62|学園追放

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「ほ、本物……」 「驚かすなよ……」 「誰が小粒だ」 「根に持っとる」  糾弾の意を込めた鋭いため息を吐き捨てると、ルシルは呆れを通り越して蔑むような目で三人をねめつけた。 「お前たち、この敵性ありのうえ大規模なうえメカニズム不明という一番危険な事態が生じているときに、なぜここにいる」 「鏡像の正体を暴くんだよ!」 「このままじゃ木雪とユメが罪を着せられちゃうもの!」 「鏡像ば待ち構えて、出会ったが百年目、自分の正体を名乗らせるったい!」  ルシルは肺一杯に息を吸い込んだかと思うと、斜を向いて勢いよく吐き出した。痰が絡んで苦しい時の仕草に似ているが、どうやらこれ見よがしな渾身のため息らしかった。 「それを許可している二家の坊と嬢はどういうつもりだ。首と胴体が大喧嘩の末すっぱり別れたいということか」 「この子たち、ボクたちに黙って来たんだよ!」 「それを問い詰めていたところよ。でも……」  アワとフーは、三人をちらちら横目に見ながら、ごにょごにょとつぶやいた。  察しのいいルシルが翻訳する。 「この三人の行動でこれまで何度も救われてきているから強く出られない、か」 「狂いなしの見解一致だね……」  アワの肯定に、メルが「希兵隊の面目丸つぶれですね」と他人事でもない一言を発した。  ルシルは渋面をつくる。 「それは否定しないが……話し合いが必ず通じると思うなよ。戦闘になることは大前提でいろ。その上で、相手を選べ」  そうは言うが、今回の敵に関しては幾分かの安心材料がある。  氷架璃が胸を張って豪語した。 「チエアリじゃないだけ勝算あるだろ! こちとらチエアリでもふんじばっちまう雷奈がいるんだぞ!」 「また丸投げっちゃか!」 「もちろん私たちも加勢するけど、チエアリほどの脅威はないはずでしょう?」  チエアリの恐ろしいところは、源子の扱いのケタ違いのうまさ、そして常識外れの特殊能力だ。  だが、いくら容姿や性格が違うと言えど、鏡像がそんな力を持っているとは考えにくかった。例えば白いルシルだって、普通の水術を放とうとしていたのだ。 「そりゃ、雷奈の鏡像が出てきたらめっちゃ怖いけどさ。そん時は雷奈をぶつければ互角だろ!」 「そこへ私達も参戦すれば……!」 「お前たち」  ルシルの声が、それ以降の御託を不要認定した。  彼女の顔には、呆れでも苛立ちでもない、見慣れた表情が浮かんでいた。  生真面目な二番隊隊長の表情のプリセットは、真顔だ。 「言い分はわかった。だが、一つだけ守れ」  氷架璃たちの無謀な作戦に、小言もなく切りだしたルシルの視線には、三人の頬を無言で挟んで自分のほうへ向けさせる強制力があった。  憂慮の空気もまとわず、ただひたすらに真剣な目をしながら紡がれる言葉には、逆らえない重さの真実しか宿らない。 「私の知る限りにおいてだが、絶対に戦ってはならない相手が一人だけいる。そいつに出くわしたら、即座に逃げろ」 「……雷奈か?」  ルシルはゆっくりとかぶりを振った。 「大和コウだ」  まるで無機物の名称を口にするように、ルシルは告げた。それは、彼女がそうすることに最も違和感を覚える人物の名だった。  しばし絶句した後、芽華実が恐る恐る相好を崩す。 「そ、そっか、ルシルはコウのことを頼りにしているものね。一番強いと思えるほど……」 「私は客観的で絶対的な話をしているんだよ、芽華実」  ルシルの表情は能面のように微動だにしない。見れば、メルも同じ面をつけている。 「コウがなぜ希兵隊最強かといえば、古参の一人であるからだろうし、なぜ一番隊の隊長かといえば、前任が亡くなったからなのは事実だ。だが、そのような相対的な基準とは別に、あいつは強い」 「いや、そりゃ強いだろうけどさ。あんたの幼馴染バイアスかかってんじゃないのか?」 「では、お前はクロ化して刀まで持った霞冴に太刀打ちできるか?」  氷架璃は答えなかった。素直に答えるのが癪だった。  源子を好きなだけ操り、ああも軽やかに片手で剣術を繰り出す霞冴に対峙することを想定して、勝てるかどうかというのは質問が間違っている。正しくは、何秒で首が飛ぶか、だ。 「言っておくが、あの時の目的が霞冴を連れ戻すことではなく、霞冴を……殺すことだったなら、コウは無傷でやってのけただろう。実際、途中までは圧倒していたんだ。それに、先の侵攻では、一人でチエアリを破った戦績もある」  ルシルの言葉がひとひら、またひとひらと積み重なっていくごとに、その真実味が質量を帯びてくる。 「鋼猫特有の戦闘スタイルは大きく三つ。鋼術そのものを振るう、鋼から武器を生成して用いる、そして自らの身に鋼の性質を宿して肉弾戦に出る。コウはそのいずれも卓越しているんだ。通常の鋼術はもちろん、刀からクナイから鎖鎌のような複雑なものまで造形するし、あいつの手足は命じれば鋸となり、鎚となり、錐となる。私の一念発起に付き合うと抜かすまでは、家業の大工を本気で継ぐつもりだったんだ。跡取りとして幼くして身につけたその技術は、十年もの時を経て慣熟し、今や戦闘技術へと昇華されている」  ルシルは一度、雷奈たちにイメージの咀嚼の時間をくれた。  ――確かに、ガオン戦で最もダメージを与えたのは彼だろう。  武具も防具もいらない、身一つが矛であり盾。しかも詠唱・言霊いらず。そんな彼に希兵隊は武道の技術をも上乗せした。 「そういうわけだ。言ってはなんだが、私でも勝てる気がしない。だから、もしもコウの鏡像に遭遇したら、迷わず戦線から離脱しろ」 「ばってん」  雷奈が反論する。 「そんな最強なコウも――」  一つだけ、弱点がある。  そして、その攻略方法も判明している。  それを告げようとした雷奈の口が、驚愕の形のまま固まった。  氷架璃と芽華実たちも同じものを視認して硬直するのを見て、ルシルがばっと袂をなびかせて身をひるがえした。  そこには、大きな姿見が鎮座していた。音もなく、前触れもなく、刹那と刹那の間隙に滑り込ませたように現れた。 「こいつか……!」 「ま、また誰かの鏡像が出てくるったい!?」  その言葉通り、何をも映さぬ鏡面に、ぴしりと亀裂が走った。  ぴしり、ぴしり、ぴしっ……。  まるで怪物の卵が孵化するように、不気味なほど静かに割れていく。  ぴしり、ぴし……。  やがて、機が熟した。  バリィン! と耳をつんざく破裂音とともに、鏡の破片が砕け散る。  その跡地には、うろのような虚空がぽっかりと口を開けていた。  次なる鏡像は、ルシルの偽者ではないことだけは確かだ。それ以外は全てが未知数。雷奈が出てきても、氷架璃や芽華実、アワやフー、あるいはこの場にいない誰が出てきてもおかしくはない。  大きく脈打つ心臓に押し出されて巡る血液と同じ速さで、緊張が頭を、体を駆け回る。  ゆっくりと地を踏む音がした。  メルを下ろしたルシルが、左腰の柄に手をやった。  闇の中から、徐々に、徐々に明らかになっていく姿を見て――刀の柄を、震える指先が小刻みに叩く音がした。 「……下がれ」  言葉尻の吐息が揺れる。 「――私が時間を稼ぐから、今すぐ逃げろ!」  言うなり、抜刀して切っ先を向ける。  新たな鏡像に。  着物袖の簡素な衣と指貫(さしぬき)の袴をまとい、灰色髪の中に一房だけ赤を差した、幼馴染の生き写しに。
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