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愕然と川路を見つめるコウに、呪詛のごとき黒い言葉が向けられた。
「お前は殺す」
川路を抱き上げ、彼は鋼の視線をよこしてそう言った。
「時尼美雷の後でも先でもいい。ルシルを傷つけたお前は、必ず、殺す」
脅しではなく、宣告。
そう確信できる響きを残して、山戸は一瞬で近くの隊舎の屋根に飛び移り、そのまま屋根伝いに敷地外へ向かって去っていった。
信じられない光景を目にしたコウは、しばらく呆然としていたが、地面に着いた手のひらに食い込む砂利の感触で我に返った。
舌打ち交じりに息を吐く。過去の自分と重ね合わせることで、動きを予測できたからこそ、窮地を脱することができたわけだが、青臭い頃の己を見せつけられる形になったのは癪だ。
とはいえ、ひとまず脅威は去った。猫力を静かにしまい込むと、コウはゆっくりと立ち上がった。
そこへ、のんきな笑顔の美雷が、上品に歩み寄ってきた。
「お疲れ様」
「お疲れ様じゃねえよ!」
反射的な怒鳴り声が、肋骨に返ってきた。小さくうめいて、左腹部を押さえる。呼吸をするたびに、のたうち回るほどではないにしろ無視できない痛みが、存在を主張してきていた。少なくとも傷めているか、悪ければヒビくらいは入っているだろう。
特に弱みを見せたくない人物の手前、できるだけ声の震えを押しつぶして、非難めいた視線を差し向ける。
「……自分は懐手で眺めてやがって。あんた、もしオレがやられそうになっても、見殺しにするつもりだったんだろ」
美雷は控えめな微笑をたたえて、黙ってコウを見つめている。彼女のことだ、コウの負傷具合は全部見抜いているのだろう。沈黙はそれを浮き彫りにするから居心地が悪い。
何とか言えよ、という催促が喉の奥まで出かかったところで、美雷が動いた。
「あなたはあんな敵如きにやられる子じゃないでしょう」
歩み寄ってきた彼女は、ほのかな光を宿した左手をコウへ伸ばした。回解処法――治癒の純猫術だ。
この少女に情けをかけられるなど御免被りたいコウだったが、身を引くよりも先に、懐に手を滑り込ませられた。腕がいいのか、すうっと痛みが和らいでいくのが皮肉にも癪だ。かといって、その手を振り払うのも礼を欠く気がして、コウは顔だけそっぽを向いてそっけなく返した。
「……あんたがオレの何を知ってんだよ」
八つ当たりにも聞こえるが、本心だ。霞冴や霊那たちならまだしも、関わって比較的日の浅い彼女に言われるのは釈然としない。自分をよく知りもしない人物に自分の何たるかを語られるのは、何か存在の核心を愚弄された気分になる。
けれど、どうせいつものように「うふふ」と上品な笑いではぐらかすのだろうと思っていたのに、いつまでたっても予想していた声が聞こえなくて、肩透かしを食らった。
前に向き直って見れば、美雷はわずかに目を伏せて、どこか郷愁的な微笑を浮かべていた。
珍しい表情に、コウは戸惑う。
しばらく黙っていた後、返事があった。
「……そうね」
小さく、儚げに、それだけ。気まずさが五割増しになった。
重い静寂の中、痛みだけが軽快していく。
コウは自分の足元を見つめるふりをしながら、さりげなく視線を上げた。そっと肩を支えながら脇腹に手のひらを当ててくる美雷の体が、すぐ近くにある。
いつも大人びた振る舞いを見せるせいで錯覚していたのか、すぐそばに立つ美雷の体は、思っていたよりもずっと小さかった。身長は同年代の少女の平均的なものなのだろうが、長身のコウから見れば十分小柄だ。それに、もっと小躯のルシルや霞冴がもつ戦闘慣れした機敏さが感じられないぶん、コウの目には柔らかく繊細なものに映る。
密着にも近い距離の美雷を見つめていると、ふと思い出すものがあった。
クロ化しかけた霞冴を連れ戻した後、医務室の前で、美雷に対して激昂した時のこと。
――自分は、こんな華奢でなよやかな少女の胸倉をつかみ上げて、怒鳴っていたのか。
「霞冴ちゃんがあなたを護衛官に選んだ気持ちがわかった気がするわ」
見計らったかのように話しかけられて、コウの心臓は大太鼓のような音を打った。いまだ余韻のように乱れ打つ脈も併せて、左腹部にあてがわれている美雷の手に全部伝わっているのではないか。そう考えて余計に動揺を募らせるコウだったが、美雷は変わらぬ調子で続ける。
「あなたなら安心できるの。どれだけ敵が目前に迫っていても、たとえやられる一瞬前でも……その一瞬が過ぎ去る前に、必ず助けに来てくれる。そう信じられるから、私は一歩も動かなかった」
腹部を覆っていた感触が消える。手を離すと、美雷はすぐそばからコウを見上げ、にっこりと笑った。
「絶対に守ってくれる。こんなに心強いことはないわ」
「……そうかよ」
悪くない温度が胸を満たし、けれどそれが逆にこそばゆくて、コウは斜に向かって返事をした。霞冴に頼られたときも、もちろん嬉しかったが、この最高司令官に褒められるというのは、大人に認められた時のような、勲章を授けられたかのような、不思議とそんな誇らしさに満たされる。実際には大人などではなく、たった三つ上のほけほけした少女なので、それを認めるのは気にくわないのだが。
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