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本当の話
この世界のどこかには、広い広い花畑が存在する。見渡す限り花々で、それ以外に何もない。木々もなければ川もなく、ただ花だけが咲き誇る、異様な花畑だ。そこでは四季折々の花が、季節を問わず咲いている。
そんな花畑に、赤い髪の女がいた。彼女は白い服を膨らませ、赤い髪をたなびかせ、子供のように花畑を駆け回る。
疲れたらその場に座り込み、足下に咲く花を摘み、これでもない、これじゃないと何かを探し出す。
女は日がな一日そんな風に過ごしていた。
この女を世話するのは、金髪の少女だ。そばかすの浮いた白い肌と青い目が印象深い、十代半ばといった娘だった。
少女は赤髪の女を「姉様」と呼び、駆け回る彼女を一所で落ち着かせようとする。なかなか思い通りにいかず、たいていの場合、少女は女の後ろを駆けずり回らねばならなかった。
運良く女が落ち着いたなら、少女は大急ぎで女の身なりを整えた。風に遊ばせ絡まった髪を櫛で梳き、咲き誇る花で花輪を作って飾り立てる。
少女の指が髪に触れるたび、女はくすぐったげに笑い、時々、思い出を語る。
あるときは、風に揺れる花を手折り、指で弄びながらこう言った。
「きれいな装飾品よりも、あの人が初めて私に差し出した、あのたおやかな花が好きだわ」
あるときは、少女が髪に挿してくれた花を抜き、指に巻きつけながらこう言った。
「どんな指輪や髪飾りより、あの人と繋いだ手の体温が嬉しかったわ」
あるときは、目を閉じ風の音に耳を澄ませ、こう言った。
「どんな楽しい音楽よりも、あの人の誠実な声が愛おしかったわ」
少女は、女の思い出話を聞くのがつらいようだった。夢を見るような目で語る女に、少女はとうとう「やめて」と頼んだ。
「もうやめてよ、ミョニル姉様」
そう。この少女こそが、かつて女神であった三女のサメニだ。そして赤い髪の女が、長女のミョニルだ。
「ミョニル姉様がそんなだから、ジガミ姉様は出ていったのよ」
サメニの青い瞳から、ぽろぽろと涙が落ちる。そばかすの浮いた鼻に、皺が寄る。少女の声は怒りとやるせなさに震えだした。
「もうあの人間は死んだの」
ミョニルがきょとんとサメニを見る。ミョニルの緑の瞳に、耐えてきた怒りを爆発させるサメニが映る。サメニは姉の目に映る自分を睨みつけながら、溜め込んだ言葉をぶつけた。
「私たちを神と祀る人間たちも死んじゃった。だって姉様が、姉様が殺したから!」
昔話に語られる、ヴァシンの国の民の末路。彼らはミョニルに食べられたのではない。
ミョニルが殺した。
惨たらしく殺した。
自分の夫、ユヴェイがヴァシンの国に殺されたからだ。
ユヴェイはミョニルと同じ、不老不死になるはずだった。息子に王位を譲り、ミョニルと二人で余生を過ごすはずだった。
けれどユヴェイは死んだ。陰で聞いていた誰かが、間違った噂を流したせいだ。
「ユヴェイは永遠の命を得て、ずっとヴァシンの国を治めるつもりだぞ!」
そんなことはない。彼は王位を譲るつもりでいた。ユヴェイは永遠を生きるミョニルに寄り添ってやりたかっただけ。
なのに、ユヴェイは毒を盛られて殺された。内臓を焼かれ血を吐き、悶え苦しんで死んだ。ミョニルの目の前で、息を引き取った。
ユヴェイに毒を盛ったのは、ユヴェイとミョニルの息子だった。側近に唆され、持ち上げられ、担ぎ上げられてのことだった。
長い命をともにするはずの伴侶が惨い死に方をして、ミョニルは我を失った。
腹を痛めて産んだ我が子も、我が子を唆した側近たちも、噂を流した下女も、家臣も、民も、誰も彼も区別なく、引き裂いてちぎって殺してしまった。慈悲の女神と思えない狂乱ぶりだった。
惨劇を思い出し、サメニは泣き崩れた。
「姉様のせいで、私たちはもう神じゃない。人にもなれない、永遠にさまよう化け物になったのよ。全部全部、姉様のせいよ!」
「それがどうしたの」
泣くサメニに、ミョニルは「そんなことより」と微笑んだ。
「この花、ユヴェイがくれた花に似てると思わない?」
ああもうだめだ、とサメニは悟った。
年も取らず自然に死ねない自分たちは、終わりのない生に狂うしかないのだと悟った。
「私も殺してくれればよかったのに」
ぽつりと呟いた声は、目の前の姉にも、誰にも届かなかった。
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