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俺もまだセットリスト見てないんだよなあ楽しみだなあ、と彼は子供のようにはしゃいでいる。今日はライブの日で、好きなアーティストが数年ぶりにこの街へやってくるとあって、彼の熱の入りようも相当なものだった。物販は15時、おやつの時間から始まるのに、まだ「おはようございます」の挨拶が通じる今の時間から、たまたま会場に近かった私の家に転がり込んできていることからもその熱量がうかがえる。
水差すのやだなあ……と思いこそすれ、そのままじゃせっかくのライブを心から楽しめそうもなかった。きっかけはどうあれ、私は彼が勧めてきたそのアーティストにしっかりとハマっていたし、胸の中で渦を巻くこの疑念、限りなくブラックに近いグレーな気持ちを解決させたい。
私の中のコップにそんな一滴がぽたりと落ちて、彼に「あのさ」と声をかけた瞬間、ずっと表面張力を保っていた水が溢れ出た。
「ん?」
「あー……えっと、今日、なんの曲やるんだろうね」
いざ口を開いてみたら何も言葉が出てこなくて、頭の端っこに引っかかった「セットリスト」という言葉から連想したことをそのまま流した。「いや、その話をいま俺がしてたわ」と彼が笑って、初めて己のミスに気づいた。そうだったね、と曖昧な笑顔でやり過ごす。
「でもなあ。聴きたい曲はたくさんあるんだよ。でも2時間そこらで全部やってくれるわけないしな」
「一番聴きたい曲は、なんなの」
「悩むけど『レプリカ』が聴きたいかな」
レプリカ。
私もレプリカ。
過去の女のレプリカ。
永遠に本物を超えられない複製品。
希少価値の高い本物の代わりに、大量生産された偽物。
本物の輝きには勝てない、イミテーションのダイヤモンド。
急激に膨れ上がって、出口を求めて暴れ出す考えをぐっと抑えつけながら、訊いた。
「あの曲の2番のサビ、なんだっけ」
「歌詞?」
頷いた。確かに、我ながら「なんだっけ」って訊き方は何だ。どういうつもりだ。
平時なら絶対にこんな訊き方しないのに。落ち着きを失いつつあることを自覚した。
「え。『真実、正義、自分らしさ そんな言葉こそ全部レプリカ』だろ」
歌のうまい彼は、きれいにメロディラインにのせて口ずさんだ。それが余計に、胸にきた。ひび割れが目にもとまらぬ速さで広がり、私の気持ちは唇から噴き出ていく。
「じゃあ、私は?」
お、の口の形で止まった彼の顔を正面から見据えた。
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