしくない風貌をした彼らが学校にまでやってくるので、初めて見る他の生徒たちが困惑する。
カレンやテアは中学時代からこの光景を知っているので、同様に慣れている生徒も多い。
壊れた机の替えを持ってくる財団のエージェントと、破片となった機械の腕を掃除をする作業員たちであった。
■ 01-03 教室:
◆ 01-03-01 帰宅前
午後の授業が終わり、エマがカバンを持って帰る準備をしてシアンの机にやってくる。
エマ「シアンはどこか部活見学行く?
いっぱい勧誘されてたけど」
シアン「行かないって。
みんなわたしの怪力以外
興味ないのよ。知ってるでしょ」
怪力なら、とウワサに飛びつく先輩たちからの誘い話は多い。テニス、バレー、サッカーなど運動部メイン。昼休みに行った腕相撲のせいもあり、その日の午後は勧誘が絶えなかった。
しかし運動はふたりとも得意ではない。怪力はシアンの特に、事故の原因になるので、全て断っている。
エマ「じゃあ先輩たちに挨拶行く?
それからカラオケ行こ」
シアン「違うの。
きょうはケンに会う日なんだ」
エマ「あぁ、そっか。
わたしが忘れてた」
シアン「入学祝いしてくれるんだって。
エマも来る?」
エマ「姉弟水入らずのとこ
邪魔しちゃ悪いから遠慮しとく。
遊びに行くなら誘ってね。
嫉妬しちゃうから」
シアン「心配性~」
笑顔で見送るエマ。待ち合わせ場所はいつもの場所、いつものところ。
小学校と中学校の中間にある、カフェバー『ウォーカー』という名の店。シアンの通う高校からだと少し遠くなる。
■ 01-04 カフェバー:
◆ 01-04-01 弟との待ち合わせ
シアン「叔父さん、こんにちは」
黙ってあごで、弟の座る席を指し示す店長。サンドイッチを作っているので喋れない。口の中に食材のキュウリをついばんでいた。
シアン「ごめん、お待たせ。ケン。
やっぱ高校からは遠かった」
ケン「いいえ。まだ時間はありますし。
高校入学おめでとうございます、
シアンさん」
シアン「ありがと」
ブレザーを脱ぎ、席についてホットコーヒーをホールスタッフの女性に注文する。
シオンは緩めているリボンの奥に、シャツを着崩して胸元が開いているので、ケンの視線は妙にそわそわしている。
ケン「あ…パパがこれを、
シアンさんにって」
シアン「え、そういうの
要らない」
テーブルに置かれた長細い箱を拒否する。ケンが嬉しそうに開封した中身はスマホ。
シアン「お父さんとは、まだ
仲良くなれる気がしないの」
案の定、肩を落とす弟。やや演技っぽい。
シアン「これはケンにあげる」
ケン「いえ、でも…」
シアン「貰ったところで
わたしには使えないでしょ?
それならわたしが
受け取った体にして
ケンがこれを使えばいい」
ケン「…それって有りなんでしょうか」
困っているようで嬉しそうにするのが、表情からわかりやすい。
シアン「ケンももう5年生なんだし、
わたしからのプレゼントで
いいでしょ。お父さんには
わたしから手紙書いておくから。
これでエッチなサイト
見たいでしょ?」
ケン「みっ! 見ませんよ!」
シアン「ウソだぁ。
わたしなら見るよ~?」
スマホを持っていないシアンが、小学生相手にカマをかける。ケンはスマホとシアンを交互に見つめて、スケベ心を見透かされないように、テーブルの上で手を固く握りしめる。
ケン「どうしたらいいんでしょう…」
シアン「お父さんもわたしが
受け取らないの見越して、
買ったんじゃない?
それの扱いに困ったんなら、
ケンのお母さんに
相談したらいいよ」
ケン「…わかりました」
結局スマホの箱は蓋をされ、ケンが預かることで一旦保留となった。
◆ 01-04-02 ふたりの関係
ケン「僕たち姉弟なのに、
一緒に暮らせないんですか?」
シアン「同じ立場で考えてもみてよ。
生まれてすぐに施設に預けられて、
父親だと思ったひとは別の女性と
こども作ってたのよ」
シアンは自分の境遇を語りつつ、年若い弟に理解を求める。『こども』というのはもちろん目の前の、義弟のケンのことだ。
シアン「あ、ケンやケンのお母さんが
悪いってわけじゃないよ」
ケン「でも僕、弟欲しいなって。
妹でもいいかなぁ…」
シアンの話はケンにはさっぱり通じてないようで、砂糖とミルクのたっぷり入ったコーヒーを飲んでからうなずく。
ケンは両親からシアンについて色々と聞かされている。シアンのこうした説得は無意味に等しい。なのでシアンも話を変える。
シアン「ほう、それならお姉ちゃんは?」
ケン「…一緒に住めたら、ドキドキする」
シアン「えぇー、
わたしはそっちの家
行くのイヤだよ。
でも、ケンがウチに泊まりに
来たらいいよ」
ケン「いいんですか?」
シアン「もちろん
ユカリちゃんが許可したらね。
あ、おばさんって呼ぶと
怒られるから気をつけて。
それからエマも呼ぼっか。
そしたら一緒にお風呂入る?」
ケン「それは…ちょっと困りますね」
想像して、喜ぶに喜べず、照れくさそうにするむっつりスケベ、ケン。
シアン「あっ、ねえ、塾の時間はいいの?
きょうからでしょ。サボりたいなら
それでもいいよ」
時計は夕方5時。15分後には塾が始まる。
ケン「わっ! そうでした! すみません。
これは、僕からなんですが、
受け取って貰えますか?」
小箱に入った、シリコンベルトの腕時計。子供のお年玉で買えるくらいのものだが、オシャレな代物だった。
シアン「こんなに素敵なの、
誰に選んで貰ったの?」
ケン「それは…秘密です」
シアン「ふーん。ありがとう。
壊さないように大事にしまっとく」
シアンに笑顔を向けられると赤面する顔を隠しながら、塾のカバンを背負って店を出る支度をする。
ケン「ちゃんと使ってくださいね。
壊れてもまた買いますから。
それじゃあ、また連絡します」
シアン「道路、気をつけてね」
シアンはひとり取り残されて、箱の中の腕時計を眺めながら笑みがこぼれる。
◆ 01-04-03 イサム登場
イサム「それ、付けないんですか?」
シアン「わっ!」
箱を眺めてしばらくぼうっとしていたのか、イサムに気づくのが遅れて驚いたシアンは、プラスチック製の箱を握って破壊してしまった。
シアン「もー…」
イサム「すみません…」
困り顔を向けられ、イサムが謝った。背の低い、同じ学校の見覚えのある男子生徒。シアンは朝のトラック事故で、挟まっていた人物だと遅れて気づく。
黄門様が買っておいたシアンを想定したスラックスは、イサムの足にはやや長く、裾を何重にも巻いている。
シアン「ちがうよ。
きみに怒ったんじゃなくて、
わたし、こういう体質なんだよ。
そっちの中学でもウワサで
知ってるでしょ。
怪力ちゃんって?」
箱を破壊してしまったことを残念に思い、自虐的に作り笑いをしてみせた。今朝、ミツオがそう呼んでいた。
シアン「わたしの手は
なんでも壊しちゃうの」
イサム「あの…中学校は
ちゃんと通ってなかったので、
知りませんでした。
すみません。不勉強で」
シアン「そうなの? え?
なにしに来たの?
ストーカー?」
イサム「いえ、違いますよ」
立ったまま首を大きく横に振るイサム。
シアン「それなら座ったら?」
プラスチックの破片を集めて、ホールスタッフの女性に謝り、ゴミとして処分してもらう。
かろうじてプレゼントの腕時計と説明書だけは残っていたので、壊さない内に、ベルトを優しくつまんでカバンのなかに入れた。
イサム「僕は、2組の
祭門イサムといいます。
今朝の件で、ちゃんとお礼を
言えませんでしたので。
朝一緒に居た方に聞いたら、
ここだと教えてもらいました」
シアン「あぁ、エマね。いい子でしょ。
自己紹介まだだっけ。
わたしは1組のシアン。
同い年なら、
敬語じゃなくていいよね」
イサム「あの…魚川さん…?」
シアン「その苗字、あんまり好きじゃない。
わたしの父親は別の家族作って、
仲が悪いから、いまは別居してる。
それで物理の能登先生が、
親戚だから一緒に暮らしてるの。
この怪力のせいで
普通って難しいんだ」
イサム「立ち入った話をさせてしまって、
すみません。シアンさん」
不意に事情を聞かされ、再度頭を下げるイサム。
イサム「その…
アレルギーのようだなって
思ったんですが――」
シアン「アレルギー…?
お父さんに対して?」
イサム「いえ、一般的な
拒否反応ではなくて、
身体を守るために
発現する症状です」
シアン「えっと、怪力が?」
イサム「はい…。
小麦アレルギーなどは、
生活にも支障がでます」
ずっと苦労してきたこの能力を初めて目の当たりにした男子が、思ってもみない発想を饒舌に語り、シアンは目を点にする。
イサム「ほかにもアレルギーは寄生虫の…
あっ話が逸れました。すみません。
いえ…ありがとうございます」
テーブルに額が付きそうなほど、深く頭を下げる。それも、長く。
イサム「朝は…学校、行かずに、
家に帰ろうとしたんです」
シアン「事故のせい…じゃなくて?
あっ! いじめられてるの?
あいつ?」
名前を知らないあいつとは、今朝あったいけ好かないメンズのミツオのことだが、シアンが名前を呼ばない相手でもイサムは首を横に振った。
イサム「いえ、関係ありません。
なんだか通うのが怖くなって。
ずっと学校に行って
なかったんです。
そしたら事故に遭って」
シアン「助けたわけじゃなくて、
偶然いたんだよ、
きみ…祭門くんが」
シアンには人命救助のつもりはなかった。トラックを持ち上げたのは、単に通学の邪魔だったからでしかない。怪力という能力があり、財団からのフォローで処理されるので、路傍の石を片付ける感覚で、能力を行使したに過ぎない。
しかし、そんなそっけない言葉にもイサムは、ゆっくりと首を横に振る。
イサム「本当に、死ぬかと思ったんです」
滔々と話すイサムの声に、シアンは黙って耳を傾ける。
イサム「高校に行こうと決めたのも、
自室にひきこもったままの
死を覚悟できなかったんです。
事故に遭って、僕は潰れて
死ぬんだなと思ったら、
やっぱり怖くて。
助けて貰うまでは本当に、
越冬中のカメムシの気分で…」
シアンはおかしな表現に口元が緩む。
イサム「それで、きょう1日
ちゃんと学校で、
授業受けられて、よかっ…」
イサムの目から、涙があふれ、自然とこぼれる。
イサム「すみません…。
だから、ちゃんと
お礼が言いたかったんです」
鼻をすするイサムは席を立って、もう一度、深々と頭を下げる。
イサム「ありがとう、ございました」
泣き声で濁る声のイサムの、つむじを見つめて、シアンは胸が熱くなるのを感じる。
忌まわしいだけの自分の怪力が、誰かの役に立ったことが、喜びに変わったことを上手く理解できず、ひと粒の涙がこぼれた。
イサム「えっ?」
シアン「え? あれ?」
イサムは涙で濡れた目でシアンを見て驚き、シアンは涙をこぼす自分に気づいて驚いた。
イサム「すみません。
アレルギーだなんて
失礼なこと言ってしまい」
シアン「違う。大丈夫。そうじゃない。
そうじゃないよ…」
自然とこぼれた涙を不思議に思い、ハンカチで濡れた頬を拭いた。シアンにはまだその理由がわからず、言い訳も出ず、言葉が続かなくなる。
シアン「…ありがとう」
シアンはかき消えそうなほど小さな声で、ひとり言のようにそうつぶやく。
お礼に対し、お礼を言うのはおかしな話だが、おかしなイサムを前にして、おかしなシアンは照れくさく、はにかんだ。
■ 01-05 夜のカフェバー:
◆ 01-05-01 チューリップ組の密会
黄門様「これはぁ!」
店内で立ち上がって叫ぶ迷惑な客、チューリップ組の黄門様。カフェバーは夜になると酒を提供する。
酔った客が、突然大声を上げることなどわかっている。シアンの叔父、店主の魚川タケルが切り盛りするこうした客には慣れたもので、いつものヤクザ風の3人に対しても黙ってグラスを磨く。
助さん「質量変異体ではないか?」
指先でつまめるサイズの菱形の、小さな光の結晶体。地球人にはこの結晶体を認知も認識さえもできない。
黄門様「なぜ?
この星が恒星を15周しても、
お嬢から検出されなかったのよ」
助さん「我らの任務、
隠蔽だけでは
なくなりそうだな」
格さん「そうだ。
ようやく観測の成果が出た」
スーツ姿のあやしい見た目の男女に混ざり、半袖シャツのさらに怪しいチンピラ、格さんがそう言った。
黄門様「これでお嬢が怪力に
悩まされることはなくなるわね」
格さん「そうとは限らない。
これは涙から出たただの欠片だ。
この1片でも彼女に残っていれば、
能力は発現する」
助さん「欠片を出し尽くすまで
お嬢を泣かせれば
いいのではないか?」
黄門様「お嬢を泣かせるやつは
わたくしが許さないわ!」
助さん「おうとも!
懲らしめてやる!」
格さん「俺たちは干渉すべきではないと
決めたばかりだろ?」
黄門様&助さん「然り」
声を揃えてうなずくふたり。
助さん「原始人に我らの技術が
渡ってしまったのだ。
お嬢から回収することが
我らの任務だ」
格さん「しかし、15年経ったいま、
ようやく回収できたのは
これっぽっちだ。
媒体が死んでしまっては
回収も困難になる」
黄門様「お嬢が死んじゃうなんて
考えられないわ。外道」
助さん「この鬼め! 悪魔め!」
例え話がこじれにこじれ、ふたりは格さんを叱責する側にまわる。
格さん「だからこうして、
待ってるんじゃないか」
黄門様「然り。
して、この腐った
液体は美味いではないか」
助さん「然り。
腐ったものでも摂取するのが
原始人の習わしだ」
お酒を水のように飲み続ける黄門様。チーズをむさぼり食う助さん。格さんは相変わらずタンブラーを片手にしている。
格さん「それらは腐敗ではなく発酵だ。
それに原始人ではなく、地球人だ」
黄門様「格さんはこっちへ来てから、
小言が多いわ」
助さん「格さんは小舅だな」
妙な言葉ばかり覚えるふたりにも、格さんは不満を表すことはない。
格さん「俺は最近、太陽圏さえ出られない
この星の生物が、言語などという
不正確で面倒な通信手段を用いて、
どうしてここまで繁栄できたかを
考えた」
黄門様「格さんは、難しいことを
考えているわ」
助さん「わかっているが、
不正確な言語を用いるなら
わかりやすく伝えるべきだ」
格さん「もう気づいているとは思うが、
俺たちがお嬢を見守るのは、
ひとえにお嬢に対し、
愛があるからだ」
格さんのその言葉にうなずくふたり。
黄門様「そうね。愛だわ。
そして、これが
この星の生物の根源ね」
助さん「そうだ。しかし
愛とはなんだ」
この愛が、宗教的な愛ではないことは、3人とも理解している。
格さん「媒体となったお嬢の怪力の
原因である質量変異体。
この欠片は、愛によって
こぼれ落ちたものだ」
黄門様「つまり、わたくしの愛が
まだ届いていないのね」
助さん「これ以上、キモいと
言われないようにせねば」
黄門様「もっといい手段はないのかしら」
助さん「物で釣ってはどうか?」
黄門様「愛なら性欲が一番――」
突然、ジャケットを脱ぎ、インナーをめくりはじめる黄門様。迷惑な客。
格さん「待て。
俺たちが干渉してどうする」
黄門様&助さん「然り」
逸るふたりは格さんの言葉ですぐに落ち着く。そして、次の言葉を待った。
格さん「愛こそ、任務達成の
近道であるのは確かだ。
しかし彼女はまだ、愛を知らない」
(1話『彼女はまだ知らない』終わり)
次回更新は8月2日(水曜日)予定。
■ 01破壊レポート:
今回壊したもの。
・博士の作った轟腕くん
・エマの机(学校の備品)
・腕時計のケース
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