2、パパはママだがパパのパパはパパ

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「タオル使ってくださいね~」  浴室にいる親子に、廊下から声をかけた。するとバタンとドアが開く音がして、頭が泡だらけのマロンが裸で飛びだしてきた。 「ダメ、マロン!」  平太はマロンを捕まえようとして、廊下ですっころんだ。 「あっ、あの、すみませんっ、本当にすみませんっ」  バスタオルでかろうじて体裁を保っているが、モカはほぼ裸だ。謝りながらも動きは俊敏で、狭い廊下にころがる平太の上を飛び越え、マロンを追う。  マロンを確保すると「大丈夫ですか」と平太を助け起こした。マロンは思いっきりぶるぶるっと頭をふる。髪についた泡があたりにいちめんに飛び散った。平太もまともにくらった。目に染みる。  モカは悲鳴に近い「すみません!」を連発している。 「と、とにかくっ、湯冷めするからもう一度お風呂に……」  平太がやっとの思いで言うと、モカは、すみません、すみませんと、嫌がるマロンを抱いて浴室に戻っていった。  平太はなんとか起き上がる。  子育てはんぱねえ。  びしょびしょの床を拭く。しっかり見てしまった。モカさんはまぎれなく「パパ」であった。 「本当に何から何まですみません」  夕食の時間、マロンは盛大にぐずった。大変だった。平太は身近に小さな子どもがいた経験がなく、ただただそのパワーに圧倒された。  まったく理不尽で、理屈が通用しない。天使の顔をしているのに、やっていることは悪魔だ。  根気よく機嫌の悪い子どもの要求にこたえるモカに、尊敬をとおりこして尊敬しかない。そして今もマロンは妙なハイテンションになってモカの身体によじのぼり、脳天をつきぬけるような奇声を発しており、大人たちはまともに話もできないし食事もとれない。 「疲れて眠いとだいたいこうです。動きがだんだんにぶくなっているし、体温が高いのであと少しかと……」  モカは無表情で自分の頭にかじりついているマロンをおろすと、突然慣れた仕草で胸元をはだけた。マロンをひざに抱き、胸を吸わせた。 (えっ)  マロンは秒で静かになった。  安らかな鼻息に、んく、んくとおっぱいを飲むリズム。 「本当はもう卒乳しないといけないんですが、マロンはほかの子より成長が遅くて」 「……え、はい」  平太は非常に気まずい思いで目をそらし、それとなく別室に移動しようとしたが、モカに引きとめられた。 「平太さんにお話しがあります」 「あ、はい、でも、その、今はアレですし、ぜんぜん後で」  目の前で授乳されたことなどない平太は、動揺していた。だがモカは真剣で、動揺する平太に気がまわらないようだった。 「本当にいいんですか。本当にこの家に置いてもらえるんでしょうか。最初に言いましたが、私は平太さんに一目惚れなんです」  そんな険しい顔つきで、自分に言い聞かせるように「一目惚れ」と言われても。  何か深い事情があるのはわかっている。平太は頭をぽりぽりかいた。    モカは、眠ったマロンを爆発物を安置するかのように寝かせた。間髪おかずトントンする。  昼間から見ていて察した平太は、音をたてずに移動し、布団をとってきてマロンの上にそっとかけた。マロンの口の端からたらーと白いよだれが垂れている。 「今日はぐずりが特に激しくて。すみませんでした」  憔悴しきったモカが言う。シャツはめくれたままになっていて、うっかり平太はモカの乳首をまともに見てしまう。すぐに目をそらすが、その柔らかそうな、男性にしては大きめのそれが、つんととがってピンクで、色もかたちもすでに目に焼きついてしまったあとだった。授乳しなかった方の胸が濡れ、シャツにしみができているのを気にするように、モカは服を元に戻す。  平太は、すすすとマロンを起こさないようすみやかに移動し、タオルを届けた。  ほのかに甘いにおいは、まぎれもなく本物だ。 (そういえばなんかのニュースで、男性でもまれに母乳がでる人がいるって)  さっきからなぜか顔が熱い。 「今日は疲れていると思うので、モカさんも早く寝たほうが。向こうの部屋にお布団用意しましたんで」 「お話が」 「無理しないで明日にしましょう」  平太は昔客間だった畳の部屋に、自分用の布団をしいた。眠いはずが、なかなか寝つけない。平太はぐるぐると考える。  なぜ一目惚れなんて嘘をつくんだろう。一目惚れしたのはこっちだ。そんな嘘をつかなくても、困っているのなら喜んで助ける。助けたい。守りたい。どうかこちらが差しだした手を受けいれてほしい……。胃の あたりが甘くて苦しい。 「平太さん、起きてますか?」 「ぐ~っ、ぐご~っ」  がっつり起きていたくせに、反射的に狸寝入りをしてしまった。モカはしばらく部屋の入口でおり、やがてそろそろと枕元まで来た。   触れられた場所は、親ポメラニアンに噛まれた腕の傷のあたりで、まだピリッと痛い。
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