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「新崎 美咲(しんざき みさき)について、アナザーワールドでの彼女の行動履歴を共有しました。桔梗さんから聞いた情報と相違はなさそうですね」
「仕事が早いな。新米助手は頼りになる」
外の景色を眺めていた香織さんは、椅子を半回転させると自分の席に戻ってパソコンをいじり始めた。おそらく俺が共有した情報を確認しているのだろう。
一仕事終えた俺はほっと一息つく。これで事件は程なくして解決することだろう。
彼女と初めて会ってから半年が過ぎた。
あれから俺は『不正アクセス禁止法』のため半年の懲役を受け、刑務所生活を行うことになった。元々、一年の懲役だったが、自首したことで減刑されたらしい。
刑務所生活を行うことになり、学校へ通うことがなくなった俺は自分の進路を断つことになってしまった。まあ、自分で招いたことであるため仕方がない。
しかし、俺の技術力を見込んだ香織さんが俺を自分の探偵事務所へと誘ってくれ、無事新たに自分の進路を確立することができた。
行き場のなかった俺は香織さんからの助け舟に乗るしかなかった。
とはいえ、香織さんの探偵事務所に入ったのは俺にとっては運の良かったことかもしれない。横暴な態度の彼女だが、見かけによらず非常に正義に忠実である。
世界を潔白にするために不正アクセスを働いた俺と同じく、彼女の横暴さは正義に忠実だからこそのようだ。ここ数日間の彼女の様子を見て、俺はそう確信した。彼女も俺も同類だ。だからこそ、彼女と一緒にいるこの空間は意外と心地よかった。
「バッチリだな。この報告書を桔梗に渡すとしよう。ご苦労様」
「これで、新崎さんの罪は証明された感じですかね」
「ああ、あとは桔梗たち刑事課の仕事だ。我々の介入はここまでだな」
香織さんの探偵事務所は主に二つの役割を担っている。
一つは依頼人に対して特定人物の身元や素行調査を行うこと。これに関してはアナザーワールドのセキュリティ突破は違法行為となるため、アナザーワールドに乗り込んで調査をする必要がある。いつものように外から調査できないのは俺にとっては骨の折れることだった。
もう一つは刑事課からの依頼。
これは刑事課の桔梗さんが香織さんと親友のために依頼を受けているらしい。刑事課の事件においてはアナザーワールドのセキュリティ突破が承諾されることがあるので、その際は俺の出番となる。いつもと同じようにセキュリティを突破し、データを取得する。取得したデータは香織さんがチェックし、桔梗さんへと送られる。
今回の件は桔梗さんからの依頼であり、アナザーワールドの情報を取得する許可があったので、俺が担当することとなった。
「それにしても、悲惨な話ですね。元々、アナザーワールド内での暴力が原因で夫を殺傷しまったなんて」
今回の事件は、美咲さんの夫である恭介さんがアナザーワールド内で暴力を振るっていたことが原因だった。アナザーワールドアバターは現在のリアル世界の自分の体を解析して生成される。
そのため、リアルワールドで暴力を振るって痣をつけた場合はアナザーワールド内のアバターにも痣がつく。逆にアナザーワールドで痣をつけたとしても、一度リアルワールドに戻って、またログインすれば痣はなくなるのだ。
これを利用して、恭介さんは何度も美咲さんに暴力を振るった。痣や傷はできなくとも受けた時の痛みは鮮明に脳に残る。その苦痛の積み重ねによって、とうとう心の糸が切れた彼女はリアルワールドで恭介さんを殺すこととなった。
事の発端は恭介さんのDVなのに、最終的な罪を背負ったのは美咲さんだ。
これを悲惨と言わず、なんと言えばいいのだろうか。
「難しい問題だな。元を辿れば、新崎 恭介もまた仕事の負担や上司への厳しい態度が原因で多くのストレスを抱えてしまったのが原因なんだ。さらに調べれば、その上司にも色々とストレスを抱える原因が出てくるだろう」
「世界は真っ暗闇ですね。これじゃ、クリアになる時代は来そうにない」
「そうとも限らんさ。少しずつだが、世界は徐々に白くなりつつある。まだまだ真っ暗闇ではあるが、90パーセントの黒が80パーセントくらいには薄まっている。白くなっていくのは時間の問題だろう」
「だといいですが。ねえ香織さん、陰口についてどう思いますか?」
「随分と突発的な質問だな。半年間の刑務所生活で答えは出なかったのか?」
「いえ。半年間考えても、陰口は悪だと結論づけています。ただ、香織さんの意見を聞きたかっただけです」
「その件に関しては私も同意見だよ。陰口は悪さ。ただ、もう少し詳しくいうのであれば、『必要悪』とでも言うべきだろう。生物が存続するために二つの分かれ道がある場合、一定数は右へ一定数は左へいくのがベストなんだ。それが対立を引き起こし、正義と悪が生まれる。つまりは、我々が生物として生きている限り、正義と悪は必要となる。悪は決してなくならない。むしろなくなってしまった場合が、一番恐ろしい事態に陥ると考えるべきだろう。そうは言っても、人が死ぬような悪は排除しなければならない。では、悪の中で一番被害を最小限に抑えられるものは何かと言われれば『陰口』になってくる。だからこそ、陰口は『必要悪』なのさ」
なるほど。香織さんらしい希望のある現実感の伴った見解だ。
「とは言っても、陰口を言うならば、ちゃんと隠す必要はある。張本人にバレてしまったら、言い合いならまだしも喧嘩に発展する危険があるからね」
「そうなると、俺は心底最低な行いをしていたということになりますね」
「はっはっは。まあ、今こうして世界の役に立っているんだから落ち込むことはない。なあ正善(しょうぜん)、幸せになるために必要なものって何かわかるか?」
「お金持ちになるとか、モテるとか、頭が良くなるとか、ですかね」
「模範解答を出してきたな。まあ、それらも一定の幸福度を得られることは間違いないだろう。ただ、最も幸せになる方法は全く別だと私は思う」
「それはなんですか?」
俺の質問に対して、香織さんは得意げに微笑む。
まるで餌に食いついた魚を見るような視線だった。
香織さんは人差し指を一本立てると俺に向かってこう言った。
「幸せになる方法はひとつ『何も気づかないことさ』」
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