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翌日。晴れと予報されていた天気は、昼頃にかけて曇り空となり、授業後には雨が降ることとなった。傘を持ってきていなかった俺は渡り廊下で外に目を向けながら黄昏ていた。
昨日の件があったからか、図書室に行くのは憚られた。
よりにもよって、あのタイミングで初めて相川の『感情が灯る瞬間』を見られるとは思いもしなかった。それにしても、羞恥と驚愕ってどれだけ俺に抱かれるのが嫌だったんだよ。それなら、わざわざ自分から来なきゃよかったのに。
本当は教室にいたかったのだが、教室には星野たちが屯ろしていた。あいつらに揶揄われるのは勘弁願いたかったので、行く当てもなく渡り廊下の壁にもたれかかって雨が止むのを待っていた。
雨を見ながら思い出すのは昨日の相川との話だ。
相川が俺に「私のこと好きだったりする?」と言った時、不覚にも強く否定してしまった。人というのは、自分の思っていることを当てられると総じて反論したくなるものなのだろうか。それならば、あいつの言っていたことは違う意味だったのかもしれない。まあ、今更遅い話か。
「入江くん、何やってるの?」
ボーッと雨を眺めていると、見知った人物の声に惹かれ、我に帰る。見ると相川の姿があった。昨日のことなんてなかったかのように、いつものように無の表情を浮かべて俺を見ていた。意識しているのは俺だけと言う構図に何だか気持ちがモヤモヤする。
「別に、お前に言う必要はないだろ」
「もしかして傘忘れたとか? 私の傘大きいから一緒に入る?」
こいつ、本当に昨日のこと忘れやがったのか。相手は自分に恥ずかしい思いをさせた相手だぞ。それとも、こいつも俺を揶揄おうとしているのか。
「止むまで待つからいい」
「この後もずっと雨だよ。それにどんどん強くなってくらしい。雷も降るって言ってた」
「……悪いけど、入れてもらっていいか?」
「だからそう言ってるじゃない」
仕方なく相川の言う通りにする。弱くなってから帰ろうかと思ったが、どんどん強くなっていくのならそう言うわけにもいかない。それに落雷中に外にいるのは流石にごめんだ。超低確率なのは分かっていても0%ではない限り、信用はできない。
下駄箱で靴に履き替えると相川は持っていた赤色の傘を広げる。彼女の言っていた通り、二人入っても平気なほどの大きな傘だった。
相川は傘を空に広げると俺の方を向いた。俺は会釈して、彼女の傘に入り、二人で校門へと歩いた。恋人でもない女子と相合い傘とは何だか複雑な気持ちだ。
「その、昨日の件なんだけど」
校門を出て少ししたところで相川から話しかけられる。おいおい、俺を逃げられない状態にしてから揶揄う気だったのか。とんだ鬼畜野郎だな。俺は恐れながらも彼女の話を聞く。
「まだお礼を言ってなかったね。助けてくれてありがとう」
身構えていたのだが、相川からの言葉は予想外だった。いや、冷静に考えていれば予想できていた言葉だったろう。
「いや、お前が先に助けようとしたんだから、礼を言うのはこっちだ」
「そう。なら、どういたしまして。怪我がなくて良かった」
「そこは謙遜しろよ。何で鵜呑みにするんだよ」
「入江くんが言ったから従っただけだけど。入江くんって面倒くさいタイプだね」
「あー、はいはい。面倒臭いタイプですよ」
「……それで、昨日の件なんだけどさ」
まだ続きがあるのか。揶揄うのはここからってか。
「私、入江くんのことが好きだったみたい。だから付き合ってもらっていい?」
「……はあ!?」
予想の斜め上をいく相川の言葉に思わず、大きな声をあげてしまった。
いや待て。これも予想できたことではないか。あの時、彼女が見せた『羞恥』が俺への好意からくるものだとしたら確かに辻褄が合う。もしかして本当に俺のことを。
いや、もう二度と同じ鉄は踏まない。
まずは一つ気になったことを聞いておくとしよう。
「付き合うと言うのは置いておいて、何で『好きだったみたい』って推定なんだ?」
俺がそう聞くと、相川は後ろや横を目で見る。俺も一緒の動作をしてみるが、特に何もなく、誰もいなかった。それが狙いなのか、安堵の息を吐くとこちらをもう一度見た。感情は相変わらず『無感情』だ。
「今から言う話は他の人には秘密にしておいてもらっていい?」
相川の言葉に思わず心臓が跳ねる。女子に秘密の話をされるのは何だか照れる。
「ああ。と言うより、俺は友達いないから暴露する相手もいないけど」
照れを隠すために、自虐に走る。相川は特に反応することはなかった。せめて嘲笑でもいいから反応が欲しかった。
「なら安心だね。私ね、アレキシサイミアって言う障害を抱えているの?」
「アレキシサイミア……何だそれ?」
「そっか。流石に一般の中学生が知っている単語じゃないよね。アレキシサイミア、別名『失感情症』。自分の感情を認知したり、感情を言葉で表現したりすることに対して障害を持っているの」
相川の言葉に俺は驚いた。自分の感情を認知したり、感情を言葉で表現したりすることに対して障害を抱えている。だから相川の表情から読み取れるのは『無関心』なのか。ここ数ヶ月間、気になっていたことが解決して頭の靄が消えていくのが分かった。
「入江くんは私をよく見ているようだから知っていると思うけど、恋愛・ホラー・コメディーと感情を揺さぶる小説をよく読んでいるのは、自分の抱いている感情を理解する一種の療法的なものなの。でも、今のところあまり効果は見られなかった。でも、昨日入江くんが助けてくれた時、微かな感情を抱いた。胸がドキドキしていて。恋愛小説でよくある胸キュンって言う感じに似ていた気がした」
羞恥からの驚愕っていうのは、胸キュンを感じたから起こった推移ってことか。多分だが、小説を読んだことで相川は場面での感情を理解している気がする。それなら、効果はあるんじゃないだろうか。
「今まで接してきた誰にも抱かなかった感情。だから私は入江くんのことを好きって思ったの。だからその、付き合って欲しい」
「話は分かったけど。答えはノーだ。きっと俺以外のやつでも、同じ気持ちを抱いていた」
「でも、初めてよ」
「他のやつに抱かれたことは?」
「……ない」
「なら、わからんだろ」
状況によって感情を理解しているのなら、俺じゃなくても羞恥を抱いたはずだ。なら、それは別に俺に好意を抱いているわけではない。
「でも、相川のいう話は分かった。失感情症が相川の秘密か?」
「うん」
「なら、フェアに俺も秘密を話すよ」
そう言って、俺は自分の目からコンタクトレンズを外した。相川はじっと俺の様子を見ていた。
「これ、見た目はコンタクトレンズに見えるけど、スマートコンタクトレンズって言って目に嵌める装置なんだ」
「それ、学校に持ってきちゃいけないやつだ」
「だから秘密にしておいてくれよ。お前に悪いようにはさせないから。このスマートコンタクトレンズには『Refa』っていうアプリが入っていて、人の表情から感情を読み取れるんだ」
「へー、すごい機能だね」
「だろ! それで俺はいつもみんなの気持ちを透視しているってわけ。ここ最近相川が俺に見られているって言ってただろ。その理由は相川の気持ちだけは透視できなかったからなんだ。お前が抱いている感情がいつも無関心だから、お前の気持ちが変わる瞬間をずっと観察してたんだ」
「そうだったんだ。あまり面白い結末じゃなくてごめんなさい」
「面白いことなんか期待しちゃいねえよ。興味があっただけだ。それで提案なんだけど、友達として付き合うってのはどうだ?」
「さっき付き合うのはノーだって」
「それは恋人として。じゃなくて、友達としてならいいってこと。友達として相川の失感情症の改善を手伝おうと思う。俺なら、一緒にいる間はいつもお前の感情を見てやれるから」
「……ありがとう」
「結構すんなり承諾してくれるんだな」
「最初に行ったのは私だもの。それに、入江くんの力で失感情症が改善できるのならば、嬉しい限りだから」
「そうか。じゃあ決まりだな」
「入江くんにこのことを話して良かった。揶揄われるんじゃないかと思ってた」
「そんなことするわけないだろ。特に相川にはよ」
「私には?」
「……何でもない」
自覚症状なしか。まあ、そっちの方が俺にとってはありがたいかもしれない。
「とにかく、これで協力戦線の出来上がりだな。これからよろしく」
「ええ。よろしく」
そう言って、相川は俺に手を差し出した。
俺は彼女に差し伸べられた手を握りしめる。その手は雨の影響か、彼女の感情の影響か、とても冷たかった。いつかこの手が暖かくなるよう、彼女の感情を俺が灯してあげよう。
感情を灯してもなお、彼女が俺に好意を抱いていると言ってくれたなら、その時は。
俺の感情に同調するように、強くなると言われていた雨は少しずつ弱くなっていった。
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