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 『平井戸写真店』は末広町の個人商店が並ぶ一角にある、品のいい写真館だった。 「ただいまあ」  亜蘭が戸を開けて入ってゆくと、白髪に丸眼鏡の初老男性と、二人の若い男女がこちらを振り返った。 「あらもういらしてたの。……素敵、お二人とも王子と王妃みたい!」  後に続いておずおずと中に足を踏みいれた流介は、よく知っている人たちのあまりに浮世離れした姿に思わず目を見開いた。 「天馬君……安奈さん」 「やあ飛田さん。記事はもう書けたんですか?」  美貌の青年は独逸か英国か知らぬが王族の正装を思わせる衣服に身を包み、威厳すら感じさせるまなざしで流介を見た。 「いや、まだだが……驚いたな、どこの国の王子様がやって来たのかと思ったよ」 「ふふ、偽物の王子ですけどね。どこにもない架空の王国です」 「飛田さん、謎が解けてすっきりなさいました?」  そう尋ねてきたのは、やはり王族を思わせる華麗な洋装に身を包んだ安奈だった。 「ええまあ……一応はすっきりしました。ですがまた、新たに謎が一つ加わりましたよ王妃様」 「謎が?」  安奈が目をぱちぱちさせると、天馬が「面白いですね。写真を撮り終えたらぜひうかがわせてください」と言った。                 ※ 「なるほど、肖像画が若くなっていたと言うんですね?」  『道理庵』が亡くなった時の状況を流介が説明すると、天馬はふむふむと頷き「それで飛田さんはどのようにお考えです?」と逆に問いかけてきた。 「そうだなあ……若い頃を描いた絵と年を取った自分を描かせた絵の二枚が元々あって、死ぬときは若い方の自分を見て死にたいと思った……そんな所じゃないのかな」 「ありそうな話ですね。……僕も絵は二枚あったんじゃないかと思います。例えば箱のような分厚い額の中に二枚の肖像画があって、自分の容姿が衰えたのではないかと不安になった時には年を取った絵を見てまだ大丈夫だと安心し、逆に自分はまだ若い、この絵の頃と変わっていないと自信を取り戻した時には若い頃の絵を眺める……そんなところでしょうか」  天馬が流介の推理を補足するように自説を語った、その時だった。 「あの……答えらしき物が出たところに恐縮ですが、私の推理も聞いて貰えますか?」  そう言って遠慮がちに身を乗り出したのは、安奈だった。 「いいとも安奈。大いに語ってくれたまえ」 「実は私も少々、絵をたしなむことがあるんですが、『道理庵』の肖像画は画家の方に依頼した物ではなく、主が自分で描いた自画像だったのではないでしょうか」 「自画像?」 「油絵という物は乾けば上から別の絵をいくらでも重ね描きすることができます。命を絶つことを決意した時、主は自分の一番いい姿を残したいと思ったのではないでしょうか」 「つまり年を取った自分を塗りつぶして、上から若い姿の自分を新しく描いたと?」 「はい。そうやってせめて絵の中だけでも時を止めたい、あるいは絵の中に入って永遠に若いままでいたい、そういう思いで新たな絵を重ねたのではないでしょうか」  安奈の推理を聞いた流介は「なるほど、確かに絵や写真の中の自分は年を取りませんからね……」と頷きながら言った。  流介がさて、この奇怪な出来事をどのように短い話にまとめるべきかとひとしきり思案し始めると、ふいに亜蘭が「でも若い頃の姿がもっとも美しいとは限りませんよ」と面白がるように割って入ってきた。 「……といいますと?」 「あそこの壁の写真をご覧になってください。十年ほど前の物ですが、写っていらっしゃる皆さん、今の方が素敵なお顔をなさってますよ」  亜蘭に言われ写真に目を向けた流介は、「あの人たちは……」と目を丸くした。  やや色あせた写真に写っていたのは日笠、ウィルソン、ウメの三人だった。たしかに今より若くはつらつとして見える写真ではあったが、亜蘭の言う通り現在の彼らの方が落ちついて好感の持てる顔つきと言えなくもない。 「なるほど、そう言われればそうかもしれませんね」  時の流れがもたらす不思議な効果に、流介はしみじみと感心した。 「うちの写真はお客様が持っているきらめきをいかに美しく焼き付けるか、その点に最大の自信を持っております」  亜蘭はそう言って流介と、時を止めたかのように美しい二人の若者に微笑みかけた。                 〈了〉
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