旅立ち、あるいは序章

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 家を出るとき、まだしばらくは大丈夫だろう、と甘く見積もっていたけれど、川にかかる橋を渡り終えないうちに、大粒の雨が落ちてきた。  目的の公園はすぐそこではあるものの、あいにく公園には雨を遮ることのできる遊具などはない。神社には入ることのできる軒下くらいあるだろうが、上がってゆくのには時間がかかる。振り返っても雨宿りできそうな場所はなかった。まゆは思わずかけだしたものの、どうするべきか迷って、橋のわきの細い階段を下りた。みことちゃんもまゆの後を追ってくる。  幸運なことに干潮で水面は低く、コンクリートの足場が剝き出しになっていた。二人が橋の下へ飛びこんだときには、雨は本降りになっていた。  乾いたコンクリートに雨が打ちつけて、黒い染みがどんどん広がってゆく。そのわずか手前に立って、まゆは降りしきる雨を眺めた。  景色は白く煙り、川面は雨粒がはねて騒々しい音をたてる。まゆの半歩ななめ後ろで、同じように雨を眺めるみことちゃんを振り返る。 「洗濯物、濡れちゃうね」  まゆが言うと、みことちゃんは、え? とまゆのほうを向き、ああ、と小さく笑う。 「うん。でも別に、いいの。また、洗うし」 「洗濯物干したりとか、お手伝いしてるんだね。わたし、そういうの全然したことない。みことちゃん、すごいね」  みことちゃんは首を傾げ、弱々しく笑う。 「全然、すごくないよ」  直接聞いたわけではなかったけれど、みことちゃんにはお父さんがいないことを、まゆは知っていた。みことちゃんはお母さんのことをママと呼んでいて、スーパーで一緒にいるところを見かけたみことちゃんのママは若くてとてもかわいかった。でも、みことちゃんのママは昼間ではなく夜に働いていて、みことちゃんは一人で寝ているといつか誰かから聞いた。それはちょっと寂しい、とまゆは思った。  風向きが変わったのか、雨が足もとまで吹きこんできた。  後ずさりをして、まゆは橋の影に入った。先に壁ぎわへと下がっていたみことちゃんが、まゆの肩をたたく。 「まゆちゃん、あれ、何かな」  みことちゃんの指さす方向に目をやると、影の薄暗がりの壁に四角く穴が開いていた。扉一枚分ほどの穴は、何かの入口みたいだった。さっき、この橋の下に走りこんだときにはまったく気づかなかった。 「あんなの、あったっけ?」 「わかんない。わたしも、今気づいたから」  まゆが近づいて覗くと、みことちゃんも後をついて覗いた。中は暗かった。四角い穴の形そのままに、奥へと通路が伸びている。 「どこかに続いてるのかな」  みことちゃんの言葉に、まゆはふさいでいた気持ちを少しだけ忘れた。  光が届かないずっと奥のほうに、ぼんやりと明かりが見える。 「行ってみようか?」  思わずまゆは言った。  雨が降っている間は身動きがとれない。公園には行けそうもないし、暇つぶしにほんの少し、探検してみるのも面白そうだと思った。 「え、でも、勝手に入って怒られないかな」 「扉がないんだから、いいんじゃない? 立ち入り禁止って、書いてないし」 「それもそうね」  最初は不安がっていたみことちゃんも興味がわいたのか、乗り気になった。  言い出したまゆが、先に一歩、足を踏み入れる。まゆの後ろにぴたりとくっつくように、みことちゃんがついてくる。中に入ると、何かに隔てられたように、雨音が遠くなった。奥にともる明かりに向かって、ゆっくり歩いてゆく。  二人の足音が、湿り気のある暗闇に、やけに響いている。
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