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「飛田君、石水さんから聞いたという例の事件、うちの新聞でも扱ってたよ」  編集部に戻った流介に、善吉を紹介した先輩記者の笠原升三が言った。 「事件の日、恵次郎と一緒にカフェーに入った女は一人で出てきたところを複数の人間に見られており、随分と巷を騒がせたらしい」 「つまりその女が猟奇殺人の犯人?」 「……かどうかはわからん。なにしろその女の素性を知る者が一人もいない上に、事件後は姿さえ見られていないんだからね。犯行現場が遊郭のある宝来町のすぐ近くで女の装いも華やかだったことから幻の女郎と呼ばれているようだ」 「幻の女郎……」 「当然、警察は近くの遊郭で聞き込みをしたらしいんだが顔、身なり共に目撃談と一致する女郎は存在しなかったそうだ」 「存在しない……ってことは、何者かが女郎を装って植松氏を殺害したってことですか」 「その可能性もあるだろうな。事件の二週間ほど前から植松氏がその女郎と連れだって歩いている所がしばしば目撃されているんだが、遊郭近くで二人が目撃されたことはない」 「植松氏が遊郭に入り浸っているという噂もなかったんですね?」 「そうなんだ、だから幻の女郎と呼ばれているわけさ」 「ううむ、贔屓にしてくれている旦那を殺害し、首を切って行方をくらます幻の女郎……なるほどこいつは猟奇だ。……その女が誰かと共謀してってことはないんですかね?」 「あるとすれば、植松氏を理不尽な理由で憎んでいた田倉っていう男がいるが、この男がまた事件の直後くらいから姿を見せなくなっているんだ」 「なるほど、二人の共犯という可能性も考えられるわけですね。植松氏が死に、下手人と思われる二人の人物も姿を消し……これでは警察も調べようがないですね」 「記事にするとすれば、この『幻の女郎』がまだこの町にいるという前提であちこちの噂を訪ねて回る……そんな形しかないだろうな」 「女郎が見つからなかったらどうするんですか」 「おいおい、君の記事は読者を楽しませるのが目的だろう。そこを面白くするのが読物記者の腕じゃないのかい」 「ふう、参ったな。見つかる可能性の低い人物の話で記事を書くなんて……わかりました、書けるかどうかやるだけやってみます」 「よろしく頼むよ、猟奇作家君」
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