年の瀬

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【帰すつもりないから、明日の準備しといてね】――通話が終わった後、そんなメッセージが届いていた。 できるだけ音を立てないように部屋着から外着に着替えて学校へ行く時のリュックを抱えて、忍び足で外へ出る。 今日も雪が降るんじゃないかってくらい寒かった。コートのボタンをしめてゆっくりと階段を降りる。 近くの自動販売機でミネラルウォーターを二本買って鞍馬を待った。 そう時間が経たないうちにすっかり見慣れた車が私のマンションの前に停車する。 リュックを後部座席に突っ込み助手席に乗り込むと、煙草の匂いがした。 「おはよう瑚都」 「全然朝じゃないけどね」 「じゃあ行こっか」 「ホテル?」 「んーん。ドライブ」 鞍馬が私にキスをする。目を瞑ってそれを受け入れた。 唇が離れてから「今からドライブ?」と笑うと、 「何言ってんの、オールだよ今日。やる気あるの?」 と挑戦的で悪戯っ子みたいな笑顔で聞き返してきた。 「元気だなあ」 まったく呆れてしまう。 元気で不健康で最高だね、その提案。 車が発進する。見慣れたマンションが遠ざかっていく中、車内のスピーカーからは相変わらずお洒落な音楽が流れていた。 昼間よりうんと車通りの少ない道を通り抜けながら、鞍馬の片手は珍しく煙草を持っておらず、私の手を握っている。 不思議だった。 鞍馬に連れ去られているみたいで心が軽くなる。別世界へ連れて行かれているような心地だ。 私は元からどこか遠い場所へ行きたいタイプだったのかもしれないな。 だからわざわざ実家から離れた大学院に進学するし、会員制のフェチっぽいバーに単独で行くし、イカれた男とセックスをする。 「ねえ鞍馬、」 十四日会える?と言おうとして、さすがにバレンタインは彼女と予定があるかもしれないと思ってやめた。 「十五日って暇?」 代わりに、その次の日を提案する。 「いけるよ」 「泊まれる?」 「もち。そっちはゆっくりできそうなの?」 「うん。彼氏が旅行行くって」 「旅行?このご時世に?」 ふっと鞍馬が嘲るように笑った。 確かにコロナの感染者は日に日に増加している。 でも京之介くんたちの旅行はオミクロン株が増え始める前から計画されていたことで、後輩の四年生の卒業旅行も兼ねているうえバスなども既に予約してしまっているためキャンセルしにくいというのもあるだろう。 「じゃあ俺らもどっか旅行行く?」 は?と聞き返してしまいそうになったが、まあ確かに私たちの場合は二人だし、折角ゆっくりできそうなのにいつものラブホというのは味気ないかもしれない。 二月中旬なら鞍馬も春休みに入っているだろうし。 「俺南の方行きたいなー。福岡とか沖縄とか」 「そのレベルで遠く行くの?」 「だめ?」 今は旅行需要の拡大を狙った県民割のクーポンとかもあるし、行っても関西圏のイメージだったんだけど。 「……まあ、いいけど。じゃあ早めに色々予約した方がいいね」 「やった。ちなみにバレンタインは彼氏?」 「いや、彼氏は十四日の朝から出るらしいから……」 「なら何で俺十四日じゃないの?他の男?」 「こういう相手は鞍馬しかいないって。人のことビッチみたいに言わないで」 「じゃあ十四日も俺と泊まればいいじゃん。彼氏何泊?」 「……三泊」 「じゃあその期間、瑚都は俺のね」 この男は、いつもこうやって数々の女に勘違いさせてるんだろうなあ。 まあ私も、多少は鞍馬にとっての友達になれてるのかもって自惚れてしまっているけど。 赤信号になった時、私を引き寄せてまたキスをした鞍馬が、離れていく間際少しだけ視線を下降させた。 「……最近対抗してきてるなあ」 私の首筋を見てぼそりと呟かれた言葉がはっきり聞こえず、「え?」と聞き返すが、「なんでもなーい」なんて前を向かれてしまった。  : その夜は本当にホテルにも行かず、わけの分からない場所まで車で走って、朝になる頃には市内に戻った。 まだ学生たちの姿が全く見えないような時間帯から大学の駐車場まで行き、途中のコンビニで買ったおにぎりを車内で食べた。まだ食堂も開いていないし。 その間鞍馬が「俺ここ行きたいかも」なんて観光地の画面を見せてくるので、負けじと鞍馬とのトークに自分が行きたい場所のウェブページのURLを送りまくった。 「どんだけ送るの?」 鞍馬が笑う。それが可笑しくて私も吹き出した。 あははっと太腿を叩いて笑った後、私ってこんなに無邪気な笑い方するんだって思った。 そこでふと京之介くんに連絡していないことを思い出し、慌ててトーク画面を開く。 【用事思い出したから今日早めに学校行くね。食パン勝手に食べていいから】 そう送った後画面を閉じると、暗くなった画面に嘘を吐いている自分が映った。 直後京之介くんの笑顔が頭に浮かんでずきりと胸が痛んだ。 「……、」 ――――ああ、そうか。これは罪悪感か。 男は性欲で浮気をし、女は寂しいと浮気をすると言う。 私が鞍馬と浮気をする理由にはそのどちらもが内在し、しかしやはり最低なことに、性欲の部分が強いと思った。 所詮私も子宮に支配されたメスなのだ。 鞍馬と一緒になりたいなんて気持ちは微塵もない。 鞍馬がいい男でセックスがうまくて都合がいいから。そして鞍馬も私を抱けるから、お互いウィンウィンでしかない。 しかしその関係が都合いいのは鞍馬と私だけで、それ以外はどうだろうか。 顔も見たことがない鞍馬の彼女なんて正直どうでもいいというか知らないが故に何の感情も芽生えてこない。 でも、京之介くんの場合は別だった。  ――――「浮気は心の殺人だよ」 本当はもう分かっている。 京之介くんが抱いているのが正しい恋愛感情じゃなかったとしても、私を姉の代わりにしていたとしても、私が好きだってこと。最初はそうじゃなかったとしても、今は確実にそうだってこと。 あの目と仕草と触れ方と態度を見ていれば分からないはずがない。京之介くんの全部が私のことが大好きだって言っている。 それをわざと見ないふりして、凪津と呼ばれたあの夜の記憶を何度も蘇らせて自分を無理矢理傷付けて京之介くんが悪いんだと京之介くんのせいにして、仕返しの体で自分の性欲を満たすために何度も鞍馬と会っているのは最低な人間は他でもないこの私だ。 もし何も悪くない、大好きな京之介くんが私の浅はかな言動によって泣いたとして。 私はきっと後悔するのだ。
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