7人が本棚に入れています
本棚に追加
銀の魂、紅のはなむけ
白銀の刃に、紅の血がしたたる。
拭う暇もなく、氷雨は、足もとにできた血だまりを踏みつけ、走った。
――これで何人、殺しただろう。
数える前に、また新しい骸をつくる。
女だから、と相手は氷雨を甘く見て囲ってくるのだ。おかげで兄弟子たちよりも、多くの人数を相手にすることになる。それで後れを取る氷雨ではなかったけれど。
氷雨たち武士にとっては、戦場が生きる場で、すべて。
――殺さなきゃ。
氷雨は深く息を吸った。血に染まった、鉄くさい空気だった。刀を握り、踊らせた。
*****
湿った日だった。障子戸越しの雨音が鳴りやまない。もうそろそろ、やんでくれぬだろうか――、と氷雨が思っていると、まるで見透かして嘲笑うように、雨音が強くなる。
「刀を棄ててくれぬか」
宮中のお偉方の言葉に、氷雨の師は難しい顔で首を振った。
「刀は、我ら武士の魂なれば、棄てることなどできはしませぬ」
「しかしなあ、戦はもう終わったのだ。刀も不要。それに、民が怖がるのでな」
押し問答を続けるふたりを、氷雨は師の後ろに控えながら見守った。となりに座る兄弟子たちは不機嫌な様子で、正座した膝の上を指で叩いている。結局問答は決着せず、お偉方にため息をつかれながら、氷雨たちは部屋を出た。
「戦が終わったからって、こんなの、あんまりではないですか」
たまりかねたように、兄弟子のひとりが口を開く。同調するように、ほかの兄弟子たちも口々に不満をこぼした。
「武士に刀を棄てろとは、お偉方も無茶を言う」
「だれのおかげで国を守ることができたと思っているのでしょう」
「最近のお偉方は武術を捨て、舞いやら唄やら絵やら、軟弱な趣味に勤しむばかりだし」
そんな声を聞きながら、氷雨は、雨の降り注ぐ庭を横目で見た。灰色の雲におおわれた庭は、どこかすすけて見える。雨の中でも庭仕事を勤しむ下男がいた。目が合うと、おびえて逃げていった。
「……まあ、よいではないですか。そういったものに興じるだけの落ち着きが、ようやくできたのですから」
氷雨がつぶやくと、兄弟子たちはまなじりをつり上げた。ふだんは妹分である氷雨に優しい彼らも、今日は苛立っているようだ。
「それ、本当に思っているのか」
氷雨はなにも言えず、代わりに、腰にさした刀に触れた。もはや飾りでしかないものだ。
隣国との間で長く続いた争いが、やっと終わった。
氷雨たち武士の功績――、そのはずだった。
戦が終わり平和が訪れたとたん、民もお偉方も、氷雨たち武士を恐れるようになった。戦の間、彼らが心に受けた傷が深かったからだ。
目の前で身内が刀で斬り殺され、自身も殺されるかもしれない恐れを味わった彼らは、刀を見るだけで、おびえてしまう。それがたとえ、同じ国の武士である氷雨たちの刀であったとしても、だ。
世がおだやかになったいま、武士も刀もいらぬ。お偉方はそう言って、氷雨たちの居場所を奪っていく。
「うわ、睨んでますよ、あの御仁」
兄弟子が忌々しそうに舌を鳴らす。氷雨が見ると、ひとりの男が、こちらを鋭く睨みつけていた。
「贔屓にしていた絵師が、この戦で心が参って筆を折ったんだそうで。……だからって、おれたちに不満をぶつけられても困りますけどね」
氷雨は庭を見つめ、足を止める。ここは息が詰まる。師に一礼して言った。
「わたしは、ここで失礼いたします」
「氷雨、どこに」
師が訊ねると、氷雨より先に兄弟子が笑う。
「どうせ山に稽古でしょう。氷雨は宮中も町も好みませんから」
「そうか。……すまぬな、そなたらの居場所を守ってやれず」
「いいえ、師匠」
首をふって、氷雨は山に向かった。
居場所を奪われるのも、仕方のないことだ。
「わたしたちの世は、終わってしまった――」
最初のコメントを投稿しよう!