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「やあ、こいつはうまい。天ぷらと新そばがお互いに香りを競い合ってるって感じだ」
運ばれてきた料理を前に、記者らしき男は腹をすかせた子供のように目を細めた。
「それはよかった、この『梁泉』は泥鰌鍋が売りだが、蕎麦もなかなかの逸品と巷で噂なのだ」
「ふむ、記者ともあろうものがその噂は知らなかった。実に不覚だ」
「ところで君はいったいどこの新聞社の社員なんだい?この匣館に三つも四つも新聞社があるとは思えないんだが」
「これは失礼。僕が記事を書いている新聞は『猟奇新聞』と言って、新聞とは名ばかりの怪奇譚ばかりを集めた読物なんだ」
「猟奇新聞だって?じゃあ君は石水善吉さんの関係者か」
「どうして親父の名を?」
「僕は『匣館新聞』に勤めてる飛田という者だが、上司に怪奇譚を書くように言われ石水善吉さんという博識な人物を紹介してもらったのだ」
「ということは親父に会ったんですね。いやあ、そんな本格的な新聞社の方だったとは。知らなかったとはいえ、先ほどは無礼を働き申し訳ない」
蕎麦を啜る手を止め、畳に手をついて詫びる男の姿を見て流介は「思いこみが過ぎるが悪い男ではないな」と最初の印象をあらためた。
「僕は石水宗吉と言います。不思議な話が大好きな親父が始めた『猟奇新聞』の手伝いをしながら家業の薬屋をやっています」
「よろしく石水君。ところであの剥製師のことなんだが……」
流介が先ほど目にした派手な捕り物について切りだすと、宗吉は急に難しい顔になって唸り始めた。
「あれは確かに僕の思い込みで、お恥ずかしい限りです。きっとあの風呂敷の中味はごく普通の剥製なのでしょう。……ですがあの剥製師がしばしば仕事を貰っていた『道理庵』の主人という人物は、本当に怪しい男なのです」
「よかったらそのあたりの話を詳しく聞かせてもらえないかな。君の記事に先駆けて書くような卑怯な真似はしないと約束する」
※
「植松恵次郎の首だって?」
流介は宗吉が述べたいきさつに、啜りかけの蕎麦を吐き出しそうになった。
「ええ。『道理庵』というのは植松氏と懇意にしていた翻訳家、都留岩一雄が書斎兼権書庫として建てた家なのですが、都留岩氏について聞き込みをしている最中に、町で評判の剥製師がこの『道理庵』に二度ほど剥製を届けたという噂を聞いたのです。
それで僕は植松氏の首を切り落とした謎の女郎が都留岩氏の元に駆け込み、困った都留岩氏が遺体の首を剥製にすることを思いついたのではと推理したのです」
「ということは、『幻の女郎』は今もその『道理庵』に身を寄せている?」
「それはわかりません。が、今度僕は直接その『道理庵』を訪ねてみようと思っているのですよ」
「なるほど。……では何か新しいことがわかったら教えて下さい」
宗吉は了解したというようにうなずくと、乾いてからまった蕎麦をほぐし始めた。
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