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5.ささやかな報復
「あれからよね。ブルーノ様が私の前に現れなくなったのは。なのに、いきなり呼び出されるから驚いたし、少し怖かったわ」
「何かあれば、突撃するつもりだったよ。でも、怖がらせてごめんね。よく頑張ったね、アシュリー」
家に帰る馬車の中。
アシュリーの向かいに座る彼は、アシュリーに優しく微笑んだ。彼の微笑みに、アシュリーはうっすらと頬を染める。
「ブルーノ様は、キャスリンと結婚するんですって。キャスリンも嬉しそうだったわ」
「だろうね。ランズベリー様は自分にすり寄ってくる女性が大好きだし、キャスリン嬢は見えっぱ……いや、ステイタスに重きを置く人だから、お似合いだよね」
今、見栄っ張りって言おうとした?
アシュリーが小さく首を傾げると、彼は苦笑いを浮かべる。
「ブルーノ様とキャスリンを近づけたのは、ライナスなの?」
「うん。簡単だったよ。他の人間を使って、ランズベリー様とアシュリーが婚約しそうだってキャスリン嬢の耳に入れたら、即行で動いたね。僕よりもランズベリー侯爵家の方が魅力的だ。多少裕福ではあるけれど、僕はしがない子爵家の次男坊だしね」
「しがなくなんてないわ!」
力いっぱい否定するアシュリーに、彼──ライナス・フォスター子爵令息は、蕩けるような笑みを向ける。
またもや頬を赤くするアシュリーの愛らしさに、彼は席を移動した。……アシュリーの隣に。
「ありがとう、アシュリー」
「そ……そんな、お礼を言われるほどじゃないわ」
「でも、しがなくないとアシュリーに言われるのは、とても嬉しいから」
「ライナス……」
ライナスは、どん底に落ちていたアシュリーの前に、突然姿を現した。
隣国から戻るやいなや、彼女会いたさに自宅に戻るより先に彼女の家へと向かったのだ。そこで、驚愕の話を聞かされる。
キャスリンと何度も二人きりで会っていた? 彼女を好き? アシュリーとの婚約を破棄して彼女と婚約!?
どれもこれも、身に覚えのないことだった。よくもまぁ、ここまで嘘八百を並べられたものだ。そして、アシュリーを酷く傷つけたキャスリンを許せないと思った。
それはブルーノに対してもだ。
見目のいい女なら誰でもいいというような女ったらしが、アシュリーに話しかけ、あまつさえ口説くなど、絶対にあってはならない。
ライナスの怒りは頂点に達していた。
それから、彼は裏で暗躍する。
ブルーノとキャスリンを引き合わせ、恋愛関係に持っていく。それは、思いのほか簡単だった。
見た目は可愛らしいキャスリンに、ブルーノはすぐ目移りをした。そしてキャスリンは、アシュリーに対抗意識を燃やしており、彼女の境遇を妬んでいるからこそ、焚きつけるのは赤子の手を捻るよりも易しい。
「アシュリーはブルーノと結婚し、侯爵夫人になる。その日を楽しみに待ち焦がれている」そう囁くだけで、彼女はすぐさまブルーノ篭絡に動いてくれた。
それで、今日。
面倒な輩が、二人一度に片付いた。
「ねぇ、ライナス。キャスリンは知っているのかしら?」
「何を?」
彼女の耳側で囁くと、再び真っ赤になる。そんなアシュリーが可愛すぎて、ライナスは彼女の肩を強く抱き寄せた。
「ライナス! きょ、距離がっ……」
「正式に婚約者になったんだから、これくらいはいいと思うよ?」
「そ、そうなのかしら……」
そう、二人は正式に婚約の書類を交わし、その届けは無事に受理され、晴れて正式な婚約者となった。
ライナスが肩を抱き寄せたことで、アシュリーは話そうとしていたことをすっかり忘れてしまう。
ライナスは、そんなアシュリーの目尻に唇を寄せ、やんわりと触れる。更に真っ赤になる彼女を、愛おしげに見つめた。
おそらく、キャスリンは知らない。アシュリーからまた奪い取ってやったとほくそ笑んでいるだろう、相手のことを。
ランズベリー侯爵家は爵位こそ高位であるが、家の財政状況はよくない。はっきり言うと、火の車だ。
高位貴族なのでそれを巧みに隠してはいるが、きちんと調べればわかること。──もっとも、ガードナー伯爵家には、その力も余裕もないだろうが。
そのことを彼女が知るのは、もうまもなくのはずだ。
「アシュリー」
「ん?」
きょとんとする表情も、途轍もなく愛らしい。
目尻を下げながら、砂糖を山盛りにしたような甘い声でライナスは囁いた。
「婚約者として、これからもよろしくね」
アシュリーは大輪の花が咲きほころぶように、幸せそうに微笑んだ。
了
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