3人が本棚に入れています
本棚に追加
3話『イケメン事件』
■ 03-01 通学路:
◆ 03-01-01 宝物
イサムがトラックで潰されそうになった通学路。シアンはエマと毎朝ここを通って登校する。
エマ「なにかな…」
シアン「わからないでしょ~」
普段は感情の起伏に乏しいシアンだが、今朝はいつも以上に機嫌の良さそうな彼女。そんな彼女に気づき、エマも嬉しそうにする。
初対面のときは強張った表情をしていたシアンの心境は、高校に通い始めて少しずつ変化している。
シアン「見てこれ」と左手首を見せつける。
エマ「あー時計、替えたんだ。
どこで買ったの?」
シアン「ケンが入学祝いに」
エマ「良いの貰ったねぇ」
深い紺色の質素な文字盤に銀の針が引き締まる。銀のケースに黒のシリコンベルト。飾り気のないデザインが、制服によく似合う。
バックルは磁石式になっている。腕とベルトの間に指を差し込むだけで、簡単に外れる仕組みで、シアンの怪力であっても取り外しができる。
シアン「それがさ。あの反応…。
わたしの予想だと、誰か
女の子に選んで貰ったっぽい」
エマ「えぇー。
あっちのママさんじゃなくて?」
シアン「今度、家に呼んで
尋問しようと思う」
エマ「悪いお姉ちゃんだ」
そんな彼女の悪巧みにも、エマは一緒になって喜ぶ。
◆ 03-01-02 ミツオ登場
ミツオが後ろから近づき、いつものように馴れ馴れしくシアンの肩に手を置く。
ミツオ「おはよう。
怪力ちゃん。お人形ちゃん」
エマ「げぇ。
いけ好かないメンズの
イケメンくんじゃん」
ミツオ「げぇって。
そろそろ名前で呼んで欲しいな」
シアン「邪魔」
シアンは目を細めてミツオを見て、そっぽを向いて邪険にする。
ミツオ「わぁお。
殴られるかと思った」
そんなシアンを恐れるでもなく、嬉しそうにするミツオ。
エマ「うざ絡みぃ」
ミツオ「ところで、怪力ちゃん。
最近は、虫くんとは
仲いいのかい?」
エマ「なに?」
ミツオ「いやぁ、ウワサ話って怖いよねぇ。
俺もよくされて迷惑するんだけど」
シアン「迷惑だと思うなら、
いますぐ自重しなよ」
ミツオ「体力測定のとき、
仲良くサボってたろ」
シアンの二の腕を、馴れ馴れしく肘でつつくミツオ。そんなミツオにもシアンは表情を変えず、深く息を吐く。
エマ「シアン、行こう」
エマは察して、ふたりの間に割って入り、腕を取って無理やりにでも引き離した。
ミツオ「なんだ。つまんねえな」
ふたりの後ろ姿を、ミツオは恨めしく見た。
■ 03-02 昼食:
◆ 03-02-01 幕間
弟のケンからもらった腕時計は、シアンの怪力で潰す恐れがあるため授業中は外し、自分の机の隅に置いて眺める。
シアンの中では自分を捨てた父親はともかく、腹違いの弟であるケンのことは嫌っていない。素直でいて賢く、エマにも自慢さえできる存在だった。
ケンから貰った腕時計をシアンはちらりと見ては、ノートに向かいながら口元を緩ませる。
そんなシアンの姿を、同じクラスのミツオは眺め、勉強そっちのけとなる。
◆ 03-02-02 談笑
昼食時になるとシアン、エマ、カレンとテアの4人は、中学時代からの友人ということもあり、仲良くグループになって机を囲む。
そんな中に、叔母の能登ユカリが職員室を抜けて、シアンのところへお弁当を集りにやってくる。
学期が始まって間もないが、担任ではないユカリは平然と毎日やってくる。そのおかげで、この教室ではこの光景が普通になっていた。
シアン「弟の彼女って、想像付かない」
ユカリ「身内であってもプライバシーは
詮索しないものよ」
シアン「違うよ。
あくまで想像上の話。
おしとやかな子か、
主張の激しい子か、
男まさりでやんちゃな子か。
想像しても、どれもなんか
違う気がするんだよね」
エマ「もう小姑だねぇ」
テア「シアンにそっくりで
年上の美人だったら?」
カレン「ありうる。男はスケベだからな」
シアン「まだ10歳だよ」
エマ「もう10歳かぁ」
カレン「10歳に彼女とか…
時代を感じて、
ご飯が喉を通らないわ」
テア「年寄りくさいよ。カレン」
ユカリ「そういう話題で、私を見るな」
いまなお独身で男の気配を見せない叔母のユカリに、なにか言いたげなシアンだったが、卵焼きを口に入れて黙った。
テア「カレンは、女子にはモテるのにね」
席を合わせていつものメンバーで談笑をして、弟のケンから貰った腕時計は、机の上に置いたままだった。
◆ 03-02-03 事件
ミツオ「楽しそうだなぁ」
談笑のさなか、シアンに近寄ってきたミツオが腕時計を取り上げた。
ミツオ「どうしたんだ?
この腕時計は」
それを見た瞬間、シアンの箸はシャーペンの芯のように折れた。目を見開き、全身の毛が開いて嫌悪感と憎悪を抱く。
ミツオ「安っぽいな。
それに趣味が悪い」
イスを弾き飛ばして立ち上がるシアン。その音に教室内は静まり、シアンとミツオに視線が集まる。
シアン「返して」
平静を装うも、口調は強い。そんなことを気にもとめず、ミツオは自分の腕に巻いて挑発する。
エマ「いい加減にしなって。
子供みたいな真似して」
ミツオ「ウワサの虫くんからの
プレゼントか?」
シアン「祭門くんは関係ない!
いますぐそれを返して」
ミツオ「取り返せばいいじゃないか。
大事なもんなら。
自慢の怪力で」
シアン「あんたから無理やり
奪い返すこともできる。
いますぐその腕時計に
2度と触れないように
してやることもできる」
しかしシアンには、そのように警告しかできない。これがせめてもの抵抗だった。
ミツオ「怪力ちゃんの脅迫? こわ~。
ちょっと触っただけだろ。
そんなに怒んなよ。ごめんごめん」
シアン「わたしはあんたを軽蔑する!
あんたはそうやって謝れば、
許されると思ってるから!」
ミツオ「なにムキになっちゃってんの。
ごめんって謝ってるだろ」
ミツオは自分の腕に巻いた時計を、乱雑に外して机に投げ置く。そのせいで腕時計は机の上を滑り、床に落ちた。
ミツオ「あー悪い、ごめん」
シアン「勝手に踏み込んで、
他人を見下して、馬鹿にして、
笑うようなひとが、謝ったからって
わたしは絶対に許さない!」
エマが床から腕時計を拾い上げて、シアンの手首にそっと巻いた。
エマ「シアン」
シアン「なに?!」語気が荒くなる。
エマ「もっと言ってやって!」
シアン「もうないよ!
ごめん…。
わたし、帰るね」
エマ「わかった。
お弁当片付けて持ってく」
シアン「ありがと!」
きびすを返し、ゆっくりとした歩調を心がけて教室を出る。
◆ 03-02-04 チューリップ組の登場
黄門様「お嬢」
助さん「車を出します」
格さん「あいつ、代わりに
一発ぶん殴ろうか?」
騒ぎに駆けつけ、突如現れるチューリップ組の3人。学校に不釣り合いなサングラスの、怪しい人相のこの3人を前にしても、シアンは湧き上がる感情を押さえつける。
心配する3人を見上げて、表情を変えずに小さく訴えた。
シアン「お願い。どいて」
チューリップ組はその言葉に従い、なにも言わずに道を開ける。
シアンは走らないようにして、心配するチューリップ組の3人を引き連れるようにして、本当に家に帰ったのであった。
◆ 03-02-05 事後のひとたち
ミツオ「なんだよ。
ちょっと触っただけだろ」
ユカリ「あなたは触っただけの
つもりかもしれない。
けど、シアンから見れば
ひとの物を許可も得ずに
取り上げたり、大切な物を
貶して、無関係の
友達を侮辱した。
だから怒ったのよ」
ミツオ「だったらあの怪力、
使えばいいだろ」
エマ「そんなのできるわけないじゃん!」
カレン「クソバカ!」
小さな身体で声を張り上げ、涙ぐんで訴えるエマを見て、カレンがミツオの尻を蹴った。
ユカリ「あっ、こら!」
教師らしく暴力を振るったカレンを叱責するポーズを取るユカリ。知らんふりをするカレン。
ユカリ「あなたなら、互いを
傷つけ合う選択が
できるんでしょうね。
でもあの子には、他人を
傷つけることはできないの。
触れれば壊してしまうし、
傷つけられる痛みを知っている」
そう言われて、反駁していたミツオはようやく沈黙する。
■ 03-03 家:
◆ 03-03-01 やるせない帰宅
シアンの家は低いブロック塀と、樹木に囲まれた少し大きな平屋の一軒家。
南側に庭があり、曲がり幹の立派なクロマツをはじめ、1mほどの背の低いひのき、サルスベリ、牡丹、ツバキ、ウツギなどバリエーションに富んだ植木がある。
昼食を中座して学校から帰り、カバンもなにも手にしないまま、家に帰るなり庭をうつろに眺めていたシアン。
だがそれも効果を感じずに飽きがくると、すぐにやめて部屋に入る。制服を慎重に脱いで床に放置し、大切な腕時計を外して、机の上にそっと置いた。
大きなビーズのクッションを抱きかかえ、肌着姿のままベッドの上に倒れ込んだ。
クッションに顔を押し付けて、わぁっと大声で叫び、身体を丸くして唸り声をあげる。
それから寝返りを打って器用に布団を身体に巻くと、壁とベッドに挟まれる形で目を閉じた。
込み上げる怒りと恥ずかしさが綯い交ぜになった気持ちを、どうにか落ち着かせようと目を閉じて、足を指の先まで伸ばし、自分の呼吸音に耳を集中する。
◆ 03-03-02 来訪者
昼食が半端だったせいでお腹が鳴った。
ふて寝を終えても昂ぶった気分は収まらず、ベッドから起き上がり中学時代の短くなった体操着に着替える。ややダサいがシアンは家での服装を気にしない。
キッチンの冷蔵庫で非常食にしているゼリーのパックを拾い上げて、口にする。気づけば日は傾きかけている。夕食の用意をしようにも頭が回らず、手がつかない。
すると、家に来訪者を知らせるベルが鳴った。連続して2回鳴らす独特の鳴らし方で、すぐにそれが弁当を持ってきてくれたエマだと気づき、だらしのない格好のまま出迎えるシアン。
だが玄関先に立っていたのはエマと、隣のクラスの男子であるイサムだった。
シアン「なんで?」
エマ「あの後ねぇ、あいつが
祭門くんに謝ったんだよ。
ウチの中学の女子たちに
非難されたから形だけっぽいけど」
イサム「近くでケーキ買ってきましたので、
どうぞふたりで食べてください」
エマ「いや、上がっていきな。
お茶出すから」
シアン「なんで?」
状況が上手く飲み込めず、シアンは首を傾げながら、エマに自宅を案内されるイサムの背中を目で追った。
■ 03-04 客間:
◆ 03-04-01 お茶
エマが勝手知ったるシアンの家のキッチンで、テキパキと紅茶とケーキの準備をしている間、イサムは和室の客間へと案内される。
中央にテーブルがあり、掘りごたつになっている。既にこたつは片付けたが、開け放たれた障子と縁側の向こうに、管理された庭が広がる。
薄桃色をした春牡丹の花が咲く季節。
イサム「古風でいいお家ですね」
シアン「無理に褒めなくていいよ。
古いだけだから。
庭はウチに来る先輩が
勝手にいじってるんだよ。
それでどうして祭門くんが
ウチに来たの?」
庭いじりの先輩とはジンとタクトのことだが、事情を知らないイサムには説明を省いた。
イサム「拝戸さんに話を聞いて、
迷惑だとは承知でしたが
お伺いしました」
シアン「迷惑って話じゃなくて、不思議で」
エマ「お待たせしました。お客さま」
シアン「客はエマでしょ」
エマ「粗茶にございます」
シアン「粗茶いうな。
それウチのだし」
ソーサーに乗せられたティーカップ。シアンはそれを持って紅茶を口にする。イサムは一連の所作を不思議そうに見つめる。
イサム「シアンさんのは、
丈夫な食器なんですか?」
エマ「ん? みんな普通のだよ?」
イサムの使っているのも見た目は同じ磁器性のもので、エマが爪先で突くとタンタンと、高く綺麗な音がする。
シアン「持ち上げるくらいならね。
手の形を変えなければ
力がかからないでしょ?
握ったりすると壊れちゃうけど、
中学時代に猛特訓したからね」
エマ「あれ、面白かったよねぇ。
祭門くんは部活決めた?」
猛特訓の話で、エマはこれからシアンと入る部活を思い出して話を振った。
イサム「僕は生き物が好きなので、
生物部に入ろうと
思ったんですが――」
エマ「なんだ、決めてるのか」
イサム「でも、生物部がなくて」
エマ「無いんだぁ」
シアン「そうなんだ。
なら、作っちゃえば?
同好の士が目的なら
そういうのとは違うかも」
その提案に驚き、少し目を見開いて首を横に振るイサム。
エマ「わたし達の部活も
先輩が作ったやつだよ。
茶会部っていうんだけど。」
シアン「週1回のゆるい部活?
中学からやってんだよ」
シアンはミルクレープをフォークで切り、口に運ぶ。エマはイチゴのショートケーキ、イサムはチーズケーキを選んだ。実はユカリ用。チューリップ組の3人分は、イサムの予算の都合で買えなかった。
シアン「このケーキもその先輩のお店だよ」
エマ「シアンのひとくち、ちょーだい」
茶会部の副部長のことであり、ふたりの共通の先輩にあたる。
イサム「部を設立するのも有りなんですね」
イサムは咀嚼して、ひとりでうなずく。
エマ「部長は同好会だって言ってたよ。
人数少ないと」
シアン「部じゃないとダメなの?」
イサム「明日、生物の田井先生に
相談してみます」
シアン「おぉーがんばって」
エマ「って!
部活の相談会してる場合か!」
シアン「エマが振ったんだよ」
イサム「紅茶も美味しいですね」
シアン「粗茶だけどね」
エマ「違うの!」
普段の調子でイサムを叱責するエマだったが、萎縮させるだけだった。
エマ「あいつだよ!
いけ好かないメンズ」
シアン「忘れてた」
エマ「えぇー」
もう既に怒りも忘れ、あっけらかんとするシアン。
シアン「それで、ふたりして
ウチに来たの?」
イサム「拝戸さんにお願いしました」
テーブルにあごを乗せ、異論のありそうなうめき声を上げるエマ。
イサム「黒仏さんの誤解で、
シアンさんには嫌なことが
あったのはわかりました。
それを僕のせいで、というのも
おこがましいんですが…」
シアン「迷惑かけたのはこっちだしね」
エマ「いや、あいつだって! 絶対。
わたしとしては最悪だったよ」
イサム「嫌なことがあった日は、
嫌なまま一日を終わらせず、
自分へのねぎらいで
上書きしたほうが、
気分良く眠れますから。
僕から拝戸さんに頼んで
ケーキを買って来たんです」
シアンは最後の一切れを口にして、目の前に座る変わったイサムを見つめる。
エマ「ケーキはわたしの提案ね」
シアン「でも、こういうこと、
祭門くんにされる覚えはないわ」
イサム「ありますよ! あっ、いえ」
少し声が大きくなったことに自ら驚く。
イサム「このまえ助けて貰った件も
ありますが、親切にしてくれた
ひとが困っているときは、
なるべく助けられるように
なりたいんです」
エマ「いい心がけね。わたしも見習おう」
シアン「エマはいつも
やってくれてるよ」
そう言われると、シアンの隣に座って二の腕にしがみつくエマ。
イサム「中学に通わずに過ごせたのは、
僕が色々なひとに
親切にされてきたからで、
学校帰りにこうして過ごせるのも、
たぶん、全部、シアンさんの
おかげなんです」
シアン「そんな大げさに構えなくても」
シアンは戸惑い、エマに向けた目が助けを呼ぶ。エマはシアンがこうした相手に不慣れなのを理解し、ひとつ、助け舟を提案した。
エマ「祭門くんが生物部で
部員のメンバーが足りないようなら
わたしが入ってあげましょう」
イサム「えっ! いいんですか?」
エマ「虫とかは苦手だけど、
わたしのウチはネコのスミスさん
飼ってるんだよ」
シアン「ネコと生物部は関係あるの?
茶会部は?」
エマ「当然、兼部だよ。
認められてるし。
祭門くん、シアンも
頭数に入れていいよ。
動物には触れないけど、
動物好きでしょ?」
シアン「わたしも?」
エマ「もちろん。
知ってる? シアン。
親切にされたら、
親切にするんだよ」
イサムの言葉をあたかも自分が言ったかのように振る舞うエマに、処理しきれなかった感情が、少しだけ解けて深く息を吐く。
シアン「わかった。
生物部、名義貸しの
兼部でいいなら入るよ。
見学しかできないから」
エマ「やったね」
イサム「ありがとうございます」
シアン「こっちこそ。
ケーキ、ありがとう」
馴れない気持ちに、少し照れくさそうにシアンは言った。
(3話『イケメン事件』終わり)
次回更新は8月16日(水曜日)予定。
■ 03破壊レポート:
今回壊したもの。
・お箸一膳
最初のコメントを投稿しよう!