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「あの、雷奈ちゃん」
「うん?」
「さっき氷架璃ちゃんと芽華実ちゃんも言ってたけれど……ガオンさんは、チエアリだったの? それに、チエアリになるって……?」
「あ……そっか」
選ばれし人間ならば、一度は聞いたことがあるだろうフィライン・エデンの訓戒。罪を犯した猫は、クロになる。けれど、そのメカニズムが明らかになったのはつい最近のことだし、フィライン・エデンの住人でも、実際に目の当たりにしたことのない者たちは半信半疑でいた。先立って耳にしていたその話を、雷奈達が信じるようになったのは、他でもない霞冴のクロ化の一件以来だ。
雷奈達は反射的に、一瞬だけ霞冴に視線を投じてしまった。本人と目が合い、バツが悪そうにしていると、霞冴は最初から分かっていたように「私が話します」と口を開いた。
自分がクロ化したことがあること、とはいえ罪を犯したわけではなく、心身ともに弱ったせいで源子に食われかけたためということ。その延長線で、クロ化するならチエアリ化する可能性もあることを、雷志の反応をうかがいながら丁寧に説明した。
感受性の高い雷志は、時に「まあ」と驚き、時に霞冴の辛苦に寄り添うように頷きながら、最後まで聞いていた。話に区切りがついたところで、彼女はほうっとため息をついて雷奈を振り返り見た。
「何というか……今回のワープフープ解放がイレギュラーだとはウィンディから聞いていたけれど、ずいぶんな冒険をしているのね、雷奈ちゃん達……」
「そうっちゃね。君臨者の遣いが来るなんて、前代未聞っちゃろうし」
「それで、ガオンさんはチエアリに転じたせいでフィライン・エデンを破滅させてしまった……かもしれないということなのね」
雷志はその事実を反芻するように、小さなおとがいに手を当ててゆっくりと瞬きをした。彼女の繊細な仕草と空気をレイピアで突き崩すが如く、雷華が単刀直入に問う。
「ガオンは自身がチエアリになったことなど口にしていなかったか? あるいは、それを匂わせるような発言や挙動は?」
「いいえ……私はチエアリを見たことがないから、言葉の表面からしかうかがい知れないけれど、少なくともチエアリやクロを匂わせるようなことを言っていた覚えはないわ」
心の整理を待たない雷華の言葉にも落ち着いて答える雷志は、さすが母の貫禄をまとっているといえた。
「まだ女子高生だった私にとって、道で出会っただけの大人の男の人なんて、脅威であってもおかしくなかったはず。だけど、そんな警戒も忘れてしまうほどに、彼は攻撃性とか、そういうものから遠い存在に見えたの。……だから」
雷志は一度、せつなげにまぶたを下ろし、伏し目がちに開いた。
「だから、六月のあの日の告白を、私はずっと信じられなかった。……十数年後、彼が私に再び赤い目を向けるまでは」
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