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あの夏
――あれは私が小学四年生の夏。
私とお姉ちゃんと京之介くんは、三人で川遊びをしていた。私はおじいちゃんに、“お盆に川や海に入ると足を引っ張られる”などと脅されていたのであまり川の中へは行かないようにしていたけれど、京之介くんとお姉ちゃんは楽しそうに水を掛け合って遊んでいた。
疎外感を覚えた私は、「ちょっとあっち行ってるね」と言ってお姉ちゃんと京之介くんから離れた。
土手を歩いているうちに、一人で川遊びをしている見知らぬ男の子を見つけた。その子は私と同い年くらいに見えた。
遊び相手を見つけたようで嬉しかった私は、少し声を張ってその子に話しかけた。
「ひとり?」
その子は突然話しかけたせいか少し驚いたようにこちらを見たけれど、すぐに微笑んで「一人だよ」と大人びた笑顔で笑ってみせた。
「この辺は流れが早いから危ないよ」
「大丈夫だよ、ちゃんと岩の上を歩いてる」
「お盆は幽霊が足を引っ張ってくるんだよ」
すると、男の子はハハッとおかしげに笑って、川から出てきた。ビチョビチョに濡れている足を土手に置いてあったらしいタオルで拭いた彼は、私に「お名前は?」と聞いてくる。
「瑚都」
「瑚都、か。俺は鞍馬」
「漢字は?」
「鞍馬山の鞍馬」
「……一人なら、一緒に遊ぼうよ」
どうせお姉ちゃんと京之介くんのところへ戻っても、あの二人の世界ができているだけだ。私は邪魔者なのだから。
鞍馬は「お金持ってる?俺、あそこのアイス食べたい」と川の近くにあるソフトクリーム屋さんを指差した。おばあちゃんにお小遣いはもらっていたので、力強く頷いて付いていった。
鞍馬は抹茶アイスを頼んで、私はバニラアイスをお願いした。店の前のベンチで二人隣に並び、他愛ない話をした。
鞍馬は私と同じように祖父母の家が京都にあるらしく、京都の人間ではないにせよ夏はこっちに居るらしい。だから友達が京都にはおらず、一人で遊んでいたと。
年は意外にも私の一つ下だった。
アイスクリームを食べ終えた後、鞍馬はまた川へ向かい始めた。
「やめなよ、幽霊が来るよ」
「瑚都、幽霊なんか信じてるの?子供だなあ」
私より年下のくせに、鞍馬は私のことを子供だと言い、また川の中へ入っていく。
少しだけムカついたのが馬鹿だった。私はずっと土手から鞍馬を眺めていたが、その大人びた表情を崩してみたくて、そろりそろりとバレないように近付いたのだ。無理だと思ったらすぐにやめようと気を付けながら、おそるおそる岩と岩を伝って歩いて、大きな岩の上で屈んで川の水に触れている鞍馬の後ろから、わぁっと突然大きな声を出して驚かせた。
すると、鞍馬が本当にびっくりした様子で体を揺らし、足を滑らせて目の前の水の中にどぼんと落ちたのだ。
えっ、と自分の頭では即座に処理できない事柄に短い声を出して固まってしまった私は、数秒後慌てて手を伸ばした。
しかし川の流れは速く、手が届かないどころか、すぐに鞍馬を見失ってしまった。
私は声を上げて大泣きし、パニックになって自分も川の中へ飛び込み、必死になって手を振り回して鞍馬の体を探した。
それからどれくらい経っていただろう、そう長い時間は経っていなかったと思うが、遠くで京之介くんの怒鳴る声が聞こえた。泳げない私はあっという間に流され、息が苦しくなったその時、川の中へ入ってきた何者かに腕を掴まれ、顔だけを水の外へと出すことができた。
激しく咳き込む私の体を強く抱きしめていたのは、京之介くんだった。
「何やっとるんや阿呆!! 死にたいんか!!」
私を何とか川の外まで持ってきた京之介くんは、ずぶ濡れの私の肩を揺らして怒鳴った。
土手の向こうで声を出して号泣しているお姉ちゃん。その隣には、お姉ちゃんが呼んだらしい近所の大人が何人も集まってきていた。
自分が危ないことをしたのだと、その時ようやく理解した。
「ごめんなさい、ごめんなさい……!私たちが目を離したから……!」
妹が死にかけたという事実に酷くショックを受けているらしいお姉ちゃんが泣き崩れた。
大人たちがタオルを持ってきて、私と京之介くんの体を包み込んだ。
しかしその間もずっと、私は呆然と川の方を眺めていた。誰も気付いていない。ここにもう一人子供がいたことを。
――殺してしまった。私が。
大人の目が怖くて言えなかった。バレたらどうしよう、と思って、お姉ちゃんに「早く帰ろう」と急かした。
私は子供がもう一人流されたことを自分が怒られると思って言えないまま、その場を後にしたのだ。
――――だから、お姉ちゃんが川で死んだ時に思った。
これは罰なんだと。神様が私に罰を与えたんだと。
私が人を殺した川という場所で、神様が私にとって大切な人の命を奪っていったんだと。
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