旅立ち、あるいは序章

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「さて、説明が必要だろう」  戻ってきた老人は、先ほどと同じようにまゆとみことちゃんの向かいに座ると、もの言いたげな二人に向かって話し始めた。 「いいか、質問は後だ。聞きたいことはいろいろあるだろうが、それはわたしの話が終わってからにしてくれ。いいな?」  まゆがうなずくと、みことちゃんも遅れてうなずいた。 「よろしい。まず、世界には、世界を裏側から支える者、という存在がある。これは、数多(あまた)あるどの世界でもほとんど知られていない。おまえたちは知っているか?」  まゆは素早く首を振った。みことちゃんも同様だった。老人は見越していたように深くうなずくと、話を続けた。 「世界を裏側から支える者は、世界にとって、非常に重要な存在である。世界を裏側から支える者がいなければ、世界はたちゆかない」  一度言葉を切って、老人は険しいまなざしをした。 「しかしどの世でも道理だが、世界を裏側から支える者とて、永遠ではない。数多の世界がそうであるように。始まれば、終わる。生まれれば、死ぬ。世界を裏側から支える者が果てる前に、誰かに引き継がねばならぬ」  一生懸命に聞いていたが、まゆはだんだんわからなくなってくる。  この老人はいったい、何の話をしているのだろう。世界とか、裏側とか、まるで何かの物語のようだ。この話がいったい、まゆたちにどう関係してくるというのだろうか。  まゆの困惑をよそに、老人はなおも話し続ける。 「どこかで世界を裏側から支える者が滅びようとするとき、いずれかの世界で後継者が現れる。後継者は、その者が裏側から支えることとなる世界をまわり、そこに住まう人々を眺め、そこで何が起きているかを知り、知識と経験を積んでゆく。やがて時がくると、後継者は世界を裏側から支える者となる。わたしは、その後継者を迎え、導く役目を持つ」  まゆははっとした。  老人の口から紡がれる次の言葉が、なんとなくでも予想できたからだ。 「そしてここは、世界を裏側から支える者の、後継者を迎える部屋である」  思わず息をのんだのは、まゆだけではなかった。見ると、隣でみことちゃんが、不安げな表情を浮かべている。  後継者を、迎える部屋。  まゆはつい、くるりと首をめぐらせた。少々古めかしくはあるが、何の変哲もない静かな部屋だ。老人の言う仰々しい話とはいまいちなじまない。  だいいち、まゆとみことちゃんはここへ迷いこんだだけであって、この部屋にどんな意味があろうと、まったく関係のない話だ。 「説明は以上だ」  そう、老人が告げたので、おずおずとまゆは訊いた。 「あのう、それで、わたしたちはどうやったら帰れますか?」  老人は初めて、髭におおわれた顔に笑みのようなものを浮かべた。 「それは、おまえたちがもといたところに帰る、という意味かな?」 「はい」 「後継者は帰らない」  きっぱりと、老人は言った。 「世界を裏側から支える者となるからだ」  まゆは混乱した。取り乱した、と言ってよかった。 「後継者って、わたしたちのことなの? わたしたち、帰れないってこと?」  老人は、先ほどまでとはうってかわり、聞き分けのない子どもに向かうように難しい顔をして、大きく嘆息した。 「だからそう言っている」 「だって、わたしたち、迷いこんだだけなの」 「それは、後継者に選ばれたからだ」 「後継者になりたくなかったらどうするの」 「なりたいかどうかは、関係がない。ここへ来たからには、後継者なのだ」  その断定的な言いように、まゆは返す言葉を失った。それでは老人の言うように、否応なしに、世界を裏側から支える者とかいうものに、ならなくてはいけないというのだろうか。 「もう、帰れないの?」 「悲観する必要はない。宿命は、それそのものが己を導くすべとなる」  まゆは歯を食いしばる。  まだ信じられなかった。もう、帰れないなんて。  お母さんとはつまらないことでケンカをしたままだ。あれがお母さんと話した、最後だなんて。  胸の中がいっぱいになって、まゆは息が詰まった。  最初の通路から始まってこの奇妙な空間にいたるまでの中で、なにより今がいちばん強く、帰りたいと思った。  お母さんに、会いたい。  そのとき、老人が思わぬことを告げた。 「ただし、後継者は一人だ」
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