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宝来町の『冲船屋』という店は和洋折衷の建物で流介が知っている唯一のカフェ―『匣の館』とよく似ていた。
低い軒を潜って中に入るとそこは丸テーブルが並ぶ西洋風の食堂で、暮らしにゆとりがありそうなやや年のいった男性客が数人、昼間だというのに酒を呷っていた。
「あたしは前の主が遠縁で、単に頼まれて引き継いだだけだからね。ひと月以上前のことは知らないよ」
一人で店を切り盛りしているらしい年配の女性は、流介が記者だと名乗ると煩わしそうに眉をひそめた。
「あんな事件があったのに、お店を閉めるってことはなかったんですね」
「ここは会社の経営者なんかが、近所じゃやりづらい商談をするのによく使っててね。閉めないでくれっていう声が多かったのさ」
なるほど、と流介は思った。カフェーだというのに洒落た雰囲気がなくテーブルで顔を突き合わせているのは男性ばかりだ。
「事件のことをよく知らないってことは『幻の女郎』のこともご存じない?」
「ああ、噂は知ってるよ。でもその女を見た店員はもういないし、あたしも見たことはないね」
「二階はもう出入り禁止になっているんですか」
「そうだね。以前は商談したいって言う客のために開放してたらしいけど、事件があってからは実質「開かずの間」さ」
「わかりました、ありがとうございます」
流介は主に礼を言うと、窓際のテーブルを囲んでいる四人組の男性客に目を移した。これ以上、店員に聞いても『幻の女郎』に関する話は出てこないだろう。商売の邪魔をしない程度に客に探りを入れてみるか。
「あのう、お取込み中、恐れ入ります……」
「んっ?なんだね」
三人ほどで顔を突き合わせてなにやら話していた男たちの一人が、胡散臭そうな目で流介を見た。
「実はこの店に植松さんという実業家が通っていたらしいんですが、話をしたことはありませんか」
「さあ……ちょっと記憶にないな」
特に何かを隠している風もない。どうやらひと月足らずの間に事件の痕跡は跡形もなく拭われてしまったようだ。
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