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3.裏切り
「ごめんなさい、アシュリー」
王立学園の授業が終わり、王都のタウンハウスに帰ろうとしていた矢先、アシュリーはキャスリンに呼び止められた。
彼女の顔は酷く沈んでいる。どうしたのかと思って、迎えの馬車を一旦待たせ、アシュリーは彼女を学園内にあるひとけのない庭園に連れ出した。
白いベンチに二人並んで腰かけ、アシュリーはキャスリンに尋ねる。
「どうしたの? キャスリン、顔色が悪いわ。何かあったの?」
「私……私っ……!」
瞳を潤ませ、ホロリと涙を零すキャスリンに驚く。アシュリーは彼女の背を撫で、必死に落ち着かせた。
「落ち着いて、キャスリン。何があったの? ぜひ話してちょうだい。私にできることなら、何でもするわ」
すると、キャスリンは顔を上げ、アシュリーに縋るような目線を寄越す。
アシュリーがゆっくり頷くと、彼女はポツリポツリと話し始めた。
「私、こんなことになるなんて思ってなかったの。最初は、領地経営についていろいろ教えてもらおうと思ったのよ。ライナス様は頭がいいし、いいアドバイスがもらえると思って」
「えぇ、そうね。キャスリンは、お父様を助けたいと思ったのよね」
「そうなの。ライナス様のお話は、とても興味深かったわ。我が領地でもやってみたいと思うことがいくつもあった。だから私、アシュリーのいない時でも、ライナス様にお話を聞くことがあって……」
「え?」
初耳だった。
口約束だけとはいえ、ライナスがアシュリーの婚約者なのはキャスリンも知っている。
婚約者のいる男性と、婚約者がいない場面で会うなど言語道断。いくらアシュリーとキャスリンの仲でも、それとこれとは別問題だ。
「ライナスは、それを許したの?」
ライナスは、困っている人を放っておけない優しい性格だが、こういった礼儀には厳しい。こんなことを、おいそれと彼が許すとは到底思えなかった。
しかし、キャスリンは肯定する。
アシュリーは眩暈がした。
「困っている私を放っておけなかったみたい。それに……私もライナス様の優しさが嬉しくて、つい頼ってしまったの」
つい、では済まされない。それを彼女はわかっているのだろうか。
アシュリーは、初めてキャスリンに対して怒りがわいた。そしてそれは、ライナスに対しても。
いくら世間知らずの箱入り娘でも、これは絶対に許せない。
やむを得ない理由があったなら、すぐに教えてほしかった。こんな風にキャスリンから伝えられるなど、ないがしろにされた気になる。
「それから私、アシュリーに悪いとは思いつつも、ライナス様と二人で会うようになって……」
「なんですって!?」
思わず目をむくと、キャスリンは益々その瞳を潤ませた。
「怒らないで、アシュリー! いいえ……あなたが怒るのも無理ないわね。でも、ライナス様を悪く思わないで。彼は私を哀れに思ってくださったの。彼はいつも優しい笑顔で私の話を聞いてくれたわ。そんなライナス様を私……好きになってしまったの!」
鈍器で頭を殴られたみたいにふらふらする。
一度ならず二度も三度も、いや、それよりもずっと多く二人は逢瀬を重ねていた。──アシュリーを除け者にして。
怒りなど通り越し、頭の中が真っ白になって、もはや何も考えられない。
しかしキャスリンは、更に言葉の刃でアシュリーにとどめを刺した。
「ライナス様もね、私のことが好きだって。アシュリーとの婚約を破棄して、私と婚約したいって……そう言ってくださったの」
目の前が真っ暗になった。
幼い頃から誰よりも大切にしてくれた、アシュリーにとって王子様のような存在であったライナス。王立学園で何でも話せ、気を許せる素晴らしい友人だと思っていたキャスリン。その二人に裏切られ、アシュリーの心はボロボロになっていた。
何も言えずにいるアシュリーに、キャスリンはひたすら頭を下げて謝ってくる。
「ごめんなさい、アシュリー! でも私、この気持ちは抑えられないの!」
これ以上何も聞きたくない。
アシュリーはよろよろと立ち上がる。そして、どうやって帰ったのか記憶にないほど朦朧としながら、気付いた時には自分の部屋のベッドの上で泣きじゃくっていたのだった。
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