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――皇学園高等部の三年生になってすぐのことだった。
二年の時の友人とカラオケに行った帰り、自動車のヘッドライトが眩しいほどには暗くなっていた。生徒寮に住む雷志は、学園方面に急ぎ足で戻っていた。ルームメイトの耀には遅くなることを伝えてあったが、それでも心配されてはいけないと、足は次第に速くなっていた。
カラオケがあった繁華街は、複数車線ある大きな道路を挟んだ向こうにあった。横断歩道はかなり待たされるとあって、雷志は行き帰りにはいつも歩道橋を使っていた。
その日も、歩道橋の階段を駆け上がり、鉄道の高架が頭上を通るせいで一層暗くなっている橋の部分を、おっかなびっくり渡っていた。
そこで、出会った。
歩道橋から、それなりのスピードで車が往来する車道を見下ろす、一人の男。黒い髪に、服も上下とも黒で、長めの前髪がかかる白い顔だけが暗がりに映えるようだった。
さして何の特徴もない、ややもすれば薄暗闇に溶け込んでしまいそうな容貌の男。それなのに、雷志の目には、どうしようもなく彼の姿が浮いて見えた。まるで周囲の景色から排斥されたように、くっきりとした違和感をまとっていた。
そこで、雷志の中にある予感が芽生えた。もしそうであれば、自分には話しかける権利がある。そう思い至った雷志が、彼に歩み寄りかけた時だ。
男は柵を握って、前のめりに体を倒そうとした。飛び降りようとしている。目から入ったその強烈な情報が、衝動的に足を動かした。
駆け寄って手を伸ばし、黒いセーターの裾をつかみ、思い切り引っ張ると、男はたたらを踏みながら後ずさった。そして、驚いたように雷志を見つめた。その瞬間、予感は確信に変わった。
彼の瞳は、血のように赤かった。
世の中には、赤い瞳を持つ人間もいる。色素欠乏症、いわゆるアルビノと呼ばれる者だ。だが、その場合、髪の色素も薄くなり、茶色、金色、あるいは真っ白な見た目を呈する。黒髪で瞳だけ色素が欠乏するという例は、看護師を目指して生物科目を熱心に勉強する雷志でも聞いたことがなかった。
もちろん、髪を黒く染めただけ、という可能性もある。けれど、近づいてみて一層はっきりと感じられる異質感が――人間以上の高次な存在が放つ独特な気配が、雷志の先の確信を肯定した。
「……ああ」
だから、雷志は言った。
ほかに通る人もいない、二人きりの歩道橋の上で、こう言った。
「やっぱり、あなた……フィライン・エデンの猫なのね」
その指摘は、正鵠を射た。男は先ほどにも増して驚いたように目を見開き、つぶやくように問うた。
「……お前、何者だ」
「私は」
一瞬だけ、迷った。知らない人に名前を聞かれても答えてはいけないよ、ましてついて行ってはいけないよと、まるで親のように耀に言い聞かされていた。
けれど、それは人間相手の場合だと割り切って、雷志は続けた。
「私の名前は、九頭竜雷志。風中家とパートナー契約を結んだ、選ばれし人間の一人です」
その答えで男は納得したようで、驚愕の表情をふっと消した。そして、深紅の瞳に陰を落とし、再び車の行きかう車道を見下ろした。
「……死なせてくれ」
力のこもらない、乾いた声だった。
「俺はもう……生きているわけにはいかないんだ。ここで死なせてくれ」
「させません」
男は再び雷志を見つめた。驚きと、それを上回る戸惑いが浮かんでいた。
雷志は胸に手を当てて主張した。
「私は将来、看護師になる人間です。命を救う手伝いをするんです。その私が、目の前で命を絶とうとするひとを見過ごすわけにはいきません」
男はしばらく、その言葉を耳に染み込ませるように黙り込んでいた。だが、それに返事をするでもなく、斜め下の足下に視線を落とした。
今の言葉は響かなかったのかもしれない。それもそうだ、これは自分の意志であって、彼の立場に立ったものではない。
そう考えた雷志は、「ねえ」と顔を覗き込むようにして話しかけた。
「明日の午後……三時半くらいに、またここで会えませんか」
男は視線を合わせようとしない。それでも、雷志は同じ調子で続ける。
「今日はもう暗いので、明日、学校が終わってからまたここへ来ます。そしたら、もっとゆっくり話せますから……なぜそんな風に思うのか、私に話してみませんか」
返事も頷きもよこさない彼に、無邪気な笑顔を見せて。それを目にした誰もが、険悪な人間関係も、教師からの叱責も、部活動での失敗も忘れて心をほどいてしまう、天使の微笑みをたたえて。
「諦めてしまうのは、それからだって遅くはないでしょう?」
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