第二話

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第二話

 父が亡くなったのは、ひと月前だ。  母は、そのずっと前に病気で亡くなっている。  突然、肉親が消えて独りきりになったのだ。  リョウが姿を消せば、周りの人間が心配するのは当然だ。  それが人の心というものだ。  それくらいは、リョウにも分かっていた。  が。  リョウは他人に気を遣われることも遣うこともなく、自分のことだけを考えたかったのだ。  だから、ひとりで山小屋に来た。  故に、ひとりにしておいて欲しかった。 「仕事は辞めてない。猛烈に溜まってしまった有給を、爆発的に消化しているだけだ。辞めてない」 「彼氏にもフラれちゃったじゃないか」 「フラれてないっ。あのバカが浮気したから、別れただけっ!」 「グゥ―――ッ」  クマのお腹が盛大に鳴った。 「……お腹、空いてるの?」 「うん」 「生卵貰ったから、卵かけご飯食べる?」 「食べるっ」  大きな図体をした年食った子供は、勢いよく返事をした。  散歩に出る前に仕掛けておいた炊飯器の中では、ほどよく米が炊けていた。  リョウは食事の支度を始めた。 「電気、きてるんだ」  クマが意外そうにボソッと呟く。 「きてるに決まってんじゃん。どんな田舎だと思ったんだよ」 「凄い山奥だと思ったからさ…」 「それで、そんな重装備なの?」  リョウは呆れたように言った。  山小屋は繁華街から三十分程度の場所にある。  山と言っても人里離れた奥ではない。  繁華街から二十分ほどの民家が少ない町から、ほとんど民家がない山を十分ほど上がった場所にあるだけだ。 「うん、そうだけど…変?」  クマは完全に、冬山登山の装備でそこに居た。 「変」  リョウは一言で片づけた。 「繁華街さら三十分くらいの場所に、なぜ寝袋持ってくるかな。それにリュックデカすぎ。ナニ入ってるの?」 「なんか色々。飯盒とか」 「……まさか、昨夜は飯盒で飯を炊いたのか?」 「いや。昨日の夜は探し疲れて、ご飯、食べそびれた」 「……」  携帯電話くらい通じる、とか、迷うほどの道か、とか。  思うところは沢山あったリョウだが、面倒なので口にするのは止めておいた。 「さぁ、まずは食べなさい」  リョウは、丼に白いご飯を山盛りにつけ、卵を添えてクマの前に差し出す。    クマは迷いなくそれを受け取ると、卵かけご飯して一気にかき込んだ。    リョウもクマに倣って卵かけご飯を楽しんだ。  リョウが1杯目を食べ終えた頃には、クマは3杯目を食べ終わろうとしていた。  お米をまとめて炊いておいて良かったな、と、思いながらリョウは、それを眺める。 「相変わらず、よく食うねぇ」 「体、デカいから」 「卵…食べ過ぎじゃない?」 「大丈夫。体、デカいから」 「アレルギーに気をつけろよ。コレステロールも」 「おう。」  ワシワシ食う図体のデカい生き物を眺めつつ、リョウは熱い緑茶を飲んだ。 「なぁ」 「ん?」  ワシワシと食べながら、デカい図体の生き物が 「こんなトコに1人で居て、怖くない?」  と、聞いてきた。 「怖くないよ」  あっさりと答えるリョウに、 「熊でも出たらどうするの??」  と、更に食い下がるので、 「上山のおじさん呼ぶからいい」  と、答えた。 「上山のおじさん、猟師の資格持ってるし、銃もあるから大丈夫」 「その人、どこに住んでるの?」  リョウは目線を上に上げ、窓の外を見た。  クマは、その視線を辿っていく。  そして、ああ、と、納得の唸り声を上げた。 「でもさ」  と、クマは食い下がった。 「熊とか出たらさ、すぐに来てくれないと困るだろ」 「すぐ来てくれるし」 「連絡手段は?」 「クマ。今の世の中、携帯電話という便利な道具があるのだよ」  彼は納得していない様子だった。  が、これ以上は何を言っても無理と思ったのか、黙って4杯目の卵かけご飯をかき込んだ。 ◇◇◇  卵のカラは、すぐに臭いが出る。  リョウは食べ終わった器と卵のカラをササッと片付けた。  食器を洗い終えて部屋に戻ると、クマは既に夢の中。  大きなイビキをかいて寝転がっていた。  口元には卵が絡んだ米粒が付いている。  –– 相変わらずだらしないなー。 ––   逞しく育った割に、中身の変わっていない幼馴染を見て、リョウは声を立てずに笑った。  小さな頃には女の子に間違われるほど可愛かったのに。  男性ホルモンの悪戯でムキムキの毛むじゃらになって。  それでも中身はたいして変わってなくて。  ヒゲもじゃでマッチ棒が乗るほど睫毛が長い幼馴染。  なぜ彼がココに居るのか、分かるような、分からないような気分のリョウだった。    が。  イビキをかいて眠っている無防備な姿は、ココにあるのが当たり前のようにも見えた。  –– 起こすのも可哀想だ。 ––   だが。  卵が絡んだ米粒を体のあちこちに付けていそうな大男に、来客用毛布を掛けるのも躊躇いがある。  迷ったリョウは、今朝クマが包まっていた寝袋を、その大きな体にかけてやった。 ◇◇◇  丸太がスパンと割れて木片が飛んでいく。  鈍い光を放つ刃物でも、丸太を割るには十分だ。  リョウは斧を振り上げると勢いよく丸太に振り下ろした。  また一つ木片が割れて、薪が増えた。 「凄いねー」  ちっとも凄そうに聞こえない間の抜けた声が響いた。 「起きたんだ」  リョウが振り返ると、そこには眠そうなクマの姿があった。 「なんとかね」 「まだ眠そう」 「かも。でも、なんか…オレ何時間寝てた?」 「んー、7時間くらい?」 「…オレ、疲れてたんだな」 「そうだね」  大きな音がして、また一つ薪が増えた。 「リョウはカッコいいな」  腕前に感心するようにクマは言った。 「でしょー、イイ女でしょー」  あえてクマの真意を無視して言うリョウの手元で、丸太がパコーンと音を立てて割れた。 「なんで彼氏と別れたの?」 「んー、だから浮気」 「オレと同じパターンか」 「そういや、クマも別れたよね」 「うん」 「なんで別れたの?」 「だから浮気だって。なぜ傷口に塩を塗るかな」 「お互い様だよ」  スパン、と音がして、薪がまた一つ増えた。 「お前が言った通り、あの女は曲者だったよ」  斧が舞って、薪がまた一つ増えた。 「でしょ? やな女だったもん」 「お前の彼氏だってさ……」 「あいつは、変な女が持ってった」  スパーンと威勢のよい音と共に木片が舞った。 「あの女、潰したの何組目か分からないくらい、泥棒好きな女なの。そんな女に引っかかるような男も男だけどさ」 「そうなんだ」 「そうだよ。アイツが気付くのに、どれだけ時間がかかるか、分からないけどさ。絶対、後悔する羽目になるからほっとくー」  リョウはクマを振り返り、ニヤリと笑って見せた。 「リョウはカッコいいな」 「でしょ、でしょ。もっと言って」  賞賛を求めるリョウの上を、アホーアホーと鳴きながらカラスが飛んで行く。  気付けば、あたりは薄暗くなり始めていた。 「いま何時?」  クマの問いに、 「いい時間なんじゃない?」  と、リョウは正解のない答えを返した。  山の夜は、早くて長い。 「そろそろ小屋のなかに戻ろうか」 「そうだね。オレ……腹へった」  タイミングよくクマのお腹が盛大に鳴った。  2人は爆笑しながら山小屋の中へと入っていった。 ◇◇◇ 「ちょっと暗いね」  リョウはそう言いながら、電気のスイッチを押した。  パッと明るくなった室内を見たクマは、 「電気がついた」  と、呟いた。  感動のこもった声に、 「だから。どれだけ田舎だと思ってんだよっ」  と、リョウは思わず突っ込んだ。 「そもそも、隣同士の家で育ったのに。なぜにこうも世間知らずかな、クマは」 「えー、普通の都会人だよ、オレは」 「世間知らずの、シティーボーイめ」 「なんだよ、それ。それだけ田舎だと思ってんだよ、カントリーガール」  ボーイでもガールでもない、三十路過ぎの大人は、顔を見合わせて笑った。
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